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12,深紅の指輪
自宅の玄関に入り、羽田さんが天井から吊 されている裸天球を点けた。
暗い時間ということもあり、外からは古びたアパートにしか見えなかった。けれども中は予想外に広く趣のある部屋だった。
木目調の雰囲気のある空間に、観葉植物と雑多な小物が彩りを添えている。影を落とす柱と梁:(はり)が、奥へ続く秘密基地みたいな空間を演出していた。
羽田さんが奥へ行きまた明かりをつけると、10畳ほどのリビングが暖色系の光に包まれる。アンティーク風のテーブルと椅子、それから壁面収納に収められた本や雑貨が目に留まった。
「羽田さん、本とか読むんですね……」
雑誌、小説、新書。ジャンルや内容もバラバラだ。海外文学や思想書など硬そうなものも並んでいるところを見ると、むしろ彼は読書家の部類に入るのかもしれない。
「お前、俺のこと筋肉バカだと思ってるだろー」
そう言って苦笑いを浮かべる羽田さんの足下には、バーベルやレンチなど体を鍛えるための道具も転がっていた。生活にゆとりと奥行きを感じる。
(なんていうか、大人っぽい……)
そんなことを思っていると、彼はおもむろに本棚を漁り始めた。
「何か探してるんですか?」
「んー、ちょっとな」
「……?」
「あー、これこれ!」
棚の上に無造作に置かれていた、大判の雑誌を渡される。
(えっ、これ!?)
表紙に大きく印刷された、半裸の自分にぎょっとした。
「セックス特集、そしてグラビアは上岡一月くん! お前の方がよっぽど不道徳な感じだろ」
「いや、これは現場でいきなり脱がされて……って、なんで羽田さんのうちにあるんですか!」
「熊谷がコンビニで見つけて買ってきた」
また本棚を漁り始めた羽田さんが、俺に背中を向けたまま答えた。
「あなたたちは……俺の裸を見て面白がってたんですか……最低ですね!」
そりゃあアクションチームの筋肉ムキムキの人たちから見たら、俺の体なんて貧相なものだろう。見た目だけじゃない、身体能力だってそうだ。
ついさっき河原でかけっこした時のことを思い出し、二重にショックを受ける。
渡された雑誌を裏返してテーブルの脇によけると、羽田さんが戻ってきてそれを取り上げた。
「違う違う。誰もお前のこと面白がってなんかいない。こんなきれいな子がうちの現場に来るんだって、みんな喜んでたよ」
つまりオーディションのあと撮影に入る前に、みんなでこれを見ていたらしい。時期的にこの号が店頭に並んでいたんだろうけれど、何もこれでなくてもいいじゃないかと思ってしまった。
「服着てる雑誌もあったのに……」
「ああ、それも買ってきてたな。でもこっちの方が俺は好き。このライティングとかカメラワークとか……」
「カメラが好きなんですか?」
この人にそういう趣味があるのかと、カメラを探して部屋の中を見回す。
「いや、単にエロくていいなって」
「はいっ!?」
振り向いて睨 むと、伸びてきた右手に髪をくしゃっと掻 き回された。
「褒めてんだよ!」
「やめてください! 俺だって、好きで裸になったんじゃなくて……」
屈辱で声が震える。そんな俺を見て、羽田さんが慰めるように言ってきた。
「分かった、悪かったよ! お前はこういうの、嫌だったんだよな」
「そりゃあ嫌ですよ。脱ぐのも嫌ですけど、役柄じゃない自分を撮られるのは……。でも結局、カメラの前では演技する。俺には、それしかできなかった……」
ほんの少しの沈黙。
羽田さんが自ら乱した俺の髪を、軽く指で梳 いて整え直した。
触れられたくなんかないのに、この人の場合は触れ方が大胆で驚いているうちに終わってしまう。
「お互いに致し方ない事情はあるよな」
「お互いに?」
いったいなんのことを言っているのか。彼は困ったような顔のまま続けた。
「俺らはドラマの登場人物じゃない。人間だから、いろんな事情がある」
「まあそれは……」
彼の言わんとすることがようやく分かった気がした。
