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「……七海さん、抱き締めてください」
「…………はいはい……」
「すみません……七海さんに捨てられるという残酷な妄想が駆け巡ってしまって……」
「いきなり妄想して暴走するなよ」
「………………」
驚くじゃん、と笑いながら背中に腕を回すと、無言の和彦からまた体を締め上げられた。
そんなになるまで残酷な妄想してるんじゃないよ。
俺は一言たりとも捨てるなんて言ってないし、そんなつもりも毛頭無い。 和彦の暴走が不意にやって来てもこんなに落ち着いてて、今じゃ笑ってやる余裕まであるってのに。
出会った時を思い返してみろよ。
見ず知らずの男に初めてを奪われて、訳の分からない突飛な事をたくさん言われて気味悪がらせて、休む間もなくずーっと怒らせてくるからドン引きまでしてたんだぞ。
何だコイツ、頭おかしいんじゃないのって。
マイナスイメージから入った和彦への怒りがいつから「恋」に変わってたのかなんて、もう思い出せないくらい和彦の事を好きになっちゃったんだよ。
あれも今考えてみると……暴走の一種だったんだな。
独身をこじらせた中年男みたいに融通が利かなくて、独りよがりで聞く耳も持たなかったんだから、俺の話が通じるはずもなかった。
佐倉和彦を知った今なら、何もかもの辻褄が合う。
暴走して取り乱し始めたら、安心させてやるようにぎゅっと抱き締めてあげるとこの妄想和彦はあっさり落ち着くと分かった時は、なるほどと思ったもんだ。
両親と離れて暮らし、本当の意味で甘えられる人が居なかった和彦は愛に飢えている。
すぐによくない方へ考えて病んでしまうのも、孤独な期間が長過ぎたせいか自分で自分が信じられなくて、でも誰か一人でも己を分かってくれる人が欲しかったんだ。
そんな人は居ない、一匹狼を自ら望んだ自分なんかを好きになってくれる人などきっと現れない、……そう悲観しつつ、和彦は心のどこかで探し求めていた。
心許せる人を。
よく分からなかった愛というものを託せる人を。
不安に陥ったらすかさず抱き締めてくれる、絶対的な味方で居てくれる人を。
「…………和彦、……」
「七海さん、好きです。 好きなんです。 どこへ行くにも、何をしていても七海さんと居たい。 姿が見えないと不安なんです。 居場所を知っていないとおかしくなりそうなんです。 七海さんが僕ではない人を視界に入れているだけで、胸が苦しくて涙が出そうになるんです」
俺の耳元で、どこかが激しく痛んでいるかのような切なる和彦の声が、重たい愛をこれでもかと伝えてくる。
捨てないで。 離れていかないで。
愛を失ったら生きている意味がなくなる。
……重た過ぎる和彦の想いは、「恋」をしてしまった今の俺には温かいお風呂に浸かってる気分になるくらい心地良い。
このまま浸かっていたいと思わせてくれる。
あ、これ……あれだ。
攻めに溺愛されてる受けが、迷惑だって強がりながらも嬉しそうに照れてる漫画を読んで、俺はその受けが死ぬほど羨ましかった事を唐突に思い出した。
「……すげぇ……。 『ヘタレ御曹司は独占欲丸出し狼でした』って、めちゃくちゃそそるキャッチコピーだな。 ……嫌いじゃないよ」
「僕と同じくらいおかしな七海さんなら、受け入れてくれると思っていました。 ヘタレっていうのはこれから見直していきます。 そのためには、七海さんがリストアップしてくれた事、一つ一つ直していくように努力しますね」
「俺はおかしくないっての。 てかもう、和彦はそのまんまでもいいかなって思っちゃてるんだけど、納得しないよな?」
「……そうですね。 僕は愛する七海さんを幸せにしつつ、何でもこなせる『スパダリ』ってやつになりたいです」
ヘタレって言葉すら知らなかった和彦が、スパダリなんて言ってるんだけど。
俺がこっそり楽しんできた秘めていたい趣味を知られてしまったのは、やっぱり失敗だった。
男同士の恋愛小説や漫画があるって事、俺は匂わせた程度で直接和彦に話した覚えなんてないのに。
いつの間にか詳しくなってきてる和彦は、ヘタレの意味もスパダリの意味も分かってて使ってるから、危ない道に引きずり込んじゃってるみたいで妙な気持ちになる。
「どこまで俺の趣味に首突っ込んでんだよ! 和彦はああいう漫画は読まなくていいから!」
「七海さんの好きなものは、僕も好きでいたいんです。 出来る限り、七海さんの思い描いていた「恋」をしたいですからね。 勉強させて頂いています」
「…………っ!」
いや、そんな勉強するほどのようなもんじゃないのに……。
ふと和彦が顔を上げて、傾けてきた。
ちゅ、と俺の唇を啄んでベッドから離れた和彦は、さっきの暴走は何だったんだってくらい落ち着いた様子でスマホを手に戻ってくる。
「七海さんの一番のオススメは何ですか?」
「……なんのだよ」
「漫画です」
「だーかーらー、読まなくていいって言って…………スパダリ攻めと凡人受けがオススメ。 ……好み」
「題名打ち込んでください」
「い、嫌だ、恥ずかしいよ! まさかここで読むなんて言わないよなっ?」
何故かノリノリな和彦からスマホを手渡されても、密かに楽しむものだという意識が強かった俺は顔面を熱くしながら抵抗を試みた。
だけど和彦はニコッと微笑んで、こう言ったんだ。
「僕の願いは、七海さんが望む恋です。 この場所で、七海さんの理想とする恋を知りたい。 共感してあげたい」
「………………っっ」
恥ずかしさなんてぶっ飛んでしまうほど、いま和彦がスパダリに見えた──なんて言ったら、和彦は極上の優しい笑みを浮かべながら抱き締めてくれるに違いない。
俺の恋はもう、スマホになんか無い。
今ここに、目の前に、ある。
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