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第13話
誰かに自分のことをここまで話すのは初めてだ、と秋彦は言う。
正直、どう声をかければいいか分からなかった。けれど秋彦も、俺からの言葉を欲しがっている様子でもなくて、本当にあくまで淡々と自分のことを教えただけ、といった感じだったから、それが少しだけ悲しかった。妙に何かを諦めたような笑い方をするのも、他のクラスメイトとは違ってどこか達観した物言いをするのも、今まで色んなことがあったからだろう。
秋彦は全部過去のことだからとなんでもないように話すけれど、最初から平気で受け入れられたわけがない。
「…ミツが声をかけてきたときね、からかいに来たんだと思って」
「えっ」
久しぶりに呼ばれた自分の名前にはっとした。顔を上げると秋彦がじっとこちらを見ていた。
「君がそういう人じゃないって知ってたけど、それ以外に声かけてくる理由がわかんなくて。もしかして男の子が好きなのかなって一瞬思ったり」
彼女といるとこも見たことあるし。と言われて勝手に気まずくなる。からかうつもりは勿論なかったが、初めて声をかけたときは秋彦に対する興味や好奇心といった気持ちが強かったのは確かだ。それが今や、恋心にまで発展しているのだから、もう何も言えない。
「ねぇ、どうして僕に声をかけたの?」
秋彦がまっすぐ俺を見る。まあるくて、見る人に柔らかい印象を与えるその瞳は、綺麗な色をしていながら汚いものをこれでもかと見てきただろう。色んな人間の色んな欲に晒されて、それでもなおどこか幼い子どものような純粋さを感じさせるその瞳を初めてまともに見たあの日を思い出した。
ふわふわと柔らかそうなくせっ毛は、触ると存外ごわごわとしていて。伸びた前髪から覗くたれ目がちの瞳を縁取る睫毛は地味に長くて。丸い頬は照れるとすぐにふわりと赤くなる。
大人しそうな見た目をしているのに、話してみればくだらない冗談も言うし、悪ノリもするし、結構遠慮のない物言いもしたりして。
「興味があった。散々なこと言われてる”噂のタヌキ”が、どんな奴なのか」
ほんの少しの好奇心で声をかけた。俺に話しかけられて戸惑うその表情が意外で、ほんの少しの好奇心は大きくなった。誰にでも尻を貸すビッチ野郎、なんて言われてるのに、人と会話しなれていない様子がなんだか微笑ましかった。
「いざ話してみたら、勝手に抱いてた印象とだいぶ違って、なんだ、案外普通のやつじゃんって」
「……」
そうして毎日毎日声をかけて、いつからか二人で昼飯を食べるようになって。
他の誰も秋彦のこんな顔を知らないんだろう、秋彦がこんな風に笑うのも、こんな風にふざけたりするのも、きっと俺しか知らない。…気付けばそんな醜い独占欲にも似た感情も持っていた。
それで、俺の知らない秋彦を見て、俺では知れない秋彦の顔があることを思い知らされて、みっともなくキレて突き放した。
「でも全然そんなことなくて。俺の知らない秋彦を知ってるやつが、他にたくさんいるって知って、正直すっごい妬いた」
「……ミツ」
そこまでいっといて、自分が秋彦に対して抱いてる感情を、他の奴につつかれて気付かされたなんて、情けない。
俺は秋彦の揺れる瞳を、真っすぐ見つめ返した。
「俺、秋彦に伝えたいことがあってここに来たんだ」
秋彦はもしかしたら、嫌がるかもしれないけれど。伝えないまま元に戻るなんて、そんな器用なこと、俺は多分できないから。それだったら後悔しない方を選んだ方がいいに決まってる。
「俺は、秋彦が――ッ、ん」
「――…」
気付けば秋彦の顔が、目の前にあった。行儀悪く身を乗り出して、俺の胸倉を引っ掴んで、強く唇を押し付けられる。ガタリ、と足がテーブルにぶつかって音が鳴る。
薄い唇は初めてキスをされたあの日と同じぐらい熱くて、一つ違うのは、あの日の突き放すようなキスじゃないことだ。
目の前で揺れるくせっ毛に手を伸ばして、秋彦の頭に手を回す。自分からしてきた癖に、唇が少しだけ怯えたように震えた。
