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第十九節気 立冬 末候*金盞香(きんせんかさく)

「なにがハーレムだって!? かぁさん、あなた娘にどういう教育をだね――え、繊細な受験生なんだから、たまには息抜きを? あれのどこが繊細だっ――そうじゃなくて――あぁっ、切られたっ!!」  ガシャンと、大きな音がして、暁治は思わず耳を塞いだ。彼の家の電話は未だ旧式の黒電話だ。祖父の時代の前からの骨董品である。引越しのとき、変えるか悩んだのだが、プッシュ回線は無理だが他で使える回線があると聞き、そのまま使うことにした。プッシュが必要なときはスマホを使っているので、特に不自由はない。  大きなため息をついた暁治は、居間へと向かった。とても気が重い。 「へぇ、桃ちゃんって言うの? よろしくね。あたしは英莉だよ。……おぉ、これ美味しそうだね! 早速食べよっか?」  ケーキの箱を開けたらしい。家の奥からはしゃいだ声が聞こえてくる。我が妹ながら、なんてコミュ力と順応力の高さだろう。そこだけは感心する暁治である。すっかりここに馴染んでいる。  暁治は先ほどまでいた喫茶店での騒動を思い返して、またひとつ、ため息を落とした。 「なっ、なんの話を!?」  これはハーレムかと問われ、意味がわからず慌てる暁治をよそに、英莉は面白そうに笑うと、パタパタ手を振る。 「いやぁ、さっきから気になっちゃってさ。ほら、あたしってなにごともはっきりさせたいタイプじゃん? まさか兄貴がじいちゃんちの田舎でこんなイケメンたちを侍らせてるとは」 「イケメン?」 「いや、俺も気にはなってた」  英莉の隣で桜小路も手を上げた。 「実は宮古先生、モテモテなんです」  こちら向きに喫茶店のカウンターに座った石蕗は、やれやれと肩を竦めると、先ほど注文していた梅昆布茶をひと口飲む。口には出していないが、「妖には、ですけど」とついてるに違いない。察した暁治の眉が寄った。  暁治は、自分はそんなに顔は悪くないと思っている。背だって日本人男性の平均以上はあるし、スタイルもそこそこだと思う。  別にモテ願望はないはずなのだが、モテない扱いされるのは面白くない。反論したいが、顔面レベルが自分より上の相手には、なかなか言い返しづらいものだ。そのうち負かすと、心に誓う。 「ねぇねぇはるぅ。僕次はピザ食べたい。後はお好み焼きと焼きそばも」 「おれはぱふぇがいい! 後は後はっ、おかかお握りも!!」 「生きゅうり、おかわりしてもいいですかな?」  そして妹の質問は、もしやさっきから暁治の背中に張り付いたままの朱嶺と、隣の席で彼にしなだれかかっているキイチのせいだろうか。  側から見るとイケメン男子高生たちを、食べ物で釣って侍らせているように見えないこともない。仮にも清廉潔白を是とする教職の身で、これはとてもひどい風評被害だ。  言われなき醜聞もだが、このままでは永遠の育ち盛りたちに、ただでさえ薄給の財布を、文字通り食い荒らされそうである。  七番目の兄者は、前言通り座敷童の姫の代金は取らないのだが、可愛いはずの弟の食事代はしっかり徴収していく。主に暁治から。抗議をしたら、「ふーふなんだから、当然」と返された。  朱嶺はというと、「七番目の兄者に認められちゃった。えへへぇ~」などと、お花畑で役に立たない。  両手で頬を包み込み、頬を染めてカワイコぶった姿が似合うイケメンってどうかと思うが、それに反論できない辺り、暁治も言われて悪い気はしないようだ。  そんなわけで、それまでの重い雰囲気はどこかに行ってしまった。英莉のおかげとは、間違っても思わないけれど。 「ええぃ、一人二皿までだ! キイチは朱嶺に張り合うんじゃない。鷹野もマスターも、朱嶺のオーダー、しれっと通さない!! それと河太郎、それ四皿目だろ。ってか、お前それ俺に払わせる気だったのか!?」  これって侍らすというより、保父さんじゃないだろうか。そう思う暁治の後ろで、「保父さんより、父親の方がしっくり来ますよね」と、セキレイさんが言っていた。まったくもって、もっともな意見だ。 「宮古?」  考えながら歩いていたせいだろうか。アトリエからひょっこり頭が出てきて、暁治は飛び退いた。 「あ、驚かせたか。すまん」 「いやいや、こっちこそ」  彼の足元には、昨日暁治が描いた庭の金盞花のデッサンが広げられている。