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27-[最終話]大きな鳥かご

白シャツにズボンという洋装に鉄紺色の一重を羽織った貴水が、低いエンジン音をたてる自動車を興味深げに眺めている。 「本当に行くのか」 何を今更だ。 別荘を借り自動車まで雇って行かぬ道理がない。 「全く、わざわざ高い金を出して買ったものを、高い金を払って壊しに行く意味がわからない」 頼んでもいないのに、たった二日の別荘の逗留をわざわざ見送りに来たのは、今からでも破壊を止められないかと思ってのことなのだろう。 「壊す意味は俺の中にちゃんとある。それは金よりもずっと大切なものだ」 「……だとしても、わざわざ別荘に行く必要があるかね」 「壊した廃材を片付けるのもなかなか骨が折れたからな」 「去年のあの夜のことか。居間なんぞで壊すからだ。しかしそれこそ手伝いを雇えば自動車なんかよりよほど安く済むだろう」 「別荘までの道すがら、感傷的な情緒を楽しみたいんだ。好きにさせてくれ」 貴水が新しく見つけてきたものを含め、三体の人形がすでに自動車のトランクルームに積まれている。 「それに、あっちもだ。君が清比古に良家の娘を紹介し、すでに婚約まで済ませたってのは本当なのか」 「ああ、本当だ」 「はぁ……君たちは恋人同士だったんじゃないのか。全く、どうかしているよ」 「全て清比古のためだ」 「それで、一人感傷旅行か。信じられないね」 貴水が外国映画の役者のように肩をすくめた。 「そんなわけないだろう。清比古も一緒だ。せっかくならこの日にと、わざわざ休暇を取らせたんだから余計に中止にするわけにはいかないよ」 俺と清比古が高校を卒業した日。 ささやかな行き違いで清比古と離れることとなってしまったこの日に、人形を全て壊し燃やしてしまうつもりだった。 「まさか……君、清比古の婚約の件は、以前冗談めかして言っていたことを本当に?」 「冗談なんか言った覚えはないが?」 それは貴水が拾ってきた噂話がきっかけだった。 さる名家の娘が下男と恋をし、若くして懐妊。すぐに相手と知れた下男は解雇。娘は腹が膨れる前にと慌てて嫁に出されたが、すぐに自殺未遂をして実家に返された。 その後も解雇された下男との逢引を重ね、引き離そうとすれば心中未遂。 まるで歌舞伎のようだと貴水は興味深げに語っていた。 俺もその話に大いに興味を持ち、娘の年齢と離婚歴、その後の動向からどこの家かをある程度絞った。 そして、銀行員としての縁やコネを存分に活用して当主たちに近づき、とうとうその娘のいる家を探し出したのだ。 少しでも娘に相応しい相手と再婚させたい親と、愛人と離れたくない娘。俺はそこに清比古を引き合わせた。 エリート官僚というのは、いつまでも独身で居続ければ将来に響く。 その上、清比古は実家と縁を切りたがっていた。 かつて手切れ金がわりに大金を仕送りし、転居までしたが、勤め先がわかっているため、縁を切れずに、頼られ、煩わされ続けている。 しかし、配置替えのある年度終わりに結婚し養子に入って名前が変われば、田舎から出たことがなく、つてもない親族は清比古の所在が掴めなくなる。 縁談話に当主は、エリート官僚とはいえ生まれの見劣りする清比古に、娘を嫁に出すなどとんでもないと拒否したが、婿養子だと言えば一転歓迎した。 娘は無事に下男との子供を出産しており、妻子として大切にしてくれるならば男女の愛は必要ないとも言ってくれている。 娘は当然、親が勝手に決めた縁談に反発したが、清比古が婿に入った暁には、下男を愛人として公認し、家に置いてもらう約束を当主に取り付けていることを伝え信頼を得た。 「なんて男だ。自分の恋人に、都合のいい嫁まで用意するなんて」 「大学時代の悪友に頼まれ、箸休めの漬物小説を書き続けてきた経験が役にたったよ。おかげで、お嬢と下男の美しき悲恋に、いいように続きの展開を書き、強引なオチをつけることができた」 「こんな無茶苦茶な筋書きを実現させる、君の度胸と行動力は大したもんだよ。ところで先方は君と清比古の関係は承知しているのか」 「もちろんだ。少し匂わせれば、すぐに察してくれた。当主とその娘にとって、清比古の恋人が俺のように良家の出で、経済的に自立した男であるということは、安心材料の一つなんだよ」 「はぁ……そこまでして清比古を逃したくないのか。彬はまるでハエ取り紙だな」 「失敬な。清比古をハエと一緒にするな」 「なんだ、自分は粘着紙でも構わないのか」 「ああ。そのくらいしっかり捕まえておきたいもんだね」 「ならいっそ、家にくくりつけておけばいい」 紐で縛る動きをして、屋敷を振り返る。 すると、ちょうど俺の屋敷からコート姿の清比古が出てきた。 いつもは官僚らしく撫でつけている髪をおろすと、大学生よりも若く見える。 