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番外編,ユーマニオン後の未来

 桜のつぼみが膨らみ初める春。  その日は放映スタートが迫るドラマの撮影が長引いて、帰りは深夜過ぎになっていた。  実は運の悪いことに俺は今日、引っ越しの予定を入れていたのだ。  撮影スケジュールが変わってしまい、引っ越し業者の作業にはマネージャーが立ち会ってくれることになっていたが……。 (ここが俺の新居……)  忙しい中、図面だけ見て決めてしまった新築マンションだ。ここで合っているのか不安になりながらエントランスをくぐる。  オートロックのキーは無事に開いた。だったら間違いないだろう。  通りに面した建物の8階に俺の部屋があり、中庭を挟んだ向かいの建物の2階に羽田さんが引っ越してきているはずだった。  予定通りなら今頃、二人でお疲れ様会でもしていたはずなのに……。  中庭沿いの通路からバルコニーを見上げる。  あの人の部屋から明かりはもれていなかった。  バルコニーに見慣れない植木棚が出ているところを見ると、今日はいい仕事をして満足して眠ってしまったのか。羽田さんはあれこれ器用でDIYも得意だ。 (どうしよう、帰ったことだけでも連絡しておこうか?)  俺はスマホを出しタイムラインを開いた。  忙しい日々の中、連絡は一昨日、引っ越しの日に撮影の予定が入ってしまったという話題で終わっていた。  向こうからも引っ越しの報告がきていないのに、自分から送るのもどうかと思ってしまう。 (なるべく一緒にいたくて同じところに引っ越したのに、俺なんかいなくても羽田さんは全部ひとりでやってけるんだよな……)  今さら、そんな事実に凹んでしまった。  失意の中8階へ向かうエレベーターに乗り込み、それから部屋番号を頼りに自分の部屋を探す。  そういえば部屋は今夜、寝られる状態になっているんだろうか。さすがにマネージャーも荷ほどきまではしてくれていない気がした。  やっぱり気が重い。  なんとか自分の部屋を探し当て、鍵穴にキーを差し込んでカチッと鳴る音を聞いた。  そこで俺は、部屋の中に人の気配を感じ取る。 「あれ、宇佐見さん?」  普段からなるべく早く帰りたがる宇佐見さんが、こんな時間まで留守番してくれているとは思わなかった。  しかし他にここの鍵を持っている者はいないはずで……。 「おかえり一月」 「え……羽田さん?」  奥から顔を出したのは、向かいの建物にいるはずの羽田さんだった。  想定外の登場に、思わずドキッとしてしまう。 「どうした? 早く入れよ」 「なんで羽田さんが? 俺、部屋を間違いましたか?」 「そんなわけないだろ。お前んとこのマネージャーからここの合い鍵を預かったんだ。そんですぐ使うものくらい出しとかねーと困るだろうと思って。けど……」  彼が振り返って見る部屋の中は、ある程度ものが整ってみえる。ベッドもすぐに寝られる状態だった。 「一月の荷物が少なくてびびった」  確かに前のマンションから運び出したものは段ボール数箱分、家具はパイプベッドに冷蔵庫と洗濯機くらいしかなかった。 「前は事務所持ちのマンションだったので」  俺は上がっていって殺風景な1DKを確かめる。  冷蔵庫も洗濯機もあるべき場所に収まり、配線までされていた。 「これ、羽田さんが?」 「一応な。昔引っ越し屋のバイトしてた時のこと思い出した」  彼がそんなアルバイトをしていたなんて初耳だが、こんなかっこいい引っ越し屋さんが来たら俺はそわそわしてしまうと思う。 「あと冷蔵庫の中に適当に水とか入れといたけど、食いものはうちにいろいろあるから、キッチンはそっちメインだと思っていいぞ」  なんて至れり尽くせりなんだ。 「羽田さんの引っ越し屋さん、サービスよすぎますね」 「お前にしかしねーよ」  思わず照れ笑いになってしまう。  羽田さんもくすぐったそうに鼻の頭を()いていた。  それから彼はそばに来て、俺の肩に手を触れる。 「それで一月、撮影はどうだ? こっちはお前がいなくて、なんだか張り合いが足んねーよ」 「俺も、羽田さんのいない現場はもの足りないです。でもちゃんとしなきゃ。あなたにカッコいいとこ見せなきゃと思ってやってます」 「……ああ。放映楽しみにしてる」  彼のたくましい腕が俺の体を抱き寄せる。 「俺の一月……」 「羽田さん……」 「なあ、キスしていい?」  耳元で聞いた甘い声に背筋がぞくっと反応した。 「……あの、それはいいですけど……」 「けどなんだ?」  答える前に羽田さんの唇がこっちに擦れてくる。 「俺今日……、我慢できないと思います。もっとあなたに触れたい」  言いながら心臓の鼓動が速かった。 「マジか」 「ごめんなさい」 「え、俺が下?」  こっちはガチガチに緊張しているのに、羽田さんは笑っている。  笑った顔を両手で包み込んで、少し強引なキスを返した。 「それは……どっちもしたいです」 「おお、すげえな、ギラギラしてる!」 「もう、茶化さないでください!」  笑ったままの人の胸を押し、パイプベッドに押し倒す。  ベッドがギシッと大きな音を立てた。 「これ、引っ越し早々近所迷惑かもな……」  羽田さんが笑いを収めて壁を見る。 「今度もっとちゃんとしたベッドを買います」 「ならどーんとデカイやつ買ってくれよ。俺がそのベッドの上で、いろいろエロいこと教えてやる」  答えに詰まり赤くなる俺を見て、羽田さんはまた笑った。  それから俺たちは狭いベッドで抱き合って、お互いにキスをした。  去年の夏、南の島の砂の上で抱き合った記憶がよみがえり、心と体に火をつける。 「あの夏以来だな」  羽田さんが熱いため息を吐き出した。 「俺も今、そのこと考えてました」  あの時は波に流されて、助かって、今しかないって抱き合って。  二人とも生きて帰って来られたことは奇跡だった。 「一月。あの時握った手を、俺は離さないよ」  シーツの上で、手と手が、指と指が、固く結ばれる。  そして“ユーマニオン後”の俺たちの未来が始まった――。 ―了―

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