秋祭りのくじとやらで、キイチが引いて世話をしていたもので、先日可憐な花を咲かせていたものた。 「ここでも、描いてたんだな」  ――お前の絵って、つまんないよな。  頭の中で声がかぶり、返事につまった。 「……まぁな」  不審がられていないだろうか。平気な振りができているだろうか。暁治のちっぽけなプライドが、ちくちく痛む。  だから会いたくなかったのに。  桜小路高久という男は、悪いやつではない。声から感じる心配と安堵も、本当だろう。ただ、それと同じくらい正直で、絵というものに妥協しないだけで。  だからこそ解る。あのとき、暁治を見た眼差しに浮かんでいたのは失望。落とされた小さな一言は、彼の本心だった。  日ごろ天才だと、もてはやされる彼の一言は重くて、彼の隣に立つのは、彼を抜くのは自分だと自負していただけに。  ――堪えた。 「宮古、俺は」 「はる!」  口を開きかけた桜小路を遮るように、暁治の後ろから腕が回る。朱嶺だ。 「おい、すりすりするな」 「あのね、今夜のお布団なんだけど、客用のは英莉ちゃんが使うでしょ。もう余ってないんだけど」 「そうか」  先日朱嶺の布団を買うとき、もしものためにもう一組買ったのだが、さすがにさらに一組入り用になるとは思っていなかった。 「仕方ない。明日追加で買いに行くとして、今夜はこないだのキャンプで使った寝袋で寝てもらうか」  いきなりやって来た招かれざる客だ。追い出されないだけ、マシだと思ってもらいたい。  暁治はそこまで考えると、桜小路に向き直り、上から下まで眺める。次にまだ背中にくっついている、おんぶお化けの方を見た。 「おい朱嶺、お前今夜は寝袋な」 「えぇっ、なんで!?」 「こいつが後十センチ低かったら、たぶん寝袋に押し込めたんだが」  成人用寝袋とはいえ、二メートルはありそうな桜小路はさすがに規格外だろう。体育会系と言っても通りそうな体格だ。  朱嶺の布団でも、サイズが足りるか判らない。 「すまない」  桜小路は申し訳なさそうに頭を下げた。結果的に押しかけになってしまったが、来るという手紙はくれたのだ。 「せめてメールでもくれてたらなぁ」  だが直ぐにこのお坊ちゃん、このご時世に携帯を持っていなかったことを思い出した。  精密機械に触ると、すぐ壊してしまうらしい。 「手紙、上手く書けなくて」  中身を書くことに気を取られて、宛名を書き忘れたという。そういえばこいつは、天然が入っていた。  ひたすら恐縮されると、こちらの方が悪いような気になってくる。 「じゃ、僕、はると一緒に寝る!」 「却下だ」  にべもなく言う暁治に、朱嶺はアヒルのように口を尖らせた。 「でもキャンプのときは――」  とんでもないことを言いかけた口を慌てて塞ぐ。思わず拳で。  あのときは二人きりだったし、今はキイチはもちろん、英莉までいるのだ。状況が違う。 「うっうっ……はる、痛い……」 「なんか、申し訳ない」  涙ぐむ朱嶺にも、頭を下げる桜小路。布団を奪った上、寝床まで占領してしまうのだ。布団を辞退しようと言われたものの、朝晩だけではなく、日中も冷え込んできたこの時期、風邪でも引いたら大変だと言われて引き下がる。 「まぁ、せっかく来たんだ。日曜までゆっくりしていくといいさ」 「えっと、それなんだが」  歯切れ悪い口調に、二人して首を傾げつつ、彼の話の続きを促す。 「ほら、俺今までほぼ休みを取っていなくてな。今回まとまった休みを取ったんだ。半年ほど」 「はぁぁ~っ!?」  吹っ切れたのか、明るい笑みを見せた桜小路に、開いた口が塞がらない。まさか半年、居座る気――だったらしい。  かくして、また一人宮古家に居候が。 「いや、ダメだ! うちはもう定員いっぱいだからな!!」  誰にともなく叫ぶ暁治だ。  ちなみにその夜、朱嶺は念願の離れにある暁治の寝室で寝たのだが、寝袋のままベットににじり寄ったところ、枕元で猫になって寝ていたキイチと乱闘が始まり、二人一緒に部屋を追い出された。  猫の姿を利用して、ちゃっかり仏間の雪や英莉の布団で寝たキイチとは裏腹に、朱嶺は寝袋のまま、しくしくと泣き濡れて、朝まで離れの廊下で転がっていたらしい。それを知った暁治が、すまんと手を合わせたものの、しばらく拗ねられて大変だったという。

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