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第1話
広瀬が大井戸署で上司だった高田に指定されて訪れたのは、古びた喫茶店だった。
約束の時間よりかなり早めに行ったのに、高田の方が先に来ていた。
今日は休みなのだろうか、平日なのにスーツではなく黒いクルーネックのシャツに薄手のジャケットを羽織っている。
冷房が効いた店内には静かにクラシックのピアノ曲が流れていた。
あわてて席の前にたった広瀬が挨拶する前に高田は座るように言った。それから、差し出されたメニューをみると何種類もコーヒー豆の産地が書かれていた。
高田は既にコーヒーを頼んでいた。なんとかモカとかいう珍しいコーヒーらしい。
メニューの中身についてのいくつかのコメントからすると、高田はコーヒーに詳しいらしかった。
大井戸署にいた時はそんな話はしていなかった。
いや、もしかすると周囲の人は知っていたのかもしれない。
広瀬は、大井戸署にいた時はワーカホリックで、ほぼ一日中仕事をしていて、高田と一緒にいる時間も長かったが、プライベートな付き合いも会話もほとんどしていなかったから、高田のことはよく知らないのだ。
広瀬は、違いがわからないメニューのコーヒー一覧を眺め、どれを頼むのか決めかねた。
そして、水とおしぼりをもってきた店員に感じよく促されるままに、見開きに写真付きで紹介されている無難そうなオリジナルコーヒーを頼んだ。
注文をとった店員が下がっていくのを見届けてから、広瀬は、高田に深く頭をさげた。
謝罪を口にしようとした。
とにかく謝りたくて、何度も何度も頭の中で繰り替えしていた言葉だ。
ところが、高田は手で広瀬を制した。
「ああ、もう、そんな面倒なことはいい」と彼は言いながら、広瀬の話を追い払うようにひらひらと前で手を振る。
「ですが」広瀬はどうしても謝らなければならない。「ご迷惑をかけてしまって、それに、警視庁を辞められたと聞きました」
「仕事は、もともと辞めるつもりだったんだ。お前のせいじゃない」と高田は言った。「前々から同期の男と会社やろうって誘われてててな、俺も老後のこともあるし興味があって、立ち上げからボランティアで手伝ってはいたんだ。で、そっちの仕事の方が上手くいって、どんどん業務が増えて手が回らないからとにかく来てくれって言われたんだ」
高田は穏やかな笑顔だった。
「お前のことが理由じゃない。俺が大井戸署を辞めたことは、気にしなくていい」
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