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第14話

――これは、忠光が温室に来る少し前の話。  ミツと昼休みを一緒に過ごさなくなって1週間。前までは、昼休みの始まりを告げるチャイムに対して嬉しいだとか、特に何か感じることなんてなかったのに、この1週間はチャイムが鳴るたびに憂鬱さを感じてしまって嫌だった。  ミツは毎朝声をかけてくる。といっても短い挨拶一言ぐらいだけど、それが何を意味してるのか分からなくていつも言葉を返さずに無視してしまっている。どう考えたって、同情からくる哀れみだとしか思えなかった。おはよう、と言われるたったそれだけに、ほんの少しでも嬉しいと思ってしまう自分の浅ましさにも嫌気が差す。  何もかも嫌で、自分が今までどうやって一人で過ごしてきたのか分からなくなって、どうしようもない。  午前の授業が終わって、チャイムが鳴る。チャイムが鳴って、弁当袋を持って、ついミツの席を見てしまうのは、なかなかやめられなかった。ミツは宇佐木くんと話していて、これから彼とご飯を食べるのだろうと思うとちくりと胸が痛む。彼が視線に気づいて僕を見つけないうちに、さっさと教室を出た。  温室の中でいつもの席に座って、弁当を広げる。1週間前までは少し遅れたころにミツが来て、二人で他愛もない話をしながらご飯を食べてゆったりとした時間を過ごしていた。  もぐ、と卵焼きを一つ食べる。同じものを食べておいしいと笑うミツの顔が浮かぶ。  ここまでずるずると一人を引きずることなんて今までなかったのに、これじゃまるで。  ……まるで。 ――ジャリ。 「!」  靴が土を擦る音がして弾かれたように温室の入り口を見る。まさか、と思って向けた視線の先に立っていた姿を見て、すぅ、っと胸の内が冷えていくのが分かった。  立っていたのはミツではない。1週間前、僕に告白してきた新入生だ。改めて告白しにきた雰囲気、でもない。  彼を温室の中にまで入れるのは嫌だった。弁当箱に蓋をして、席を立つ。彼は入り口の前で僕が出てくるのを待っているようで、どうやら僕が引いた一線を正しく理解しているらしかった。  彼の前に立つ。僕より少し高い位置にある顔を見て、そういえばこの子の名前を知らないことを思い出した。前に名乗っていた気もするけれど、記憶の片隅にも残ってはいなかった。 「今日こそ、一人ですか?」 「……何しにきたの、って聞いた方がいいかな」 「俺が前に言ったこと、覚えてますか」  口元に浮かんだゆるい笑みを見て、ざわついていた胸の内がゆっくりと落ち着きを取り戻していく。あぁ、そうだ。これが本来の僕だ。3年生になって、先輩たちが卒業してから、下の学年の中にも度々こういう人間はいたものの、頻度自体は減っていた。それには毎日ミツが僕の傍にいたことも多少は影響している、と思う。  一歩踏み出して体を寄せる。彼の笑みが深くなって、頬を撫でられる。  恋人はいらない。誰かと恋愛するなんて、面倒極まりない。それに、僕に特定の誰かを愛する権利なんて、元よりない。仮初の温もりと気持ちよさに身を寄せていれば、楽に生きられる。それに伴う痛みなんて、慣れてしまえば些末なことだ。  僕は頬を撫でる手にすり寄って、薄く笑んだ。  むき出しのコンクリートに押し付けられた腕と、体を支える膝が擦れて痛みを訴える。後ろでは名前も知らない後輩が犬のようにみっともなく腰を振っている。決して優しいとは言えない行為でも、嫌というほど快楽を教え込まれた体は律儀に与えられる刺激すべてに反応する。 「せんぱい、」 「あッ、ぅ…んん」  中のものが引き抜かれ、体をひっくり返される。熱のこもった目を向けられ、顔が近づく。キスをされるのだ、と理解すると同時に、彼の口を手で塞ぐ。一瞬驚いた顔をして、彼は代わりに僕の手のひらにキスをした。  甘い行為に、吐き気がする。  君は僕の恋人でもなんでもない。これが終われば次はないし、この場限りの関係で、そんなことをするな。  