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28,決めるのは俺
翌日、撮影終了後――。
マネージャーと一緒にスタジオから出ようとしていたところを、監督に呼び止められた。
「急なんだけど来週、地方ロケをしたいんだ。一月くんは大丈夫かな?」
帰り支度の手を止め、マネージャーが聞き返した。
「えっ、地方っていうと……」
「雪山の絵が欲しくてね、長野の方に」
立ったまま監督は、俺とマネージャーそれぞれに日程表を手渡してくる。今まではロケがあっても都内か近郊で、遠出してというのは今回が初めてだった。
(雪山のシーンか。面白そう……)
俺は新鮮な思いで日程表に目を落とす。
ところがマネージャーが難色を示した。
「ロケ先に2泊……?」
「そうだね」
監督が頷く。
「来週かあ……急ですね。それ、一月なしじゃ難しいですか?」
(俺なし……?)
どうしてそうなるのか。マネージャーの考えが分からない。急な話ではあるけれど、ユーマニオンのためにスケジュールは空けてあるはずだった。
「なんで、宇佐見さん――……」
横から口を挟もうとすると、すかさずマネージャーに止められた。
「一月はそっちで待ってて」
後ろにある椅子を示されるが、あそこに座ったら会話に入れない。
(なんで俺が蚊帳の外にされなきゃいけないんだ、俺の仕事の話なのに!)
年齢のわりにつるんとしたマネージャーの頬を見ながら、胸にモヤモヤした感情が立ちこめた。
すぐに抗議することも、逆に諦めて座ることもできずにいる俺の代わりに、監督が食い下がる。
「2泊3日、なんとか調整できないかな? 雪のシーズンもそろそろ終わるし、今しか撮れるタイミングがなさそうなんだ」
「お気持ちは分かります。けど、俺もこいつを親御さんから預かっている身で。ほら、こいつまだ未成年に毛が生えた程度の子どもですから」
ハタチすぎてそんなことを言われるとは思わなかった。
マネージャーは続ける。
「だからその、行くなら一月なしでなんとかしていただけませんか? 台本をちょこっと調整すればできますよね?」
(台本をちょこっと調整? なんだそれ!)
仮にそんなことができたとしても、ストーリーが不自然になってしまうに決まってる。だいたいその台本で詰めてきた監督や脚本家に失礼だ。
俺の中にあるモヤモヤが、明らかな憤りに変わっていった。
「一月くんは主役だから、当然僕らとしても一月くんで雪山を撮りたいんだ」
監督の視線が、マネージャーの肩の上を通り越して後ろにいる俺に注がれる。普段は一見、気のいいじいさんにしか見えない監督が、決断を迫るような目をしていた。
(もしかして……決めるのは俺ですか?)
そのことに気づいた途端、胸に充満していた憤りが、すうっと清い空気に入れ替わった。
もちろん俺は行きたいし、行かないなんていう選択肢はない。俺はマネージャーの肩越しに、監督に向かって言葉を返す。
「俺、行きます」
マネージャーが勢いよく振り返った。
「一月、お前なあ! 何勝手なこと言ってんだよ。お前のスケジュールは、俺がいろいろ考えて――……」
「必要ないから!」
「は……?」
強すぎる言葉で遮ってしまったからか、マネージャーの顔が見たこともない形に歪んだ。
「一月っ、お前……」
「ごめん、でも俺、この仕事にかけてるんだ! オーディションの時、宇佐見さんは俺を見て〝命がけだな〟って笑ってたけど……今も、俺はあの時と同じ気持ちでいる。中途半端なことはしたくない」
マネージャーは固まったまま何も答えない。その向こうで監督が笑った。
「じゃあ……頼むよ一月くん」
説得は頼んだ、っていうことなのか。説得……そんな芸当が俺にできるのか分からないけれど……。
頷くと、監督は俺に頷き返してスタジオを出ていった。
「おい一月!」
「宇佐見さんは嫌ならついてこなくていい」
「そういうことじゃなくてだな~」
言い合う俺たちを見て、スタジオに残っていたスタッフさんたちがぎょっとした顔になる。
「……ここではなんだな。あとで話そう」
マネージャーはため息をつき、荷物を持ち上げた。
*
そして翌週、俺たちはロケ先へ向かう新幹線に乗っていた。
あれから何度か話そうとしたけれど、話し下手の俺と自分の言いたいことしか言わないマネージャーとではびっくりするほど話し合いにならず。
結局、今回は長野行きを強行する形になってしまった。俺は新幹線のチケットを自分で買い、マネージャーはブーブー言いながらもついてきて隣に座った。
それから彼はむっつりした顔のまま、隣でノートPCを広げている。
行楽シーズンでもないこの時期、しかも平日の朝早い時刻とあって、新幹線の車内はがらんとしていた。マネージャーの他に同じ車両に見知った顔はない。ロケ隊とは移動後に現地で集合することになっていた。
「あのさ、宇佐見さん」
不機嫌そうな横顔に向かって、俺は自分から切りだしてみる。普段沈黙を破るのはだいたいマネージャーの方だから、少し変な感じがした。
「怒ってる?」
反応がないので言葉を重ねる。するとキーボードを叩く手が止まり、ようやく彼が顔を上げた。
睨まれるかと思ったけれど、その表情はどちらかというと泣きそうに見えた。
「怒ってねえよ、怒ったって仕方ない。これも仕事だし」
仕事。その通りだ。俺たちは仕事のためにここにいる。淡々とやればいい。感情的になる理由はないはずだ。
それを胸の中で確認していると、マネージャーが笑いながら続ける。
「っつーかさあ、そろそろ2月も終わるのに雪山って! 俺、もうスプリングコート出しちまったよ」
「……? そういう問題?」
「もちろん、問題はそこじゃない……」
「じゃあ何、宇佐見さんが行きたくない理由って」
その表情が一瞬沈んで見えたけれど、またすぐにいつもの饒舌なマネージャーが戻ってきた。
「あのな~、一月は俺がわがままで行きたがらなかったと思ってるわけ? そんなわけないだろー! 雪山なんて雪崩とか普通に危ないし、大勢で泊まりとか、どーせ夜はどんちゃん騒ぎだぞ? そういうところにお前を連れていきたくないのは当たり前」
「つまり、俺が心配?」
「そうだよ心配だよ! あいつもいるしな」
(あいつって羽田さんのことか……)
本音はおそらく、俺と羽田さんがひとつ屋根の下に泊まることが心配なんだろう。部屋にあんなDVDが転がってるのを見たあとだ。分からなくもない。
けどそれは妄想が逞しすぎる。俺は鼻で笑ってやった。
「何それ、羽田さんがいたらなんなの? みんなもいるのに、なんかあるとでも思ってる?」
するとマネージャーはため息をついて答える。
「実際問題、何もないだろうけどさ。ただなるべくお前をリスクから遠ざけたい」
「リスク……」
芸能界みたいな不確かな場所にいて、そんなことを気にしだしたらキリがない。けれどそれより俺は、マネージャーがそんな言葉を使うこと自体に違和感を覚えていた。
「宇佐見さんって、そういうこと気にする人だっけ? 前はむしろ淡々と、仕事だけこなしてた気がする」
そう断言する自信はないけれど、最近の彼は何か変わった。その変化ときっかけを、俺はそばにいて見逃していたのかもしれない。
ところが彼は意外な答えを返してきた。
「変わったのは俺じゃなくて一月の方だろ」
「……俺?」
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