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第二十四節気 大寒 次候*水沢腹堅(さわみずこおりつめる)

 しゅんしゅんと、ストーブの上でやかんが湯気を立てるのは、冬らしくていい。マグカップに沸いた湯を注いだら、甘いコーンの香りが漂った。  居間のこたつで暁治はほう、と息をつく。  寒い冬に、コーンポタージュスープは身に染みる。少しだけ牛乳をプラスしたそれは、まろやかでこの上なく旨い。  隣で小さめのカップで飲んでいる桃も、ふにゃりと頬を緩めた。 「旨いな」  こくこくと頷く彼女は、マグカップに夢中だ。 「たまに静かな日もいいもんだ」  桃とのんびり過ごす昼下がり。今日は居候たちが買い物に出ているため、暁治は留守番だ。雪がこんこんと降る中に、出て行くことにならずにほっとしている。  恋人は新年から忙しそうにしていて、いまごろ仕事に追われているのだろう。  姦しいのも慣れたけれど、たまには静かに過ごしたい時もある。 「へぇ、今季一番の冷え込み、か。雪が降り止まないわけだよな」  いまの時期は一年で最も冷え込むようだ。テレビのニュースが、水道の凍結にご注意ください、と報じている。  都会ではあまり考えられないが、本当にこの時期は凍る。夜間は蛇口を少し開けて、水を常に流しておく必要があった。  この町は山もあり海もある。海風が吹いて、寒さが増しているように思えた。温暖化と言われる昨今だが、あまり関係ないのではないだろうか。  しかし近所に住む崎山の婆さんの話では、昔に比べたら雪が減った、とのことだ。  田舎町、恐るべし。  だがここで暮らしていくことに決めたのだから、この冬の寒さにも慣れなくてはいけない。寒さに慣れることは、果たしてあるのだろうかと、暁治は小さく唸る。 『寒い地域では流れる水も凍るんですよね』 『滝や沢の水が凍るそうです。でも水中に氷柱が立って、綺麗らしいですよ』 「へぇ」  テレビから聞こえてくる声に暁治は相槌を打つ。  そういえば常に水の入れ替えがされている、庭の池も凍っていた。流れていくものを留めてしまう、寒さ、恐るべし。 「去年、ここへ来た時も、雪の多さには驚いたよな」  この町に暁治が来たのもいま時期だ。ここへ来て、まずしたのは雪かきだ。門から玄関にたどり着くまでに、雪を掻かなくてはいけなかった。  立ち尽くす暁治に、近所の人が雪かきのスコップを貸してくれて、終わった頃には寒さを忘れた。  そしてその日の晩、夜半過ぎに朱嶺が訪ねてきたのだ。  気づくともう少しで一年になる。彼に会ってからそんなに経つのかと、時の流れを感じた。  あの日は突然の来訪者に驚いたものだが、それでもほいほいと家に上げてしまう暁治は、かなり不用心だ。  少年と幼い子供ではあったけれど、見知らぬ相手を簡単に招き入れた。  それがあやかしがこの家に入る条件だと、知ったのは随分あとだった。騙された、と思うものの、いまやすっかりそれも慣れてしまった。  順応力が高いのもまた、暁治だ。 「だけど俺は、一人になりたくて、来たはずなんだがなぁ」  ぽつりと呟いた言葉に、桃が顔を上げる。少ししょんぼりとした表情に、暁治は笑って彼女の頭を撫でた。 「最初はそう思ってた、けど。いまは桃に会えて良かったよ」  ほわりと笑みを浮かべた、この家の座敷童さま。  いきなり朱嶺に妹です、などと言われた時には面食らったが、いまではすっかり、このうちの癒やし要員だ。彼女がいるだけで家が華やぐ。  しかし思えば、この家に来て静けさを感じたのは、ほんのわずかだった。振り返ってみても、朱嶺に振り回された一年だったと思う。  とはいえそんな日常も悪くない、と暁治は思い始めていた。 「ただいまぁ」  しみじみと回想に浸っていたけれど、絶妙なタイミングで当人が帰ってくる。飲んでいたコーンスープを吹き出しかけて、桃に小さく笑われた。 「はるはる!」 「帰って来るなり騒々しいな。今日は遅くなるんじゃなかったのか?」  すぱーんと、勢いよくふすまを開いた恋人に、暁治は呆れてため息をつく。だがいつもなら文句を言う彼が、嬉々として近づいてくる。  その勢いに気圧されるけれど、いきなりぎゅっと手を握られた。 