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26,喫煙所

 プロデューサーはスーツの襟元を緩めながら歩み寄ってくる。 「今朝のことについて話したかったんだけど、タイミングがなくてね」 「それで……俺を追いかけてきたんですか?」 「まあ、そういうことになるのかな? あまり人に聞かれたい話じゃないしね。そうだ、よかったら一服付き合ってくれよ」  張り付いた笑顔のまま、プロデューサーは建物脇の喫煙所を目で示す。  何かある前に言えとマネージャーに言われていたけれど、彼は別件で午後からそばにいなかった。 (……仕方ない)  先に喫煙所へと歩きだすプロデューサーに、俺は少し遅れてついていく。すると自販機のコーヒーを買って渡された。 「君は吸わないよな? たばこの代わりにこれ」 「ありがとうございます……」  コーヒーを手にベンチに座ったところで、斜め向かいに座っているプロデューサーが切りだす。 「羽田くんとはどういう関係? 彼、僕のお気に入りなんだけどな」 (単刀直入だな!)  反射的にベンチの上で背筋を伸ばす。 「お気に入り、そうですか。羽田さんの方はあなたのこと気に入ってないみたいですけどね」 「へえ……?」  口元に近づけていたたばこを下ろし、プロデューサーがすっと目を細めた。 「面白いね、君は。だが質問してるのは僕の方だ」  さすが一癖も二癖もあるユーマニオンチームを仕切っているだけあって、当たりがきついし切り返しも鋭い。  けど二回りも下の俺を個人的なことで威嚇しようなんて、大人げなくはないのか。  慣れないたばこの香りを嗅ぎながら、俺は憤りを感じていた。  こんな人に、羽田さんに触れる資格はない。宇佐見さん風にいうなら、今ここで脳天かち割っておくべきなんだろう。俺の中の黒い感情が頭をもたげた。 「確かにそっちの質問が先でしたね。でもさっきの話、聞こえてたんじゃないですか?」  ベンチの上で脚を組み、精いっぱい不敵な笑みを浮かべてみせる。 「さすがに熊谷さんの前では否定しましたけど、俺たち今、付き合ってるんです」  そう言ってやると、プロデューサーの微笑の仮面がわずかに揺らいだ気がした。 (そっか、羽田さんが他のやつと付き合ってたら、それなりにショックなのか)  それが恋愛感情なのか単なる執着なのか、彼の心のうちまでは分からない。けれど隙が見えたからには、そこを攻めるしかないと思った。 「羽田さんは俺のなんで、ちょっかい出さないでくださいよ。あなたほどの立場の人が、お邪魔虫みたいな悲しい真似はしたくないでしょう」  自分の子供くらいの年のやつに想い人を取られるなんて、普通に考えたらやり切れない。けん制しつつも本気で同情する。  プロデューサーが片手で額を覆った。今度こそ微笑の仮面はパキパキと音をたてて崩れ去った。 「お邪魔虫かあ、言ってくれるね。けど、大丈夫なのかな? 君はまだ俳優として売り出し中だろう。恋愛なんかにかまけて変な噂が立ったら勿体(もったい)ないことになる」  彼の瞳には明らかな敵意が宿って見える。 (これは脅しなのか? それもいい)  俺はもともと、長いものに巻かれるような器用な性格じゃなかった。こういうことをされるとかえって闘争心が湧く。 「いいですよ、俺はそんなに今の仕事にこだわってないですし。悪意のある噂に悩まされるくらいなら、羽田さんと一緒にどこか海外にでも行こうかな……。ああ、でもみなさんは困りますよね? 主演の俳優とスーツアクター、2人同時に抜けちゃったら撮影がストップする。脚本も大幅な変更が必要ですよね」  他人事のように笑ってみせて、俺は暮れかけている遠くの空へ目を向けた。  それからふと思う。実際、羽田さんとの逃亡生活も悪くないかもしれない。あの人なら世界中どこででも生きていけそうだし、俺にだって当分遊んで暮らせるくらいの貯金はある。  今までとは違う世界が目の前に拓けそうな気がした。 「そうだ俺、南の島に行ってみたいな……羽田さんと美味しいもの食べて泳いで釣りをして。何もないところでのんびり過ごすのもアリかもしれない」  思わせぶりな妄想の世界を披露していると、プロデューサーがたまりかねたように声を荒らげた。 「君は! たかが男1人のために将来を棒に振るのか!」 「たかがなんて思うなら、あの人を俺に譲ってください! 俺、昔からファンだったんです。羽田さんがスーツを演じた作品は全部、舐めるほどチェックしています。インタビュー記事の載った雑誌も、もちろん全部持ってます。ずっとずっと憧れていて……それで、ようやくそばにいられるようになったんです。俺にはあの人しかいないんだ!」 「…………」  プロデューサーは気味悪げに俺を見て、ほとんど吸っていなかったたばこをひねり潰す。 「君はあまり頭がよくないみたいだな! せっかく才能があるのに勿体ない。恋より仕事を優先できなきゃ、この世界では生き残れない」 (……恋より仕事?)  意外な言葉に驚きながら、俺は目の前の男を見つめた。  恋に狂っているのはそっちの方じゃないか。俺はまだ、恋なんて知らないのに……。  たばこを捨てたプロデューサーは、そのまま俺に背を向けた。 「まあ、それも若さなんだろうね。羽田くんによろしく」  皮肉なのかなんなのか、彼は余裕たっぷりのセリフを残して去っていく。  俺は思わずため息をつき、握っていた缶コーヒーに目を落とした。コーヒーはまだ熱いのに、随分長い時間やり合っていたような気がする。 (今のは俺の勝ちなのか? それにしても今のキャラ設定、いったいなんだったんだ……)  羽田さんのためにユーマニオンシリーズの主演の座を捨てるなんて考えは、俺にはこれっぽっちもない。ただのハッタリだ。あの人と南の島でのんびり過ごすなんていうのも馬鹿げている。  けれども、ずっと羽田さんに憧れていたというのは、紛れもない俺の真実で……。 (俺にも、好きな人のために何かを捨てようなんて日が来るんだろうか……)  ぶるりと身震いして、未開封の缶コーヒーをベンチに置いた。  未来のことは分からない。けどあんなハッタリでプロデューサーを撃退できたなら、演技を学んでおいた甲斐(かい)があったのかもしれない。  俺も少しはあの人の役に立てたんだろうか……。  息切れするような疲労感と小さな達成感を背負い、夕日に染まる喫煙所をあとにした。

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