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疑惑

 柱の影から覗いていた俺の視線の先には、例のストーカー男がいる。  和彦にメッセージを送って顔を上げた俺の数メートル向こうから、ねちっこい視線がビシビシ飛んできていたのに気付いた時は、まさしくホラー映画並みに震え上がった。  この暑い最中、ヤツと目が合った途端に全身が寒気に見舞われて慌てて柱の影に隠れた。  あんなに粘っこく見てこられたら気持ち悪くて、寒気と吐き気が同時に襲ってきて一気に体調不良だ。  ヤツの前に姿を晒しておくのが嫌で、柱から顔だけ出してるんだけど引っ込みがつかなくなってきた。 「なんでアイツ目逸らさないんだよ……!」  同じ大学だったのかと愕然としながら、何故か近寄ってはこないヤツと睨み合いを始めて数分。  先に視線を逸らした方が負けだと、謎の意地の張り合いは気持ち悪さと闘いつつだった。  俺は必死で、「毅然としてるぞ」「動揺なんてしてないぞ」アピールした。  何ならこっちから向かって行ってやる。  近付いてきたその時こそ、腹を括る。  面と向かって、俺がヤツに「その気持ち悪い行為やめてくんない!?」と、文句の一言二言でも言ってやれば、ちょっとはお灸を据える事が出来るんじゃないかな。  俺の安眠を奪った原因はお前にもあるんだからな、いやむしろお前にしか原因はない! ……なんて思ってみるだけで、実際は足が竦んで動けずにいる。  ポケットの中のスマホが振動しても、柱に張り付いて動かない俺を周りが変な目で見てる事に気付いてても、微動だに出来ない。  いつまでこの攻防が続くんだと怯みかけたその時、ヤツが動いた。 「ひっ、ヒィィ……!」  き、毅然と、毅然とするんだろ俺! ……強く保たれていたはずの俺の心が、ヤツが一歩を踏み出した事によって縮み上がる。  ダメだ…! どうしても気持ち悪いしかない!  や、やっぱ言えないよ…! あんなねちっこくて陰気なヤツに面と向かって文句言うなんて、俺には出来ない…!  ヤツの一歩一歩がスローモーションのように見えて、まさに俺は先述のホラー映画の主人公と化して脅えた。 「ヒィっ……!? あ! か、か、和彦…っ」  どうしよう、どうしようと足踏みをしていたところに、突然肩に手を置かれて体が飛び上がった。 しかもおまけに変な声が出た。 「大丈夫、僕に任せて下さい」  振り向くとそこには、無表情の和彦と九条君が居て、何故二人が一緒に?と思う前に、すでに和彦はヤツの元へ歩んで行く。  ヤツは和彦の顔を見るなり踵を返してしまったけど、ものの数秒で追い付いた和彦はヤツの首根っこをとっ捕まえて引き摺り、どこかへ消えてしまった。  一部始終を見ていた周囲の生徒達の呆気にとられた表情と同じく、俺も呆然と、見えなくなった和彦の影を追う。  ……どこに行ったんだろ。  和彦の姿が見えなくなっただけで、何となく不安に襲われた。 「アイツここの生徒だったのか」 「……九条君……! そ、そうみたい。 全然目逸らさないんだよ、アイツ……! マジで怖かったぁぁ」  和彦と九条君が俺の背後に居たと分かった瞬間、驚きと同時に相当な安堵感を覚えた。  ホッとして力が抜けて、体がよろけた所を九条君に支えられる。 「なんで睨み合いしてたんだよ。 さっさと逃げりゃ良かったのに」 「だって……負けたくなかったんだ……」 「はぁ? 何の勝負をしてんだ。 てかあれはヤバいかもしれねぇな。 ついさっき話してたんだよ。 アイツへの報復はほどほどにしとけよって」 「報復って!? いや、そんな事より、なんで二人が一緒に居るんだよ。 ビックリしたじゃん」  ありがと、とお礼を言いながら、肩からずり落ちそうになっていた鞄を持ち直す。  そしてまた、和彦がヤツを引き摺って行った場所に視線を移した。  和彦が戻って来るのを待ち侘びているみたいだと思いつつ、本心からそう思ってるんだからしょうがない。  ヤツが俺にストーカーしてた時点で、和彦が考えそうな「報復」という言葉に一瞬ヒヤリとしたけど、そもそも犬猿の仲に見えた二人が揃ってこの場にいた事の方が俺は猛烈に気になった。 「根暗そうな金持ちが居たんで、俺から声掛けた」 「なっ……根暗ぁ? やめろよ、和彦の悪口言うの!」 「悪口じゃねぇよ。 ほんとの事じゃん。 ……ていう会話もさっきしたな」 「えぇっ? 二人、めちゃくちゃ会話してるな?」 「あぁ、なんで? お前選ぶなんて七海も相当変な奴だって言ったら、「七海さんの悪口言わないで」ってキレられた」 「…………! へへ……っ」  そうだよな、和彦はすかさず庇ってくれるって信じてたよ。  九条君は明け透けに、直接俺にも「変」とか「普通じゃない」なんて言うんだから。  「変」度合いは和彦には遠く及ばないし、何より俺は自分の事を「普通の見本」だと思ってるのに。 「そこでニタニタする所が、七海は変なんだよ。 不思議でたまんねぇ。 俺の方がまともだろ?」 「和彦はあれでいいんだよ。 変じゃなくなったら和彦じゃない。 俺は「まとも」だとか「変」だとかで人は見ないから。 てか本人目の前にして悪口言うなって」 「本音だっつってんのに」  その方が質が悪い。  ほんとにそう思ってるって事じゃん。  でも、和彦が引き摺って行ったストーカー男がどんな報復をされたとしても、和彦を正当化してしまうだろうなっていう予感は俺の中には確かにあって……。  それはすなわち、九条君が言うように……俺も……って事なのかな。

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