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七海さんが疲れてる。
仕事前にも少し寝たいと言って、早めに後藤さんに迎えに来てもらった車中で倒れ込むようにして僕の太腿に頭を乗せると、一分も経たないうちに本当に寝入ってしまった。
……さすがに一晩中は愛し過ぎたみたいだ。
「よく眠っておられますね」
「……そ、そうですね」
何だろう。 後藤さんに言われると、深い意味なんてないかもしれないのに妙に気恥ずかしい。
昨夜の僕達の逢瀬まで見抜かれていそうな視線が、ルームミラーからビシバシ飛んでくる。
それには気付かないフリをして、僕の膝に乗った七海さんのふわふわした髪を思う存分撫でた。
本社ビルの駐車場は地下だから、辺りは暗い。
よく眠れるようにルームライトは付けないでいたけれど、ちょっとだけ寝顔を見たくてスイッチに手を伸ばす。
……つくづく僕は、我慢が出来なくなった。
車内がほのかな灯りで照らされると、七海さんの愛らしい寝顔がたちまち僕の視界を潤す。
手入れされた整った眉も、瞑られた瞳に生えた長めの睫毛も、小ぶりで薄めの唇も、無防備でたまらない。 起きている時よりもこの寝顔はぐんと幼い気がする。
──可愛いなぁ…起きてると美人さんなのにな。
ツンと高い鼻先が可愛くて、人差し指で鼻頭をトントンすると嫌がって手のひらで払い除けられた。
熟睡してる。 可愛い。
払い除けた手のひらを握ってみると、冷房の効いた車中にも関わらずぬくぬくで、そのまま目を覚ますまで握っている事にした。
僕が我慢出来なくて七海さんに負担をかけてしまったんだから、今日くらいはお仕事お休みしてくださいって言ったんだけれど。
病気じゃないんだから休むわけない、眠たいだけ……と譲らなかった七海さんは、一度帰宅するのも渋ってこの状態だ。
「和彦様、七海様のアパートの引き払い手続きはどうされますか? これに関しては、保証人である七海様のお父上と話をしなければなりません。 七海様とはそのお話はされていますか?」
あぁ……そうだった。 あのまま無人の家を空けておくわけにはいかない。
危ない目に遭いそうだった七海さんが、何かのきっかけで帰ってしまわないように、元を断たないと。 っていうのを数日おきには考えているはずなのに、七海さんと居ると毎日がくるくると忙しくて後回しになっていた。
そうだよね。
七海さんが僕の家に住む事になった経緯と、それに伴いアパートを引き払いたいという旨を話して、お父様に許可を貰わなきゃいけない。
こういう時は、僕との関係も言った方がいいのかな?
それとも、七海さんはゲイだって事をお父様にも隠している様子だったから、言わない方がいいのかな?
「……和彦様、段階を踏みましょう。 お一人で行動してはなりませんよ」
「え、後藤さん。 僕の考えている事が分かったんですか?」
「えぇ、それはもう。 何年和彦様にお仕えしているとお思いで? 七海様との一件で、まだ和彦様には何事も独断専行してもらっては困ると改めて思い知りました」
「ひどいなぁ……。 まったくもってその通りだけど……」
黙って七海さんの寝顔を見詰めていただけで、僕の考えを読んだ後藤さんは流石だ。
──そうか。 段階を踏んでいくべきならば、僕が勝手にお父様にお話しに行くのはよくないよね。
何となく、「家はそのままにしておいて」と言い出しそうな七海さんの説得が大変かもしれないが、僕も譲れないと言い張ろう。
「それでは、引き払いの件は七海様とお話が済んでからで構いませんね」
「はい。 ……ところで、父からメールが入っていたんですけど」
「もしや社内の防犯カメラについてでは?」
「……そうなんです。 昨日の今日で早速手配したとは、仕事が早い」
ちょうど食堂でお昼を食べていた時だった。
唐突に父からメッセージが届き、文面を読んでソッとスマホをポケットに直した僕は、こうもスムーズに事が運ぶのなら早く気付かねばならなかったと、改悛し直した。
社内に新たに設置されたという防犯カメラは、今まで無かった各階の給湯室、小・中会議室、各部署のオフィスに一つずつ設置され、社長である父の握るパスワードさえ分かればすべての映像をリアルタイムでパソコンから見る事が出来るらしい。
僕が、社に蔓延る闇と対峙する決意をしたと分かった翌日にこれだ。
もっと早く腑抜けから抜け出せていれば、ハラスメントの被害者は増えなかったかもしれないのに……。
とは言っても、今さらそう後悔しても遅い。
一掃すべき悪は、これから名探偵ななみと徹底捜査しなければならないんだから、ここでまでヘタレを発揮してる場合ではないんだ。
すやすやというより、ぐっすりと深い眠りについている七海さんの頬に触れて誓った。
大いに発破をかけてもらわなくてはならないけれど、それを許してくれる七海さんの存在が僕のそばに在る限り、過去の自分には戻らない──と。
「友彦様も結子様も、とてもお喜びで本当に良かったですね。 七海様が和彦様に良い影響を与えて下さっている、と力説した甲斐がありました」
うんうん、と満足気に頷いている後藤さんの口振りは、真に何もかもが筒抜けである事を表していた。
「……その様子だと、両親には僕と七海さんの馴れ初めすべてを知られているんですね」
「申し訳ございません。 出過ぎた真似を」
「いいんです。 遅かれ早かれ両親には打ち明けるつもりでしたから」
「左様ですか。 後藤のお節介が見事実を結んで何よりです」
「二人には言えませんが、後藤さんの事は両親よりも信頼しています。 いつも見守ってくださって、ありがとうございます」
「……和彦様……!」
運転席から振り返ってまで、僕に感動の表情を見せてきた後藤さん。
思えば、独りよがりだった僕は感謝の心さえも忘れていた。
人として何が大切なのか、そんな事も忘れてのうのうと生きていたなんて……本当に僕は愚か者だった。
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