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第1話

第一章  やたらと黒と白のシマシマ模様ばかりが目に入る。行き交う人は多いのに、みんな黒い服ばかり。  睦月《むつき》は陰鬱な雰囲気に包まれている式場からそっと抜け出すと、バスが何台か停まる駐車場の一画でホッと息をついた。  辺りを見回すが、運転手がバスの運転席で眠っている以外は誰もいない。  今日が最後のお別れだと言われたけれど、現実味がなかった。  知り合いでもない人からたくさん声を掛けられて、正直息が詰まっていた。大変だったわねとか、これからどうするのとか、そんなのこっちが聞きたいぐらいなのに。  ちゃんとしないと、しっかりしないと。  弟を守れるのは、自分だけなのだから。 「大丈夫だよ……お兄ちゃんがずっと一緒にいるから……」  睦月は真っ白いおくるみに包まれた産まれて間もない小さな弟──葉月《はづき》の身体を、ギュッと抱きしめた。  どうして、こんなに小さい弟を残して死んでしまったの。どうして自分を残して死んでしまったの。これからどうすればいいの。  何もわからない……けれど。 「俺が……しっかりしないと」  両親が死んだことなど全くわかっていないこの無垢な存在を、どうにか自分の手で守らなければならないのだから。  もうたった二人きりの家族なんだから。  朝、忘れ物はないのって問いに「大丈夫だよ、行ってきます」って答えた。それが二十八歳でこの世を去った両親との最後の会話。  睦月は腕の中でスヤスヤ眠る葉月をギュッと抱き締めると、大丈夫、大丈夫と繰り返す。 「泣いちゃ、ダメだ」  潤み始める目元をグッと手で拭い唇を噛む。これから自分たちは児童養護施設に行くのだろう。現実的な問題を考えていれば、泣いている暇なんてないはずだ。  葉月を抱き締めて、小さな身体に顔を寄せる。  砂利に視線を落としていると、急に目の前が翳る。なんだろうと睦月が顔を上げると、目の前には背の高い男性が立っていた。 「こら、子どもがそんな大人びた顔すんな」  どこか懐かしいような、それでいて素っ気ない中に優しさを感じる声だった。  男性は突然睦月の髪を撫で回してくる。知らない人とは話さない、なんて親には口酸っぱく言われていたけれど、なぜか髪を撫でるその手を振り払えなかった。  誰だろうと見上げると、まるで周りから浮き出たかのように、夕刻の落ちていく太陽の光を浴びてキラキラと輝く髪色が睦月の目に飛び込んできた。真っ黒くて直毛の自分とは大違い、ハニーブロンドの日本人とは思えない艶やかな髪色が美しく、とても綺麗だ。それにビー玉みたいに透き通った琥珀色の瞳も。  ネクタイは黒かったけれど、上着は着ておらず白の清潔そうなシャツ姿に睦月は安堵した。大人たちの醸しだす黒くて暗い雰囲気に、心が折れてしまいそうだったのだ。 「お兄ちゃん、誰?」 「その赤ん坊、まだ小せえなあ。生まれたばっかか……那月《なつき》も健吾《けんご》も天国で悔しがってんだろうな」  睦月の問いには答えずに、男は葉月の頭を優しく撫でた。額を掠めた手のひらは、少しだけ冷たくて気持ちよかった。 「お母さんとお父さんのこと、知ってるの?」  男は、少しだけ寂しそうに笑い睦月に向けて頷いた。睦月の顔ほどもある大きな手が伸びてきて身体が包まれる。 「お前のお父さんとお母さんは、大事な友達だ。でも、大人になると悲しい時もあまり泣けなくなるから、お前が俺の代わりに泣いてくれないか?」 「で、も……ボク、は……お兄ちゃんだから……」 「寂しい気持ちはちゃんと外に出して空っぽにしないと、嬉しい気持ちや幸せな気持ちが入る隙間がなくなっちまう。だからちゃんと全部出しておけよ」  嬉しい気持ちや幸せな気持ちなど、今の自分にはまるで縁のない感情に思えた。でも、本当は誰かに助けてほしかったのかもしれない。しっかりしないと、頑張らないとと考えても、どうすればいいのかわからなかった。  だからなのか、睦月にとって男の言葉は、少なからず心を温かくするものであった。 「あのね……泣いたこと……誰にも言わないでくれますか?」  抱きしめられた腕の中で俯いていたが、シャツを濡らしている涙に男は気付いていただろう。身体を引き寄せられて睦月の顔を隠してくれた。 「ああ、約束な」  真っ白く汚れ一つないシャツの中ですぅっと息を吸い込むと、太陽みたいなその人はやっぱり洗い立ての洗濯物みたいに花の香りがして、ポカポカと温かかった。  懐かしいような香りに、忘れようとしていた寂しさや孤独に襲われる。  母の匂いに触れることはもう二度とないのだと、気づかされてしまった。  なにも言わずに背中を優しくポンポンと叩かれると、次から次へと涙が止まらなくなった。 「お、とっ……さん、か……さんっ……やだ、よぉ……」  微かな寝息を立てて眠る葉月の頬に、睦月の涙がポタリポタリと落ちていく。  これからは自分がしっかりしなきゃならないのに、頑張らないといけないのに。泣いてる場合じゃないのに──。  そう思うのに涙は止まらなかった。男は何も言わずに睦月を抱きしめてくれた。  わんわんと泣いて、瞼が真っ赤に腫れてピリピリと痛くなってきた頃、男が言った。 「俺の家族になるか?」  ヒックヒックと止まらないしゃっくりに笑いを溢されて、恥ずかしくて顔が熱くなる。この人は誰だろうと思う前にどうしてか答えは決まっていた。  睦月が頷くとはにかんだような微笑みを返された。  それは、忘れられない、目を見張るほどの綺麗なキラキラ。

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