「いてもたってもいられなくて、急いで仕事を終わらせてきたよ!」 「そ、そうか。なにかあったのか?」 「んふふ、じゃじゃーん! これ見て!」  着物の袂から、なにやら得意気に取り出す。それに首を傾げる暁治に、朱嶺はずいと手にあるものを向けてきた。  視線を落とすと、そこにはビロード貼りの、四角いケース。まじまじと小さな箱を見つめれば、彼の手でそれは開かれた。 「できたよ、指輪!」 「あ、ああ、本当に作ったんだな」  二つ並んだ、乳白色のつるりとした指輪。小さな青い石が埋め込まれているそれは、華美ではなくわりとシンプルだ。  つい最近、鹿の角を再利用すると、ウキウキ言っていたことを思い出した。改めて見ると、なんとなくむず痒い気持ちになる。 「角で本当に指輪が作れるんだな」 「縁結びの神様に、祈祷してもらったからね! 御利益が抜群だよ!」 「ふぅん。まあ、綺麗だな。……これって、結晶が入ってる?」  じっと指輪を見つめていた暁治は、さらに顔を近づけて覗き込む。二、三ミリ程度の石の中に、白い小さな結晶らしきものが見えた。  すると朱嶺はにへらと相好を崩して、くふふとおかしな笑い声を上げる。 「ほら、僕たちが出会ったのは冬でしょ。季節にちなんだものを入れたら、素敵かなぁって」 「お前、ロマンチストだったんだな」 「さあさあ、指輪の交換!」 「え?」  いきなりずいと距離を縮めてくる彼に、無意識に身体が逸れる。しかしすぐさま手を取られて、逃げ場がない。  だが指輪を一つとった朱嶺は、ふいにぴたりと止まった。その動きに暁治は、訝しげに首をひねる。 「ど、どうした?」 「……はる」 「なんだ?」 「僕に言い忘れてること、あるよね?」 「言い忘れてること?」  急に真面目な顔をする恋人に、暁治の頭の上で疑問符が飛ぶ。なにか言うことがあっただろうかと、考えるものの、さっぱり思い当たらない。 「ほらほら」 「なんだよ」 「もう、はるは僕のどこが好き?」 「えっ?」 「このあいだ、僕に聞いたよね? でもはるの気持ちを聞いてない」 「あー、うーん」  期待に輝く瞳。その表情に暁治はあからさまに唸った。しばらく言葉を紡げず唸っていると、かぱっと口を開いて、朱嶺が呆気にとられる。 「ええ? そこ悩むところなの? あるよね、僕がスキーってところ!」 「そうだなぁ。騒がしくて、大飯食らいで、図々しくて」 「ちょっと待って、そこが好きなの?」 「最後まで話を聞けよ」  しょぼーんと表情を暗くする、朱嶺の額を手の平で叩く。そして暁治は大きく息をついて、柔らかいほっぺたを摘まんだ。 「いひゃいよ、はりゅ」 「正直言えば、そういうところ、……なんだこいつって思ったよ」 「ええぇ」 「でもそういう面も含めて、面倒くさいことを全部忘れさせてくれる、お前の明るさが……いいかな」 「惜しい! もう一声!」  最後に言葉を濁した暁治に、競りかなにかのように、声を上げる朱嶺。それに思わず吹き出すように笑ってしまった。  そしてひとしきり笑ったあと、暁治は両手で彼の顔を包んだ。 「なにもかも吹っ切れさせてくれる、お前の笑顔が好きだよ」 「んんっ」  唇をむずむずとさせた朱嶺は、暁治の両手にほっぺたを押し潰される。それでもご満悦なのか、いつもの朗らかな笑みを浮かべた。  大好きな笑顔、それに暁治はそっと唇を寄せる。 「病める時も健やかな時も、だね」 「そうだな」  桃が見守る中で、二人でお互いの指に指輪をはめる。小さくパチパチと手を叩かれると、照れくささが増した。 「ところで、はる」 「なんだよ」 「指輪の交換をしたってことは、僕と添い遂げるんだよね?」 「ま、まあ、そうだな」 「じゃあ僕たちの祝言はいつにする? 冬が明けた頃にしよっか?」 「そうだな、……春、来年の春だな」 「ええっ! なんで!」 「だってお前まだ学生だし」  再びぽかんと口を開いた朱嶺の間抜け顔に、桃と一緒に腹を抱える。  来年なんて待てない! ――駄々っ子みたいな声が、静かな家の中に大きく響き渡った。  ちょうど帰ってきた居候たちが、その声になにごとかとやってくる。けれど恋人は、ひどいひどいと泣き濡れた。

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