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自覚するのも勇気がいるんだよ。
和彦のおかしさに俺も慣れてきてる。
それどころか程よく馴染んで、和彦の異常なくらいの構いたがりに気を良くして、昨日なんか「寂しかった」って……子どもみたいな事言って縋った。
なんで俺を独りにしたんだって怒りまで湧かせて、連絡もよこさなかった事に嫉妬深い妻の如く悲壮感を顕にした。
───駄々をこねたのは俺の方だ。
「っつーかさぁ……その手首どうした? どっちかにそういう性癖があんのか?」
「あっっ………あ……!」
膨れてウーロンハイを飲み干した時、長袖から覗いた痣を九条君に見付かって指差された。
ど、どうしよう……っ。
今日一日、ずっと寒いフリして過ごして誤魔化してたのに……お酒を飲んでつい気が緩んでしまった。
怪訝な顔を浮かべていた九条君は、俺と和彦を目線だけで交互に見ている。
「こ、こ、ここ、これは……」
「僕が縛ったんです」
「─────!」
朝のキツーイ追及を思い出した俺は、テーブルの下で手首を擦りながら俯いて、必死で言い訳を考えていた。
ところが隣から飛び出したド直球な潔い告白で、朝から冷や汗もんで誤魔化し続けた俺の苦労が水の泡となる。
平然とカシスモヒートのグラスを傾ける横顔を見るとカッと頭に血が上って、湯気どころか炎が出るかと思った。
「和彦!!」
「はい、七海さん。 ……あ、怒ってる。 可愛い」
「~~~~っっ」
まだ一杯しか飲んでないのに、急に勢い良く立ち上がったせいか頭がクラクラする。
和彦……なんでそんなに平気なんだ。
自分が咎められる立場にいる事、分かってないんじゃないのか?
さっきまで店長さんをペコペコさせていた九条君が相手なんだ。
ぶっちゃけたら当然、追及が待っているに違いない。
……と一人で現実逃避にも似た予想を立てていると、その時はすぐに訪れた。
「縛ったってお前……サディストなのか? 七海を傷付けて楽しんでんのか?」
「そんなわけないでしょう。 少々その気があるのは否定しませんが、痛め付けて喜んだり興奮したりはしません」
「その気があるってどういう事なんだよ! 俺やだよ、てかヤダっていっぱい言ってただろ! それでもやめなかったのは誰だ!」
「確かに解けないように結びましたけど、あれは七海さんが外そうともがいたから締まっていったんです。 それに、七海さんの魔性を目の当たりにした僕が我を忘れるのは当たり前の事ですよね。 至極当然の流れでした」
「はぁっ? ヤダって言って解いてくれないのはサディスト同然だと思う!」
至って冷静な和彦は、とても人間不信とは思えないほどスラスラと言葉を紡いだ。
まるで俺がムキになってるのを楽しんでいるみたいに、右手から箸を離さない。 っていうか平然とたまご焼き食べてるし。
黙って漆黒の前髪をかき上げた九条君などそっちのけで、俺は距離を取りながら和彦の瞳を見詰める。
縛るのが当然だなんて、誰が聞いても「おかしい」って言うだろ。
許した俺も俺だけど、ヤダって言ったもん。
こんなのヤダ、恋人同士がするエッチじゃない、ぎゅって出来ないから早く外してって、ちゃんと言ったもん。
この状況で箸と口を動かしている事に呆れたところで、俺を見る度に微笑んでいる和彦は絶対に自分が正しいと思ってる。
「泣いたり怒ったりする七海さんには興奮しますけど……あえて痛め付けて快感を得ようなんて思いません。 そうですね……僕だけの七海さんで居てくれれば、僕に不安を与えなければ、他所に魔性を振り撒かないでくれれば、僕から離れないでいてくれるのであれば、毎日「好き」と言って抱き締めてくれるのなら……二度とあんな事はしないと誓います」
「………………」
「………………」
───え? 何だって?
今度は九条君が呆気に取られる番だった。
もちろん俺もポカン…だ。
「な、何? 条件多過ぎて覚えらんないよ! なんて言ってた!? 九条君! リストアップした!?」
「七海、声落とせ。 他の部屋まで筒抜けだぞ。 そして俺を巻き込むな」
「……だって……!」
ちょっとカッとなって声が大きくなっちゃってたのくらい、自分でも分かってる。
和彦に流されるだけ流されて、俺はもう溺れる一歩手前まできてるんだ。
縛られた痣が残ってて長袖を着る羽目になっても、万が一バレて和彦が悪者にならないように必死で下手な嘘を吐こうとした俺は、すでに救命胴衣を脱ぎ捨てている。
溺れたくない。
未だきちんと言えてない「好き」という言葉を毎日言うだなんて、そんな事したら俺はほんとに後戻り出来ないところまで和彦に堕ちてしまう。
最後の部分だけ切り取って聞いてしまった俺は、足りない「自覚」という大きな壁にぶちあたった。
素面で素直になるって、ほんとに、ほんとに、難しいんだよ。
「七海さん、落ち着いてください。 そんなとこに居ないで戻っておいで。 ほら、僕の膝の上、空いてますよ」
席からどんどん遠ざかる俺に、やっと箸を置いた和彦が自身の太腿をトントンと叩いて呼んでいる。
「誰が行くか!」
「そんな遠慮せずともいいですよ」
「行かない!」
「よしよーし、おいでー」
しまいには手を打って笑い掛けてくる和彦は、俺の気持ちも知らないでひどく楽しげだ。
和彦に流されていてもいいものか、漫画の中の溺愛攻より斜め上な愛情を、丸ごと受け取っていいものか……葛藤した。
気持ちは定まってるのに素直になれない俺も充分ヘタレだと思いつつ、じわりじわりと席へと近付く。
今は九条君の目がある。 だから、和彦の膝の上には乗らない。
「……俺はペットじゃないんだぞ!」
「ペット……?」
「あっ、いや、今のは違うな、また言葉間違え……」
「いいですね、ペット」
何事もなかったかのように腰掛けて、冷静さを取り戻すために静かに深呼吸した。
似たようなやり取りを朝もしたから、俺の予想が正しければ、きっとまた和彦はとんでもない事を言い出すんだ。
「僕のペットになりませんか? 七海さん」
「───ならない!!」
……ほらね。
見詰めてくる視線が本気でそれを望んでいるように思えてならない。 油断してたらほっぺたが赤くなる。
そんなに俺の事好きなの?って、返事の分かりきった問いをしてしまいそうになる。
「なんだ……また糠喜びですか……」
呟いた和彦の横顔に「ふんっ」とそっぽを向いた俺は、無意識に手首を触っていた。
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