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第十一節気 小暑 末候*鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)

「離れゆく?」 「うむ、今は共にあり、愛し合っても、そのうちお互い離れ離れになるのでござる」  訝しげに眉をひそめる暁治(あきはる)に、我が意を得たりと、少年は得意げな表情を浮かべた。 「これは、はる殿と兄ぃの未来のことを暗示して――痛い痛いでござる!」 「もぉ、鷹野ってば、不吉なことを言うんじゃありませんのことよ」  ぽかり。ドヤ顔をした少年を、朱嶺(あけみね)は後ろから殴った。 「僕とはるはね! 運命の! えぇと、でぃすてにーらばーずなんだからね。こう、引き離されない永遠の絆というかまったりとしてコシのあるって、――はる僕まで叩かないでよ」 「訳の分からないことを言うんじゃない。おい、お前英語大丈夫か? 今度の期末テストで赤点取ったら、昨日言ってたホームセンターはなしだからな」  隣町にある大きなホームセンターは、県内で一番大きな施設だ。気軽に行くには少し遠いので、夏休みに入ったら車で行こうと昨日を約束した。  先日車がなくてと職員室で話していたら、品川先生が今度新車を買うとかで、譲ってもらえることになったのだ。ペーパードライバー一歩手前の暁治の、腕ならしも兼ねている。  彼の実年齢とか正体はともかく、学生である以上、指導するのが教師である暁治の役目だ。 「そんなぁ! 中村屋のハンバーグも?」 「ホームセンターにあるんだから、当然だろ」 「えぇ、僕最近それ楽しみに生きてるのにっ!!」 「つい昨日のことだろうが」  この世の終わりのような顔をした自称三百歳の後ろで、「(からす)は除け者にゃ」と、キイチが口元に手を当てにまりと笑う。 「先生、準備ができましたよ」  石蕗(つわぶき)の後ろから、シロクロが器を運んでくる。 「おぅ」 「ご飯っ!」  ショックを受けても腹は別らしい。席についたのは朱嶺が最初だった。みな一斉にいただきますと唱和して、箸を手に取る。暁治は柳田に惣菜を勧めると、正面に座る石蕗に目を向けた。石蕗はもちろん、柳田も人とは違う存在について、暁治よりよく知っている。 「弟弟子の世話をするって、具体的にどんなことをするんだ?」 「特にこれといってはないのですが、師匠の言葉をわかりやすく伝えるとか、弟子たちの取りまとめとかですかねぇ」 「ねぇ、当事者の僕じゃなくて、なんでゆーゆに聞くんだよ」  もぐもぐと、忙しそうにご飯を食べながら、朱嶺は不満げに口を尖らせる。 「そりゃそうにゃ」  うんうんと頷いたキイチは、暁治の皿から取った卵焼きを、もぐりと口に入れた。 「烏は信用ないのにゃ。昨日もおれのマグロを取ったのにゃ。極悪人だにゃ」 「取ったもなにも、あれはみんなの刺身でしょ」  朱嶺は反論しつつ、茄子を口に入れる。 「違うのにゃ。あの刺身はおれに食べられたいと思っていたにゃ!」 「おい、少なくとも俺の皿の卵焼きも茄子も、お前らに食わせるために取ったんじゃないぞ」  先ほどから遠慮なく暁治の皿から強奪されるおかずたち。すぐそばに大皿があるのに、なぜ暁治の皿から取っていくのか。 「愛にゃ!」 「僕とはるは運命のふぉーちゅんらばーというやつだからねっ!」 「愛も運命もない! こら取るなお前ら!!」 「兄ぃ、自分の皿からもどうぞ」 「はるからもらうから大丈夫!」 「はる殿、やはりお覚悟するしか……」 「しなくていい! あ~、もう」  なぜこんなに、話を聞かないやつばかりなのか。頭を抱える暁治の皿に、そっと卵焼きがひとつ。小さな手で箸を持った桃が、暁治を見上げてにこりと笑った。 「桃ぉ!! なんていい子なんだぁ!」 「あーっ!!」 