「つまり、顔合わせの日のことは大目に見ろと?」
この人が致し方ない事情に直面しているらしき場面を、俺はあの時以外で見ていない。
「んー、というか……」
羽田さんは曖昧に濁して続ける。
「俺がさ、お前の理想通りの俺じゃなくて悪かったと思ってる」
「え……悪かった?」
「うん、ごめんな一月」
思わぬ真摯な言葉を聞かされ、目が覚めた気がした。
そうだ、俺はこの人に勝手に理想のヒーロー像を押しつけて、裏切られた気になっていた。俺の方こそ、主演として完璧にはほど遠いのに……。
自らを省みて恥ずかしくなる。
「俺さ、結構馬鹿やったり、失敗したりもするんだよ。カメラの前ではカッコいいヒーローでいようとしてるけど、もともとそんな立派な人間でもないからさ」
羽田さんは切なげに微笑み、鍛え上げられた肩をすくめてみせた。
「けど、それも含めて俺だから……」
受け入れてほしい、そう続くんだろう。それを聞くより先に、口から言葉が出ていた。
「分かりました……」
「ホントか? 分かってくれたならよかった」
ホッとした顔をする羽田さんに頷き返そうとして、ふと思いとどまる。
「ただ俺は、あなたのああいう姿は見たくない」
キッと視線を向けると、彼の表情にわずかな緊張が走った。
「見たくない……?」
「当たり前です。あなたはやっぱり、ユーマニオンレッドなんですから」
「ユーマニオンレッドか……」
羽田さんは思考を巡らすように、ゆっくりとその名前を唱える。
「お前にとって、レッドってなんなんだ?」
そんなことは聞くまでもないはずだ。
「ユーマニオンレッドは、日本中の子供たちが憧れる理想のヒーローです」
その答えに、羽田さんの口角がきゅっと持ち上がった。
「そうだな、それをこれからお前と俺が作っていく。だったらお前も、完璧なレッドにならなきゃな!」
「俺も……?」
矛先を向けられて戸惑った。
「当たり前だろ。そしてここに、完璧なレッドになるためのすごいアイテムがある!」
羽田さんが笑いながら、こちらへ何かを放り投げる。とっさにキャッチして、俺は手の中のそれを見た。
「これ……!」
見覚えのある、深紅の指輪に息を呑 む。
「真ユーマニオンの変身アイテム。今ハタチだったら、初代じゃなくて真ユーマニオンの世代だよな?」
「はい、でも……これは?」
目を凝らしてよく見ても、製造メーカー名の表記はなかった。となると玩具じゃない。
「先輩のスーツアクターに譲られたんだ。その指輪はいくつかあってさ。そのうちのひとつを先輩は撮影終了の記念に貰 ったらしい」
「えっ……じゃあ、これは本物……?」
改めて息を呑む。震える手で指輪の手触りを確かめていると、羽田さんがその手をそっと上から押さえた。
「お前にやる」
「いや! こんな貴重なもの貰えません!」
宝石でなく単なる小道具だから、金銭的な価値はほとんどないに違いない。けれどファンからみたら宝石以上のお宝だ。
「そう言わずにお守り代わりに持っとけよ。明日から、完璧なレッドになるために」
(完璧な、レッドに……)
胸の奥に、深紅の炎が揺らめいた。
羽田さんは昼間のロケで、俺が上手くレッドになれないでいたのを知っていた。大切な指輪をくれるのは、そんな情けない俺へのエールなんだろう。
「俺……頑張ります」
指輪を握った拳を胸に当て、目の奥がじんじんと熱くなるのを感じた。
「あーっ、泣くなよ!?」
「泣いてなんか……」
唇をぐっと噛み、涙がにじみそうになるのを我慢する。
「うっわ……そういう顔すんのは反則だろー……」
羽田さんは見たこともないほど慌てた顔をしていた。
「羽田さんこそ、なんですかその顔は……」
「俺のことよりお前の顔なんとかしろ……。お前、ただでさえかわいいのに変な隙見せられると、こっちが慌てる……」
「……?」
彼はブツブツ言いながらリビングを往復したあと、お茶をいれにキッチンへ向かっていった。
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