「……待たせたね」 どうやら清比古がいるとは思っていなかったらしい貴水が目を丸めている。 「何を驚いているんだ?もうほとんどここに住んでいるようなものだし、当たり前だろう」 「いや、婚約したと聞いていたし、変わらず入り浸ってるとは流石に思っていなかった」 「貴水くん、僕は結婚後も変わらないよ。いや、結婚後はアパートメントを引き払うから、こちらが本宅のようになってしまうかな」 平然と言う清比古に貴水が大きく息をついた。 「全く、君は四角(しかく)四面(しめん)な官僚の見本のように見えて、彬以上に出鱈目(でたらめ)だな」 「ふむ、出鱈目とはサイコロの目のことだが、四角いサイコロは四面ではなく六面だ。貴水くんが僕の人間性を二面分見落としていたというのは、人形師としての観察眼にやや不安があるね」 もっともらしい口上でやり返すと、清比古は自動車に乗り込んだ。 「じゃあな、貴水、教えてもらった通りに彼らを分解して、見事に壊してくるよ」 「彬、せめて書斎にいた一番出来のいい少年だけは残しておかないか」 未練がましく思い留まらせようとする貴水に明るく手を振って、俺も清比古の隣に座った。 「では、行ってくれ」 運転手に言えば、ドッドとエンジン音と振動が大きくなり自動車が走り出す。 そして貴水と洋館は後方に流れてゆき、すぐに姿が見えなくなった。 いつもよりもにこやかな表情に、潤んだまなこ。 清比古もこの特別な旅に心が浮き立っているらしい。 俺の手をそっと握って、自分の太ももの上に置き、手のひらをくすぐってきた。 舗装した道路はすぐに終わり、都会のビルディングも後方へ去った。 さらに民家の立ち並ぶ道を抜けると、田園のデコボコ道に躰を大きく揺られはじめる。 真冬と比べれば陽光は温かいが、春と言うには寒さが厳しく、ようやく芽吹き始めた緑も薄い。 透明な空気にはっきりと浮かび上がる、絵画のような風景が流れていくのを眺めていると、煩わしい日常から解放され、どんどん現実感がなくなっていった。 「やっとだ」 満面の笑みに似合わぬ、低い声だった。 「……ああ、やっとだ」 これでやっと『あの男が作り上げた清比古』を全て、清比古の目の前で壊すことができる。 キュッと手を握って清比古が俺の顔を覗き込んできた。 「彬がやめたいと言っても、僕は壊すからね?」 「言うわけないだろ。どうしてそんなこと?」 言いづらいのか、清比古の手のひらが緊張で湿り気を帯びていく。 そして、独り言のように呟いた。 「……だって…………初恋……だったんだろ?」 「え……?」 「彬はあの夏祭りの夜、トランクケースの中の少年に恋をしていた」 「……………」 確かにあの夜、少年の凍えたような唇に息を吹き込み、滑らかな頬に指を這わせたいと思った。 けれど俺の目は本当に人形を見ていたのか……。 「清比古、君はもしかして……」 まるで屍体のように見えたあの生き人形の少年に、俺が恋をしたと感じたから、卒業を前にして、自分も俺の手で屍体となりたいと思ったのか? ……いや、『壊して』という願いは、清比古にとって様々に意味を持ち過ぎている。 彼の抑圧された想い全てがあの衝動につながったのだろう。 「これでやっと……彬が僕だけのものになる」 「清比古は、未だに俺の気持ちを信じていないみたいだな」 「あたり前だ。僕のどこに彬を独占できるほどの魅力がある?でも、これで少しは自分が彬の唯一の相手だと自惚れられそうな気がしているよ」 まったく困ったものだ。 とっくの昔に俺の心を独占しているくせに。 もっともっと清比古に執着しないと、俺は彼を好きだということさえ信じてもらえないらしい。 屋敷に檻を用意し、手枷をはめ一週間ほど閉じ込めれば、この疑り深い男は俺の執着ぶりに納得するだろうか。 車窓から森に目を向けると、大きな鳥が甲高い鳴き声を発して飛び立った。 ……ふむ。 案外悪くないかもしれない。 貴水も『家にくくりつけておけばいい』と言っていたことだし、彼に頼めばきっと、清比古に相応しい、大きく美しい鳥カゴを作ってくれる職人を見つけて来てくれるだろう。 そう言えば、清比古は俺に頼られることを非常に喜ぶ(へき)があった。 むしろ俺が鳥カゴに入って、清比古に甲斐甲斐しく世話をされる方が良いかもしれない。 どちらにせよ、長らくかかった約束を完了させる前に、新しい約束を交わしておけば、この不安症の男も落ち着いて俺のそばに居てくれるだろう。 「清比古、大きな鳥カゴがあったとして、俺を飼うか、俺に飼われるか。君はどちらが好みだ?」 肩を抱いて尋ねると、清比古の黒い目が、冬の夜空の星を集めたようにキラキラと輝いた。 《終》

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