「イチャイチャだ」 「イチャイチャぁ~!」  がばり。感激のあまり桃に抱きつくと、シロクロが手を打って囃し立てた。 「先生、桃さんの実年齢はさておき、見た目は犯罪ですよ」 「うるさい」  幼子の健気さに打たれないとは、こいつらは鬼に違いない。そう思う暁治だ。 「あれ、もしかして実年齢でいうと、もしかして私が最年少でしょうか」  小首を傾げる石蕗に目を向ける。桃の年齢はわからないが、キイチは暁治が子供の頃にはいたから、石蕗の方が年下だろう。 「お前こそ千歳くらいサバ読んでないか?」 「やだなぁ、先生。私はごく普通の人間ですよ」  ぱたりぱたりと手を振られるが、みな一斉に首を振った。横に。 「心外です。朱嶺さんも猫屋さんも、もっと先生に構って欲しいのですよ。だからお皿から取っちゃったんですね」 「たまにゆーゆがお父さんに見える」 「おれはかーちゃんに見える」  妖たちから親呼ばわりである。 「優真くんは落ち着いてるからねぇ」  くすくすと、柳田が笑った。 「しっかし」  ごちそうさまと手を合わせた朱嶺は、弟弟子に向き直った。 「せっかくの初下山なのに、なんで真っ直ぐ宮古家に来たんだよ?」  まだご飯を食べていた弟弟子こと鷹野は、箸をそっと置くと朱嶺を見た。 「ここのところ、口を開けば兄ぃがこの家の話をするから、気になったのでござる」 「彼らは一人前になると、山を降りて生活することが許されるそうですよ」  今日のデザートは桃らしい。石蕗は手際良くむきながら、補足してくれる。最初の一口は、食べる方ではない桃に献上のようだ。 「うん、今日は門出祝いでね。兄弟子としての僕の役目も終わりだから、ちょっと家に帰ってたんだ」  今日いなかったのは、そういうわけだったらしい。しかし別れたばかりの弟弟子が、真っ直ぐこの家に来るとは、さすがに思わなかったようだ。 「本当は兄ぃのように管理人を引き受けようかと思ったのだが、すでに枠が埋まってると聞いてな。今は職探し中でござる」 「興味があってうちを見に来たってなら、なんでいきなり殴ってきたんだ?」  管理人とはなんだろうと思ったものの、とても理不尽な目に遭った暁治としては、当然の疑問だ。 「出会い頭に相手の実力を測るのは、武道を極める者のたしなみだと兄ぃが」 「あけみねぇ……!」 「待って待って、僕、誰彼構わずケンカふっかけろとか言ってないから! おい、鷹野。僕素人相手にはやるなっていったよね!?」 「うむ。したがはる殿は我らが師匠をも負かす武道の達人! 我がライバルとして不足なしでござる」 「いや、俺お前らの師匠と会ったことないぞ」  もしかしたら、前に桃を預かるときに電話をかけてきた人物がそうかも、とは一瞬思ったが、お目にかかったことなどない。ましてや彼らの師匠と拳を交えた記憶もないし、腕に覚えなど全くない。 「しかし、師匠がことあるごとに戒めだと口にされるのでござるが」 「なにか勘違いじゃないでしょうか」 「それって、いつの話なんだい?」  石蕗や柳田のフォローに、鷹野は大きく首を振って否定すると、自信満々に胸を張った。 「間違いござらん。かれこれ五十年ほど昔の話らしいでござる。この世には辻森先生という、ただ人ならぬ武芸の達人がいると」 「それ、(まさ)ちゃんだね」 「じいさんだな」 「はるははるでも、正治(まさはる)さんだよ鷹野。はるのおじいさん」  さすがの朱嶺も、意気消沈したらしい。がっくりと肩を落とした。そういえば、暁治の祖父は若いころ文武両道だったと聞いたことがある。 「じいちゃんはかっこいいのにゃ!」  どうせ俺はかっこよくないよ。なんとなく面白くないままにまだ少し痛む額をなでると、暁治はそんなことを独りごちた。

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