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33,距離
「今の……」
ぼんやりしていた頭が、すうっとクリアになっていく。
「今の、なんだったんですか……」
ぶるりと背筋が震えた。
俺の疑問に、羽田さんは質問で返してくる。
「お前んとこのマネージャーに殺されるかな?」
(やっぱ、殺されるようなやつだよな)
それはそうだ。あんなキスに、性的な意味合いが含まれないはずがない。腹の底が熱くなるのを感じながら、俺は濡れた唇を手の甲で拭った。
「な、な、なんで……こういうことするんですか!」
「だって、お前がしてほしそうだったから」
そう答える羽田さんの顔は笑っていた。
「はあっ? ちょっと待って……違います! 俺はそういうのは望んでなかったし……」
だいたいあんなキス、恋愛経験のない俺が知るはずない。
「なーに涙目になってるんだよ! さっきまで拒まなかったくせに。今さら泣かれても俺が傷つく」
冗談なのかなんなのか。けれどそんなことを言われて、俺もだいぶ動揺してしまった。
「あなたを傷つけたくない、助けにきてもらって感謝もしてるけど……こういうキスはやっぱりマズいです……! 俺と羽田さんの間でそういうのは、いろいろと問題が……」
必死にしゃべっていると、指先で下唇を撫でられる。
「だったら、どんなキスならいい?」
「えっ……どんなって……」
聞かれて思わず、そっちの方向に思考を巡らせた。
いやいや待て、どんなキスでも駄目に決まってる。俺は何を考えているのか……。
そもそも、なんでこんなにくっついてしまったのか。
ベッドの縁でお尻をずらして、羽田さんから距離を取った。
「どんなのも駄目です! 俺に触らないでください」
上着を貸してくれている羽田さんは寒いかもしれないけれど、ここは心を鬼にする。状況的に致し方ない。
「えー……一月冷たい」
羽田さんが拗 ねた顔をしてみせた。
「俺は冷たくないです、羽田さんが緩いんです!」
「緩い?」
「そうですよ! この前だってくっついただけでキスとかするし。そんなんだからプロデューサーにだってつけ入られるんです! あなたは、ただでさえ要らない色気を振りまいているんですから……自分の行動を見直した方がいいです、周りを振り回さないためにも!」
そうだ、振り回されて動揺させられているこっちとしてはたまらない。羽田さんは仮にも同じユーマニオンレッドを演じるパートナーで、俺の憧れの人なんだから……。
思いが通じたのかどうかは知らないが、羽田さんはその場で姿勢を正し、神妙な顔をした。
「そういやお前、プロデューサーに俺と付き合ってるって言ったんだってな」
「……へっ!?」
ここでその話が出てくるとは思わなかった。けど、考えてみればプロデューサーが羽田さんに、その話をしていても不思議はない。
「かっ、勘違いしないでくださいよ? あれは嘘も方便というやつで……」
「分かってるって。プロデューサーを諦めさせようとしたんだろ? あのおっさんも、さすがにハタチの子には敵わないって笑ってたよ。それで俺も一月とのセックスはめちゃめちゃ萌えるって話を合わせておいた」
「……!?」
「冗談だよ」
「やめてください、変な冗談は……!」
声が裏返ってしまったじゃないか。この人は不謹慎にも程がある。
思わず睨むと、羽田さんは笑いながら俺をひじでつついてきた。
「もともとお前が言いだした話だろ!」
それからふと、真顔になって聞かれる。
「いや……俺はいいんだけどさ、お前、後先考えないのか? まだ1年近くもここの現場にいるのに」
「それは……」
確かに俺たちが付き合ってるなんて噂が立ったら、俺も羽田さんも仕事がしにくいし、周りだって気を遣う。
そうなるくらいなら、もともと羽田さんがしていたように、現状維持で波風立てずにいるのが得策かもしれなかった。本人曰く、あの顔合わせの日以来、プロデューサーとはああいうことにはなっていないみたいだし……。
「でも……俺は嫌だったんです」
困っている羽田さんを放っておけない。彼にベタベタ触るプロデューサーが気に入らない。……ほとんど個人的な感情だった。
「仕事のことは考えなかったわけ?」
羽田さんが唇をへの字に曲げる。
「それは……俺にとってもユーマニオン・ネクストは大切な仕事ですから」
大切な仕事? いや、それ以上の存在だ。思いを巡らせる俺を、羽田さんは戸惑いの表情で見つめていた。
「だったら、なんでそこまで……」
「そんなの、聞くまでもないでしょう!」
話を打ち切るように強く言うと、少しして隣から乾いた笑い声が聞こえてくる。
「俺は仕事しにくくなるのも面倒で、あの人のことスッパリ切れずにいたのに……」
「羽田さん……」
彼は自嘲の笑みを浮かべていた。
「だったら……俺のしたことは迷惑でしたか?」
恐る恐る聞くと、強く背中を叩かれた。
「そんなわけない、嬉しかったに決まってる! 大事な仕事を危険に晒 してまで、俺を守ってくれたんだ。俺なんかよりお前はよっぽどヒーローだよ!」
(俺がヒーロー?)
なんだか信じられない思いで、隣に座る羽田さんを見つめた。さっき離れたはずの距離が、どちらからともなく自然と縮まっていた。
肩の先が、ほんの少しくっつく。
「お前なあ……俺なんか惚れさせてどうすんだ」
彼の冗談めかしたつぶやきに、胸の鼓動が大きく跳ねた。
(いちいち惚れさせてくるのは、この人の方だと思うけど……)
それから迎えが来るまでの数分間。俺は羽田さんの肩の重みと温もりを、胸の疼 きとともに感じていた。
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