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15,アクション

 あれから2カ月――。  撮影は順調に進み、いよいよ『ユーマニオン・ネクスト』のテレビ放映がスタートした。  俺の抱える仕事も以前から決まっていたものはほぼ片付き、これ1本に集中できる環境が整った。  今日はスタジオ内に組まれたセットで撮影が行われている。 「麺を口元まで持ち上げたところで地面が揺れるから。スバルくんは割り箸を持ったまま、ラーメン屋から飛び出すんだ」  リハーサルに先立ち、監督からシーンの流れについての説明を受ける。最近は役名の〝スバル〟で呼ばれることが多くなった。 「つまり、今日もラーメンは食べられない……」 「当たり前だよー! その方がおいしい」  俺と監督のそんなやりとりに、そばにいたスタッフさんがクスッと笑った。ちなみに俺の演じるスバルは撮影に関わる大人たちの都合により、だいぶ不幸体質だ。 「で、割り箸を持って飛び出したところで、さっそく怪人が襲ってくるから。スバルくんはラーメン屋を守りながら戦う」 「えーと、まさか割り箸で?」  監督が持っているラーメンの割り箸に目が行く。 「あ、それもいいね!」 (いいのか!?)  そこでアクション監督が呼ばれ、割り箸を使ったバトルについての相談が始まった。 「じゃ、ここはしばらく変身せずに、生身で戦ってもらう感じで」 (つまり、羽田さんじゃなく俺が戦うのか)  セットの外で待ち構えていた羽田さんが、心外そうな顔をする。でも割り箸を持ったままじゃ変身できないんだからしょうがない。 「大丈夫かな?」 「一月くんならいけるよな!」  監督の問いかけに、俺ではなくアクション監督が答えた。 「はい」  主演としては、やれないという答えはない。 「オーケー! 時間もあることだしやってみようか」  監督が楽しそうに笑った。それから俺は熊谷さんと一緒に、アクション監督から動きの指定を受けることになる。 「まずここで割り箸を構える。熊谷くんが上から殴りかかってくるから、その攻撃を、お箸をそろえて受け止める」 「こんな感じですか?」 「そう、そこでもちろんお箸はまっぷたつになるわけだが……」  一連の動きを確認していたところで、ひとつ問題が出てきた。 「……と、ここで壁宙を挟んで距離を取り、カメラが正面に回り込んできたところで変身だ」 「えっ、壁宙ですか?」  要は、壁を蹴って後方宙返りをすることになる。やることは分かった。けれどそれを俺ができるかといったら、正直なところやったことがない。  俺の顔色を見てそれに気づいたんだろう、アクション監督が羽田さんを呼んだ。 「羽田くん、指導を頼めるかな。一月くんならすぐできるようになると思うから」  もともとの予定では、この辺りの演技は変身後の羽田さんがやることになっていた。だから彼に習うのが早いという判断だろう。  その間にみんなは俺たちのいない他のシーンを撮ることになり、別のセットが組まれているスタジオへと移動していった。 * 「一月を置いていくなんてなあ……」  マネージャーが、静かになったラーメン屋のセットの前でぼやく。 「アクション監督もさ、もっと丁寧に教えてくれてもいいんじゃないのか?」 「できると思ったから置いていった」  俺としてはそのことに不満はなかった。けれどもマネージャーは続ける。 「それは分かる、けど、彼に任せていくなんて」 (彼? そうか……)  俺が羽田さんを意識して自分の演技ができずにいたことを、マネージャーはまだ気にしているらしい。俺にとってはとっくに終わった問題なのに。 「俺がなんだって?」  ヒーロースーツを脱いできた羽田さんが、ランニングシャツのすそに風を入れながら歩いてきた。発達した腹筋に思わず目が行く。  いや、この人に見とれている場合じゃない。 「なんでもありません、それより始めましょう」  俺は羽田さんと2人でさっきの壁の前に立った。マネージャーの心配そうな視線は、あえて無視することにした。  羽田さんが先生の顔になって聞いてくる。 「えーと、そうだな。バク転とかバク宙はできるんだっけ?」 「はい、去年の演技指導の時にやりました」 「そうか。だったらまあ、なんとかなるかな。一月は運動神経よさそうだし。まずは見てな」  羽田さんは軽くジャンプして体を(ほぐ)し、ほとんど助走もつけずにそれをやってみせる。   大きく壁を蹴って宙返りをし、すっときれいに着地した。 「高さを出せればいいが、今回そこまでは必要ないだろ」 「はい」 「とりあえずやってみ? 初めのうちは俺が補助してやる」 「分かりました」  踏切の位置を確認し、羽田さんよりはいくぶん助走を付けて壁を蹴る。 (いけるか!?)  ところが補助をしようとする彼の手が背中に触れた途端、体が引きつってしまった。 「……っ!」 「おっと!」  バランスを崩した俺の体を、羽田さんの逞しい腕が受け止める。 「大丈夫か?」 「だ、大丈夫です!」  ふいに包まれた生々しい体温に、体はさらに硬直してしまっていた。  (おび)え、拒絶反応……、自分でもよく分からない。ただただ焦ってしまい、俺はとっさに彼から距離を取った。 「……? 本当に大丈夫か?」 「はい、すみません……」 (でも、今のは……)  心配そうにこちらを(うかが)う羽田さんと目が合い、とても気まずい空気が流れた。 「一月……!?」  セットの外側から、マネージャーが駆け寄ってくる。 「どうした? あんた、うちの一月に何をした!?」 「何もしてないって」  マネージャーに追及され、羽田さんは困惑顔で俺を見た。 「羽田さんは何もしてない。ただちょっと……俺が混乱しただけ」 (早く、普通に戻らなきゃ!)  俺は2人に背中を向け、壁に腕を突いてもたれかかった。そしてそのままじっとして、乱れてしまった気持ちを整えようとする。  ところがマネージャーが真横に回り込んできた。 「(うそ)つくなよー、顔色悪いじゃん! お前さぁ、なんかあるとすぐそうやってごまかすもんな」 「ごまかしてない……それより水」  右腕をめいっぱい突き出し、近づいてくるなという意思表示をする。 「水ぅう!? お前は王様かよ!」  マネージャーはブーブー言いながらも、水を買いにスタジオから出ていった。その背中を見送り、自然とため息が漏れる。 「一月って、もしかしてさ……」  2人きりになってから、羽田さんが言いにくそうに口を開いた。 「……なんですか……」  何を言われるのかと、反射的に身構える。 「いやさ……もしかしてなんだけど、人に触られるのが駄目とか……」 「……!?」  思わずもたれかかっていた壁から体を起こした。

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