膝裏を抱えられて、腰を高く上げさせられる。また深く中を抉られて腰が震えた。着たままのブレザーに皺が寄る。砂と埃でひどいことになっていそうだ。先に脱いでおけばよかったと今更後悔した。  今は使われていない倉庫で行われる行為は、入学したころのことを思い出す。あの時は、相手は一人じゃなくて、4人ぐらいいたっけ。放課後に捕まって、帰る頃には外はすっかり暗くなっていて、家に帰ってからの方が大変だった記憶がある。 「先輩、聞いてもいいですか」 「ん、ぁ、なに…」 「この前の人は、彼氏?」 「――」  熱に浮かされていた頭が一気に冷える。ミツの顔が浮かんで、頭は冷えたのに心がざわつく。柔らかく笑う頭の中の彼をかき消したくて、後輩の背中に手を回して抱き寄せて自分から腰を振る。 「ぁ、まって、先輩っ」 「ん、あっ、は、ぁう…っ、も、いって、だしてぇ」 「っ、う」  ぐ、と奥まで腰を押し付けられ薄い膜越しに熱いものが注がれる。出し切って満足したらしい後輩が体を離す。ゴムを外して、口を縛って隅に置かれたままのごみ箱にそれを投げ入れてから、まだいけていない僕のを見た。彼は思い出したように手を伸ばしてきたけど、僕はそれを止める。何かの作業みたいに触られるのは、嫌だった。キスを断っておいて身勝手であるのは、自覚しているけれど。 「このままじゃ、つらいでしょ」 「いい、いいから…一人にして」  行為が終わってからの話し相手をする気にもなれなくて、突き放す。何か言いたげな顔をしていたが、それに構ってあげられる余裕もない。後輩は何も言わないまま身なりを整え、一度だけ躊躇うように視線をさ迷わせたあと、そのまま出ていった。  上着のポケットに入れたままのアイフォンを出して時間を確認する。昼休みが終わるまで、あと20分ほどある。あの後輩が、物分かりのいいタイプで良かった。  体を起こして、壁にもたれて苦しそうな自分のそれに手を伸ばす。 「ん…っ、ふ、…っ」  脳裏ちらつくのはさっきまでの行為じゃなくて、ミツの顔だ。シャツを捲って腹を出して、空いてる手で下腹を撫でた。  彼に、この中に、出してもらえたら。 「んんっ、あ、~~っ」  手を早めれば、すでに追い詰められていたそれは呆気なく自分の腹の上に欲を吐き出した。  上着を漁って出てきたポケットティッシュは外袋だけで、中身が入ってなかった。最悪だ。けれどこのまま放っておくこともできず、しぶしぶハンカチで拭う。これは、捨てよう。  なんて、最低な自分。こんなんだから、軽蔑されたんだ。そうなるようにわざと迫ったのは、僕の方だけど。  だって、そうしないと、彼はいつまでも僕の傍にいてくれるような気がしたから。そんなのは、ダメだろう。僕みたいなのが隣にいていいわけがない。彼の傍は居心地がいい。ミツと話していると、自分も普通の人たちと同じように生きられる気がしてくる。  けれど。 『あきら』  あの人の声がする。僕はあの人置いて、一人で幸せになっちゃいけない。幸せに、なれない。  だから突き放したのに。突き放すのが遅すぎた。もう、認めるしかない。  僕は、ミツの傍にいたい。ミツに傍にいてほしい。もう感情がぐちゃぐちゃだ。でも、でも。  どれだけ望もうと、僕が自分の求める幸福を得ることは、許されない。  このままでいい。今のままで。このまま離れていれば、ミツだってきっとそのうち、僕のことなんて忘れるだろう。僕と違って、彼の周りには彼を慕う人も多いのだから。  脱ぎ散らかしたズボンを履いて、身なりを適当に整える。ネクタイを結ぶのも億劫で、そのまま上着のポケットへ突っ込んだ。  そうして僕は後悔するのだ。  ミツは僕が思っている以上にお節介で強引で、意外に感情的な人間で。  僕はこのあと温室で彼に捕まって、後悔して、少しだけ、喜んでしまうのだ。  …ミツ。  僕は、君のことが好きだよって、そう言ってあげられたら良かったのに。  

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