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和彦はしばらく沈黙していた。
コーヒーカップから上がる湯気が少なくなってきても、一度もそれを口に運ばなかった。
思い詰めた様子でテーブルのどこかをひたすら見詰めて、たまに「七海さん……」と助けを求めるように俺の手をキュッと握る。
テーブル上で見せ付けるように置かれた俺達の繋がれた手に、両親が無反応なのが救いだ。
黙りこくって数分が経つ。
いたたまれない俺は、張り詰めた空気を纏う和彦の横顔を見詰め続けた。
占部のお父さんの汚職を見つけ出す機会が四年も前からあったと知って、和彦は俺の不安視していた通り、きっと頭の中が「僕は最低だ」で一色なんだ。
勝手に決め付けたけど、たぶんそうだ。
「───僕はどうしたらいいでしょうか」
「ん?」
「僕は、何をどう動いたらいいでしょうか」
……えっ……?
おもむろに口を開いた和彦から、思いもよらぬ前向き発言が飛び出した。
てっきり俺は、和彦の事だから「そんな事言われても気付くはずないです」とか「四年もの間 僕は何をしていたんだ」とか、後ろ向きな考えを巡らせてるとばかり思っていた。
俺の想像以上に、和彦は積極的に行動する意思を見せた。
黙って考え込んでたのは、どうすれば解決出来るのかを真剣に算段していたんだ。
友彦お父さんを見詰める横顔が、曇ってない。
少しも自信無さげじゃない。
どうしよう七海さん……って、への字眉になってない。
ほんとに覚悟を決めてるんだ、和彦は。
友人である占部との関係よりも、将来の自覚が芽生えた和彦には選択肢すらないから。
これからどうなるのかを考えるんじゃなく、何をどうしなければならないのかを「社長」に問うた瞳に、迷いは無かった。
「案はあるかな?」
「……案、ですか。 セクハラ、パワハラ、不正、いくつも疑惑があるからには証拠がもう少し欲しいです。 四年、いや占部昭一が人の上に立ったその年からもしかすると始まっていた可能性があります。 ……調べます、徹底的に」
「そうだね。 うんうん、大事だよ、証拠集めは。 ん〜と、……あ、これこれ。 これは証拠になるかな?」
危機感のまるでない友彦お父さんが、まさに有能秘書よろしく結子お母さんから受け取ったUSBメモリを和彦に手渡す。
テーブル越しにそれを受け取った和彦が首を傾げた。
「なんですか、これ」
「四年前から集めている、経理課のちょろまかし前の伝票データだよん」
「何ですって!?」
「それ遡って見てよ〜。 本当にもう好き放題やってくれちゃってるんだよ〜」
「……その好き放題を黙って見ていたんですか? 僕が腑抜けてる間ずっと……」
「そりゃあね、親としては我が子が飛び立つ瞬間を見たいじゃないか!」
「だからってそんな……」
回りくどい上に親バカ丸出しだ。
ようやくイチャイチャを封印してくれたはいいけど、汚職を知っていても和彦の成長を見届けるために動かなかったなんて、やっぱりこの両親は和彦以上に「おかしい」。
親としての愛情と共に、そこに和彦を苦しめた底抜けの明るさ故の、無神経な鼓舞に対する謝罪が込められている事を切に願う。
そうでなきゃ和彦はいつまでも両親を受け入れないよ。
コトン、とUSBメモリをテーブルに置いた和彦は、やっとコーヒーに口を付けた。
温くなって飲みやすかったのか、カップの中がその一口で空になる。
「社内にある監視カメラの位置は占部も承知しているだろうからな。 セクハラの実態は知らなかった。 名探偵ななみお手柄!」
「えっ……? い、いえ、……俺は偶然見つけただけですから……」
「ハラスメントについての実態解明は二人に任せる。 汚職についての証拠は週末がチャンスだ。 取引先三社との合同立食パーティーがあるから、七海君も参加しなさい。 どれほど和彦が死んだ魚の目をしていたかよく分かるよ」
和彦にならって俺も温いコーヒーを飲んでいると、友彦お父さんにそう言われて吹き出しそうになった。
前回は少数規模の内々な食事会だったから、俺は参加出来なかった。
今や占部のお父さんの顔も悪事も把握済みで、たかだか一派遣社員の大学生である俺がそんな大層な場に居ちゃいけない気がする。
───でも、和彦が見逃してきた分かりやすい汚職の匂いはすごく興味ある。
「俺も参加を……? いいんですか、部外者なのに」
「名刺も注文しておくから、万が一誰かに素性を聞かれても秘書課の人間だと言えばいいよ。 七海君には、和彦の隣に居てほしいな〜!」
「……じゃあ……潜入捜査させて頂きます」
「それでこそ名探偵ななみ! よろしく頼むよ!」
なぜ秘書課なんだろうとは思ったけど、そういう事にしておいた方が結子お母さんと連携が取れるって意味だと信じて触れないでおいた。
何やら食わせ者のにおいがプンプンする友彦お父さんの言う事は、聞いておくに限るよな。
ハラスメントの件は和彦に一任されたし、占部のお父さんによる汚職の件も週末の立食パーティーで証拠が取れるかもしれない。
闇が深そうな占部のお父さんを捕らえれば、ポロポロと芋づる式に次から次へと悪事が出てきて、和彦が言っていた「悪を一掃する」という野望に一歩近付ける。
そうなったら、和彦の成長にもとても有益だ。
俺も出来るだけの事はしたい。 よく分からないけど、俺は名探偵らしいから気合いを入れて臨むよ。
「七海さん素敵……潜入捜査ですか」
「あっ、いや、だってそういう事だろっ? 違う?」
「いえ、その通りです。 警官服ってどこで買えるのかな……。 お父さん、ご存知ないですか?」
「ドンキとかネット通販を探してみたらどうだろう?」
「あぁ……ネット通販いいですね。 サイズは男性用のS? 婦人警官もそそりますが」
「おぉ! 婦人警官は萌えだな! いや、和彦にはムラムラか!? はっはっはっ……!」
「ムラムラで間違いないです。 どうでしょう、七海さん。 婦人警官で潜入捜査を……」
「〜〜〜〜ッッ、バカを言うなー!」
見直した途端にこれだ。
気を張っていた和彦がふにゃっと微笑んで、目の前の夫婦はケラケラと笑い、張り詰めていた緊張の糸は呆気なく切られた。
───親子共々脇腹を小突いてやろうか、まったく。
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