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14,本音
「なんだ一月、ため息なんかついて」
気がつくとマスクを抱えた羽田さんが、熊谷さんを引き連れこちらに歩いてきていた。さっきのバトルシーンは問題なくオーケーになり、目の前のコンコースではまた違うシーンの準備が進められている。
「別に、なんでもありません」
というか、自分ではため息をついたことなんて気づかなかった。
「なんか暗くないか? 今日はお前、調子いいみたいなのに」
「普段から俺は羽田さんみたいにヘラヘラしてないですから」
言い返して、撮影の準備が進むコンコースに目を向ける。小道具さんがさっきのシーンで使ったブロック塀のかけらを、歩道からテキパキと撤去していた。
俺が暗く見えたなら、それは羽田さんとの実力の差を目の当たりにしたせいだろう。けれど、そんなことを打ち明ける気にはなれなかった。
「ふうん、それより俺の演技はどうだった? どっちがユーマニオンレッドにふさわしいか、その勝負がまだついてなかっただろ」
羽田さんは分かっていてか偶然か、今1番嫌な質問をしてくる。
期待に輝く瞳がこっちを見ていた。
「俺はまだ、負けを認めませんから」
「それ、現状負けてるって認めてるようなもんじゃないか」
「あなたがそうやってニヤニヤしていられるのも、今のうちだっていうことです」
少なくとも余裕で笑っているこの人を、俺はもう少ししおらしい顔にしてやりたい。そんな苛立ちとも闘志ともつかない感情が湧いてきた。
「へえ、面白いな!」
俺の肩に羽田さんが、ポンと手を置く。
「ひざまずいて靴の裏舐 めんのはどっちだろうな?」
カメラの前で散々動いてきただけあって、グローブ越しの手のひらが熱かった。彼のギラギラした輝きに、沸いてきた闘志がしぼんでしまいそうになる。
「ひざまずかれても、俺は靴の裏なんか舐めさせませんよ。だいたいそういう発想に問題があると思いますけど」
野蛮人が、という思いで睨んでみせて、羽田さんの体を押しのけた。すると彼は拗ねたような表情で俺の顔をすがめ見る。
「なんだよ、怒ってんのか? 靴舐めさせようなんて本気で思ってるわけないだろー」
(比喩ってことは分かるけど、だったらなんでそんなこと言うんだろ……)
どうも羽田さんは、俺にじゃれているだけらしかった。
「一月ってさ、俺にだけ当たりきつくねえ? 俺、結構お前に優しくしてるのに」
(優しいのかな?)
返す言葉に困ってしまう。そんな時、羽田さんが向こうから監督に呼ばれた。
「羽田くん、ちょっといいかな?」
「あーはい、今行きます!」
彼は俺になんともいえない視線を投げかけ、監督のところへ駆けていった。
それを見送ったあと、隣にいた熊谷さんが丸い鼻を掻いて笑う。
「ねえ、もうちょっとだけアニキに優しくしてやってよ」
「優しく?」
「うん、あれでアニキ、一月くんのこと大好きだから! さっきだって、めちゃくちゃ君の演技を褒めてたよ」
「羽田さんが……俺を褒めてた?」
むしろ笑われていると思っていたのに、熊谷さんの意外な言葉に戸惑ってしまった。
「アニキ、一月くんの演技見て、ユーマニオンに復帰してよかったって。一月くんと一緒にレッドを演じるスーツアクターが、自分じゃなかったらテレビの前で歯噛みしてたってさ」
「何それ……」
そんなことを言っていたなんて、普段の羽田さんからは想像もつかない。どう受け止めていいか分からず、俺は何度も瞬きしながら彼の背中を目で追った。
隣で熊谷さんが続ける。
「アニキも素直じゃないからさあ。信じられないかもしれないけど、僕に言わせればアニキは一月くんとレッドができて相当浮かれてるよ? 何年も一緒にやってるけど、あんなアニキ見たことない」
熊谷さんはそう付け足し、まるで自分のことのように恥ずかしそうな顔をした。
「あー、僕が余計なこと言ったって秘密だよ?」
「はい……」
(けど……羽田さんが浮かれて?)
そう言われてみるとあのニヤけ顔も、俺を小馬鹿にしているわけではないのかもしれない。〝やればできるじゃねえか〟なんていう上から目線の褒め言葉も、含むところのない本音で。そう考えると、なんだか肩の力が抜けてしまった。
「なんなんだよ……」
つぶやき、自然と笑いが込み上げる。
俺は少しナイーブになりすぎた。みんなはもともと、俺に対して好意的だったのに。
ここでやっていける。そんな手応えを感じ、またポケットの中の指輪を確かめた。こいつが俺の背中を押し、ユーマニオンレッドにしてくれる。大丈夫だ。
「……一月くん?」
うつむいてしまった俺のことを、熊谷さんが心配そうに覗 き込む。
「大丈夫です」
小さく笑って顔を背けた。今の締まりのない顔を、あんまり人に見られたくない。さっきまで羽田さんのニヤけ顔が気に入らなかったのに……。
(あの人のせいだ)
視線の先で羽田さんが、身振り手振りを交えて監督と意見を戦わせていた。その顔はとても生き生きしてみえる。
本当にいろいろと気に入らない点はあるけれど……俺もあの人以外に、一緒にレッドを演じるべき相手はいない気がした。
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