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第一章 楽しい日曜日 2
楽しい日曜日 2
ビラ。円タク。人混み。喫茶店。芸人。看板。のぼり。
「おもしろいことがいっぱい集まってるね」
「そうですね」
義兄が楽しいなら、呟きに対し、首を横に振る理由は無い。
「映画を見に行きたい」
かねてからの義兄の主張だが、さすがに二人だけでは行けないので、養父かお手伝いのトミさんが、前もって付き添いを頼んでいたらしい。
「離れてはいけませんよ。人が多くて迷子になってしまうから」
「はーい」
「はい」
手を引いてくれる紬姿の婦人は、塚原良枝 嬢。大学教授の御父上をもち、欧州へ留学した才女で、義兄の家庭教師である。時間があるときは、こうして遠出の引率をしてくれる。
良枝先生いわく、「知識をつけた女は、暇だからですよ」
僕からすると「顔見知りのお姉さん」だが、義兄に倣って良枝先生と呼ぶ。つんとしたところのない、温和な人だが、義兄と僕が喋ったりすると、どぎまぎしたような顔になることがある。小さい声で何か呟くこともある(義兄によると、“良いものを見た”と言っているらしい)。赤面症か何かだろうか。
「二人のお父さまは、お仕事かしら」
「そうです。確か、なか…なか?」
「中野」
「そうだ。お仕事で中野に行くそうです」
「そうですか…あら」
良枝先生は義兄に指差して見せた。
「あの辺に十二階があったんですよ」
「あそこですか」
「どうして、十二階が気になるんです?」
「小説にでてくるから…」
義兄は、おどろおどろしい単語と共に紹介される探偵小説作家の名と、おそらくは作品名を口にした。
「私が貸したの。もちろん、人が死なない話をですよ」
「いいんですか、そんなの読んで」
「お父さんは何も言わないよ」
「あの人は変わってるんです」
「流だって、読めばきっと気にいるさ」
「…それはどうでしょうね」
気のない返事に唇を尖らせた義兄に、もう少しそっけなくしてやりたいような、すぐに謝りたいような、よくわからない心境になる。
とりあえず、だからわざわざ地下鉄に乗ってまで浅草の劇場に来たのだな、などと考えてみた。小説の舞台とやらを見たい気持ちもあったのだろう。ちらりと右を見やる。
そんな推測をしていることはバレていたらしく、良枝先生はコホンと咳払いする。
「もうすぐ劇場ですよ」
確かに歩く人がだんだんと多くなった。少し歩きにくい。
でも勝手に行ってはいけませんと、真剣に諭された。
「大通りとはいえ、何があるか分からないのですから。不良だったり掏摸だったり…」
良枝先生の右側を歩く義兄がくるりと振り向く。トミさんが仕立た紺のワンピースの裾が、ふわふわ揺れた。いつにも増して機嫌がいいのは、これを着ているのもあるだろう。可愛い服を身にまといたい義兄と、可愛い服を仕立てたいトミさんは、ある意味共犯のようなところがある。
「もし何かあったら、僕が流と良枝先生を守ります」
「まあ、頼もしい」
良枝先生はころころと笑った。冗談半分に聞いてるだろうけど、義兄ならできるというのはきっと知らない。だって。
「映画が終わったら、甘いものでも食べましょう」
「良枝先生」
「え」
前を向いていた彼女は、僕の呼びかけに視線を動かし、小さくさけんだ。
先生の袂に入りそこね、唖然とする男の手首を、義兄がしっかり掴んでいた。
先生、と当人はひそめた声で問いかける。
「こういう人を、掏摸というのですか?」
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