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掴もうとした腕からすり抜けた七海さんは、「おい!」なんて声を荒げて中へ突入してしまった。
僕も入るべきか躊躇しているうちに、七海さんと彼女達は言い合いへと発展してゆく。
「えっ? 誰?」
「お前達が誰だよ! 和彦の悪口言ってたのバッチシ聞いてたからな! 最低なのはお前らだろ! コソコソ陰口叩くな!」
「え、和彦って……?」
「佐倉くんの事? 陰口って……何で私達が責められなきゃなんないの?」
「そうよそうよ。 挨拶してもまともに返してくれないなんて、性格極悪じゃん」
「人としてどうなのってレベルよ?」
「………………!」
七海さんが押し黙った。
ここからは姿が見えないから、彼女達も七海さんも今どんな表情をしているのか想像する事しか出来ない。
わざわざ正すつもりもないけれど、挨拶されたら返してたよ。 ……素っ気なく。
それ以上は僕に踏み込まないで、ってすぐにシャッターを下ろしていたのがいけない。 そんな事は分かっている。
今の僕には、それがいけない事だったって、分かっている。
「…………和彦の事、何も知らないくせに」
「はあ?」
「何にも、何にも、知らないくせに!」
「何熱くなってんの? てかあんた誰よ」
「お前達こそ誰だよ! 名前も顔も知らないお前達に、和彦の事を悪く言われる筋合いはない!」
───七海さん……。
怒っている七海さんに、不覚にもキュンとさせられた。
そんなに怒ってくれなくていい。 七海さんがとばっちり受けて嫌な気持ちになるかもしれないのに、僕のために声を荒げてくれた事が嬉しくてたまらなかった。
心が疼く。 どうしようもなく、七海さんを抱き締めたい衝動に駆られる。
何も知らない彼女達が悪いわけじゃない。
これまでの僕が褒められたものではなかったから、こんな風に言われちゃうだけなんだ。
───変わるよ、七海さん。
僕は変わる。 七海さんが迷い無く僕を庇って憤ってくれた気持ち、絶対に無駄にしない。
「こわーい。 なんなの?」
「ねぇ、もう行こうよ。 外も暑いのにこいつ居たら室内まで暑くなるよ」
「〜〜っっ、待て!」
「何よ!」
「うるさいのよ、和彦和彦って。 私達はただ愛想のない男はヤダねって話してただけじゃん!」
「……っ佐倉くん!?」
飛び出してきた三人の女性達は、そこに居た僕に気付いて一気に焦りの表情を浮かべた。
「あ、あの……っ」
「佐倉くん、私達は別に……!」
「えっと……、あの……」
取り繕うのか、勢いのまま罵倒してくるのか。
過去を反芻しながら、僕は立ち止まった彼女達の様子を見守る。
どんな反応をされても考えている台詞は同じだけれど、少しだけ間を空けたのは、七海さんの言っていた事を思い出していたからだ。
『あとほんのちょっと周りに目を向ければ、意外と敵ばっかりでもないじゃんって気付けたはずなんだよ』
僕がいけなかったから。
僕が弱虫でヘタレで変人だったから。
誤解を招く行動を取ってきた、僕が全面的に悪いから。
何を言われても仕方ない。 当然の報いだ。
「……っ、私達は、……その……」
「今、話してたのも、……」
「悪気があったわけじゃ……」
僕が順に彼女達を見詰めると、さっきまでの勢いはすっかり無くなって項垂れていった。
そばでまだ怒った顔をしている七海さんを瞳で制すと、僕は一歩近付いて屈み、三人の顔を覗き込んだ。
「ごめんなさい。 僕があなた方に失礼な態度を取ったのがよくなかったんです。 さっきの、僕は気にしていませんから。 嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさい」
頭を下げて詫びた僕の頭上から、息を呑む気配がした。
変わらなきゃと思うと、自分と向き合う事まで出来るようになる。
この場で七海さんが僕に見せてくれた大切な心意気も、背中を押してくれた。
……伝わるかな。 ……伝わるといいな。
「和彦……っ、何も謝んなくても!」
「そ、そうよ!」
「謝ってほしかったわけじゃない、から!」
「さ、佐倉くんっ、頭上げてよ……!」
近付いてきた七海さんの声に上乗せするように、彼女達も畳み掛けてくる。
顔を上げると、三人がどうしたらいいか分からないって表情で見ていたが、その挙動ですぐに僕への悪意が無くなったと分かった。
「いえ、僕が失礼な態度を……」
「違うの! さ、佐倉くんが、……」
「佐倉くん、みんなと話そうとしないの、勿体無いって……」
「みんな、言ってるよ。 佐倉くんと……話してみたいって」
「………………」
それは、どういう意味で?……と、昔からの癖でついそう思ってしまったけど、口には出さなかった。
もちろん僕だってこのままではよくないと思ってる。
将来のため、何より僕自身の成長のためには、人とのコミュニケーション能力を大学在学中に学んでおくべきなんだよね。
でも急にそんな事を言われても困ってしまう。
話したいから陰でコソコソ言うっていうのもよく分からない。
無意識に七海さんに助けを求めて視線を送ると、それに気付いて僕の隣に戻って来てくれた。
「じゃあ今みたいにコソコソするなよ。 あと訂正したいのが、挨拶はちゃんと返してたと思うよ、和彦」
「……それは……そう、かも」
「だろ? 御曹司なのはほんとだけど、性格に関しても極悪なんかじゃない。 和彦はめちゃくちゃ優しいよ」
「そうなの?」
「だって佐倉くん、話し掛けるなって感じだったから……」
「私達も知らなくて……」
「これまでは極端に会話したがらなかったかもしれないけど、これからは話し掛けてやってほしい。 あんまグイグイいくと緊張するから、ソフトにな。 顔がイケてるからすかしてるように見えるけど、実は全然そうじゃないから」
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