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10,波紋
結局昼前には撤収作業も完了し、俺はマネージャーの車に揺られていた。
向かっている自宅は撮影所近くの単身者用マンション。ユーマニオン・ネクストの撮影開始に合わせて移ったばかりだった。
撮影に集中できるようにと事務所が近くに住む場所を用意してくれたのに、現状まったく集中できていないわけだから情けない。
「あのさぁ一月」
車内の重々しい空気を破り、マネージャーが声をあげた。
「なんか食いにでも行く?」
「……? まだ昼前なのに」
そもそもあとの仕事もないのに、この人がメシに誘ってくるなんて滅多にない。普段の彼ならちゃちゃっと俺を送り届け、自分は事務所なり自宅なりに戻るはずだ。
「いいじゃんよぉ、朝早くから働いてたんだからさ」
そう言いながらマネージャーは、道沿いに出ている食べ物屋の看板を目で追った。
マネージャーが俺を連れてきたのは、幹線道路沿いに見つけた適当なチェーン店だった。
「なんでラーメン……」
あまり人気がない店なのか、店内はガラガラだ。
「一月、ラーメン好きだろ?」
「俺、そんなことひとっ言も言ってませんけど……」
「そうだっけ?」
マネージャーはパチパチと瞬きしている。本当にこの人は適当だ。
けど、目的は食べることじゃなく話がしたいんだろう。彼はまっすぐに通路を進み、一番奥の席を陣取った。
マネージャーと向かい合い、まあまあ清潔感のある2人掛けのテーブル席を囲う。
それから俺は醤油 ラーメン、マネージャーは担々麺を頼んだ。
「あーくそっ!」
運ばれてきたラーメンをすすっていると、向かいから悲鳴が聞こえてくる。
見ればマネージャーがジャケットの胸元をしきりに手ふきで叩 いていた。
「俺のカシミアがぁ……」
キャメル色のジャケットに、赤いラー油のしみが浮いている。彼の恨めしそうな目がこっちを向いた。
「これ、クリーニングしないと落ちないよな……俺も無難に醤油にしとくんだった。どうだよ醤油は」
「……え、まあまあ」
食欲もなかったのに、食べ始めれば熱いスープは当たり前のように胃に染みこむ。
「まあまあか。だったらもうちょっとくらい旨そうに食えばいいのに」
八つ当たりなのかなんなのか、目を細めそんなことを言われた。
そう言われてもグルメ番組でもないのに、味の感想を表現する必要性が感じられない。あえて説明するなら、何も言わないということは文句がないということだ。
それはともかくとして、ここでラーメンの味について語るのも時間の無駄だ。
「話があって来たんでしょ」
単刀直入に切り込むと、マネージャーは手ふきを置き、自分の前からどんぶりを遠ざけた。
「よく分かったな」
だとしたら話題はひとつだ。
「今日の俺が駄目だったって話?」
「いや、駄目っていうかさあ……」
奥歯にものが挟まったような顔をして、マネージャーは店内を見回した。
「別に、本当のこと言っていい。普段から上手くやれてるわけじゃないけど、今日のあれは特に駄目だった」
予定していたシーンが俺のせいで撮り終わらなかったんだから、自分でも駄目以外に言いようがない。
マネージャーの視線は店内にこれといったものを見つけられずに、俺の顔に戻ってきた。
「一月、俺が思うにお前は駄目どころか特別な人間だって。俺なんか、人の顔色窺って世渡り覚えて、やっとこの業界で生きられてんのに。お前はニコリともせずにじいさんたちに好かれて大事にされてさ。それもこれも持って生まれた才能のおかげなんだろうけど……」
マネージャーがふいに椅子から身を乗り出し、顔と顔が触れそうなほど近づく。
「あとこの顔な。イケメンはお得だよなあ」
鼻の頭をぐっと押し、ブタ鼻にされた。
意表を突かれて動けずにいると、彼は呆れたように笑って椅子の背もたれに背中を戻す。
「お前は普通と違うけど、間違いなく選ばれし存在だ。そんなお前の無様な姿を、俺はあんまり見たくないわけ」
(無様、か)
本当のことを言えとは言ったけれど、なかなかパンチのある言葉が返ってきた。
「お前、他の現場じゃ危なげないのに。ユーマニオンには思い入れがありすぎるんだよ」
それは否定できない。
「それとあれだな、スーツアクターの羽田光耀だ。あいつに挑発されて、自分を見失ってる」
「……っ、それは……」
黙って苦情を聞くつもりでいたのに、思わず反論の声が出た。手元が震えて下を向く。
持ち上げていた麺が箸から滑り落ち、どんぶりの中に大きな波紋を作った。
「あの人は関係ない……」
「関係ないどころか関係大アリだろ~。顔合わせの席でやり合ってたじゃないか」
「そんなの、もう、1カ月も前のことだ」
どんぶりから顔を上げられない。
「俺が気づいてないとでも思ってんのか? お前あいつのこと、いつも目で探してるだろ」
このマネージャーは案外俺のことをよく見ている。それに気づき、思わず箸を握り込んだ。
「こぼす」
テーブルの向こうから伸びてきた手が、どんぶりの上で俺の右手を引き上げた。
「なあ一月、お前は一種の天才だ。向こう1年はユーマニオンにかかりきりだろうが、そんなのはお前のでっかい未来への足がかりに過ぎない。来年は映画やドラマがばんばん決まるぞ!? 今までみたいなちょい役じゃなくて、当然主役だ! 大河、朝ドラ、そういうのからもお声がかかるかもな!」
それがマネージャーの夢なんだろう、彼の頬にはこらえきれない笑みが浮かんでいた。
彼は俺の右手をつかんだまま続ける。
「お前にとって羽田光耀は、良くも悪くも特別な存在なんだろうが……お前がスターになったって、あいつは黒衣 のまんまだぞ? 張り合うような相手じゃなくなる。だからもう、あいつのことは忘れろ! 関わったって悪影響しかない。頭ん中から追い出せ。いいな!?」
強く言って、マネージャーの左手がようやく離れた。
俺はすぐに箸を置き、横に置いていた手ふきをつかむ。
「一月……!」
念押しするように、上から言葉を被せられる。
「あいつとは関わるな! 間違ってもプライベートな付き合いなんかするな」
「プライベート? 考えてもいなかった、そんな心配いらない」
俺はキッパリと言って、手ふきで手を拭いた。
けど俺も、大河や朝ドラに興味があるわけじゃない。俺はユーマニオンレッドになりたくて役者をやってきたんだ。そのあとのことなんか考えられない。
そんな思いの一方で、今の自分では雑念が強すぎて、ユーマニオンレッドのスバルが務まらないのも事実だ。
(マネージャーの言う通り、羽田さんのことを頭の中から追い出さなきゃいけない……)
けれど頭の中にある彼の姿はどれも鮮烈で、簡単にはかき消せそうになかった。
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