目を閉じて、ゆっくり、薄く開いた隙間に舌を差し込む。粘着質な音が聞こえて、俺の胸倉を掴んでいた手に力はもう入ってなくて、縋るように弱弱しく俺のシャツを握っているだけだ。
「ん、ぅ、」
びっくりするぐらい甘い声が俺の耳を擽る。閉じていた目をそっと開いて秋彦の表情を盗み見ようとしたら、熱のこもる、溶けてしまいそうなほど潤んだ瞳と目が合った。
唇を離す。飲みきれなかったのだろう唾液が秋彦の顎を伝って、ぽたりとテーブルの上に落ちた。
つい一週間前まで、穏やかに二人で食事していた温室の中に、熱く荒い息遣いの音だけが響く。
「――言わないで」
「…あき、」
「その先は、言わないで」
泣きそうな声だった。祈るような、悲痛ともいえるような声でそう言われてしまえば、それを押しのけてまで好きだと言葉にしようとはもう、思えなかった。
言えなくても、秋彦に気持ちが伝わったのなら、それでいい。分かってるのに言葉にさせてくれないことにもどかしさは感じるが、なんだかんだガキ臭い俺は、あの忌々しい後輩と違って、俺の告白にここまで感情をむき出しにしてくれる秋彦が、嬉しかった。決して告白が成就したとは、言えない結果ではあるみたいだけど。
「…ミツ」
「ん?」
「……君は、僕を抱いてくれるの?」
俺の頭は一周回ってひどく冷静だった。秋彦は俺の肩口に額を寄せていて、どんな顔をしているのかは見えない。
なんで今そんなことを聞いてくるのか、秋彦の真意は分からないけれど、答えは決まっている。
「抱かない」
ぴくりと俺のシャツを握る秋彦の手が震える。
「秋彦が俺のことをちゃんと好きになってくれるまで、抱かない」
でも、俺はわがままで、我慢することをやめにしたから。
そう続けると、秋彦が戸惑いを滲ませたまま不安そうに俺を見る。あぁ、久しぶりのたぬき顔。揺れる瞳に今にも零れそうなほど涙の膜が張っていて、ぱちりと瞬きをしたことで流れたそれをぺろりと舐めとる。
「こういうことはするし」
「う、」
「あと、」
――できれば俺以外のやつに、抱かれたりしないで。
「…そ、んなの」
「お願い」
「ひどい、わがまま…っ」
「うん、分かってる。ほんとに嫌なら、そう言って。俺に近づいて欲しくないっていうなら、離れる」
ぽろぽろと、堰を切ったように流れる涙は拭っても拭ってもきりがない。秋彦は俺の言葉に眉を寄せて、瞳をうろ、とさ迷わせてから、ゆるく首を横に振った。
「…ミツは、ずるい」
「秋ちゃんにだけは、言われたくないんだけどなぁ」
ちゃんとした告白をさせてもらえなかった仕返しをちくりとしてやると秋彦は分かりやすく言葉に詰まる。
結局よく分からないまま落ち着いてしまったけれど、俺はきっとこれから秋彦にちゃんと好きになってもらうように頑張らないといけないんだろう。秋彦はきっと、好きでもない相手と体を繋げることに慣れてしまって、その辺の感覚が麻痺してしまっている気がした。
でも、多分、これは俺の自惚れだけど。少しは俺のことが好きっていう気持ちもあるんだろう。自分が相手に抱いている感情が恋愛感情なのかなんなのか分からないっていう戸惑いは、俺にも覚えがある。
俺は宇佐木のおかげでちゃんと自覚したけど、秋彦に俺が宇佐木と同じことをするわけにはいかない。それはなんか、フェアじゃない気がするから。
自分を普通じゃないと寂しそうに笑う秋彦を思い出す。
みんな、”普通”がどういうことなのかなんてわかんないよ。お前は多分、知らないだけなんだ。
「秋ちゃん」
「…?」
「俺が秋ちゃんの知らない楽しい学校生活を教えるから、楽しみにしてて」
「……なにそれ」
――変なの。
目を細めて秋彦がはにかんだ。
うん、やっぱりその顔が一番好きだ。
言葉にして伝えられない代わりに、その口元に触れるだけのキスをした。
5限目の終わりを告げるチャイムが聞こえる。
とりあえず一緒に、授業をサボった言い訳でも考えようか。
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