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第24話

「陽さん……あのね」  ソファーの背もたれに上半身を預けながらも、陽は愛おしそうに睦月の髪を梳いてくる。 「ん……?」  朝起きたらでもよかったのだが、この甘やかな空気の中の方が言いやすい気がして、思い切って進路のことを相談してみようと思った。 「俺、さ」 「ああ、やっと言う気になったか?」 「え、あの……」  やっと言う気になったとはどういうことだろう。 「進路のことだろ? 大学、行くんだよな?」 「あ、うん。そうしたいと思ってます。どうして知ってるの?」 「充から電話あった。んで、心配だろうけど、もう子どもじゃないんだから余計なお節介焼くなって」  そういえば、田ノ上には話したのだ。色々な人に心配かけてるんだなと、少し反省したい気分だ。陽が反対するわけはない。もっと早くに打ち明けてしまえば良かったのに。 「はい、大学……行ってもいいですか?」 「俺が気に食わないのは、それを充から聞かせられたことぐらいだな。俺が心配するぐらい許せよ。仕方ないだろ? 可愛くて堪んねえんだよ。好きだ、愛してるなんて何回言ったって足りない」  ギュッと身体を抱き寄せられて、陽の言葉が続けられる。ここまで素直に気持ちを伝えてくれることなどあまりない。元々そう言葉の多くない人だから。 「お前って体温高いだろ?」 「そう、ですか? 三十六度七分ぐらいですけど」 「俺にとっては、お前の体温がちょうどいいんだ」  スキンシップが好きな人だと思っていた。  もし、陽が触れたいと思うのが、自分たちだけだとしたら。  陽もまた睦月と葉月と一緒にいることで幸せを感じてくれるなら、これ以上に嬉しいことはない。  陽の書いた〝幸せの温度〟はハッピーエンドとは言えなかったけれど、睦月の思い描くこれからは明るく幸せに満ちている。  睦月は、両手を陽の背中へと回し強く抱きしめた。  大好きなこの人が少しでも、自分の体温を感じられますようにと。 エピローグ  順風満帆な人生なんてない。  それでも、かなり幸せな人生を送っていると思う。  気がつけば陽が父親となってから、十二年が経った。  覚えているはずもなかったが、あの頃色々なことで悩み、憂いていた兄と同じ歳になった葉月は、睦月よりもずっと強かな性格に育っていた。  腰に手を当てて眉根を寄せた葉月は、目の前でイチャつくバカップル……法律上は父と兄を睨みつけながら網の上で煙を立てる肉をひっくり返した。網がガンっと苛立たしげに音を立てる。 「ちょっと、そこの二人! イチャついてないで、焼いてよ! バーベキューしたいって言ったの兄さんでしょ⁉︎」  葉月の言葉に、陽からパッと離れて頬を染めた二十九になる兄、睦月は、二十歳を超えているとは思えない童顔な顔つきは変わらずに、相変わらず陽を魅了しているようだ。 (つか、この二人絶対バケモンだ……なんで歳取らねえんだよ)  そして陽もまた、物心ついた頃から年齢というものを感じさせない若さを保っていて、葉月が何歳の頃からは記憶にないが、金色の髪は元々の地毛である瞳と同じ琥珀色になっていた。  産まれた時からそばにいる相手を、今更綺麗だとか可愛いだとは思わないが、葉月の友人たちが事あるごとに美人の兄に会わせろと言ってくるぐらいには兄の容姿は人目を引く。 「ごめん……だって、葉月が小さい頃にお庭でバーベキューやりたいって言ってたからさ。つい嬉しくて」  いつの話だよっ──と叫びたくなってしまう会話は日常茶飯事で、兄の性格はど天然だ。そして、それが陽にとって可愛くて仕方がないのだと知っている。 「はいはい、言った覚えは全然ないけど、俺が五歳の頃に友達のあーちゃんが住んでる二階建ての一軒家が羨ましくて……って話は何十回と聞いたから!」  夢のマイホームを現金一括で購入したのは、今年に入ってのことだ。周りから見れば、男三人の家族など普通じゃないのだろう。  しかも、父と兄は恋人……法律的にも認められたパートナーシップ条例で認められた事実上の夫婦である。数年前に法が改正され、嬉々として申請に出掛けて行った二人の姿を思い出し、葉月は心中密かな喜びを感じた。ずっと想い合っているのを知っていただけに、ようやくかと安堵したものだ。 「父さんも、いい加減兄さんを放してよ。俺の教育に良くないとか思わないわけ? 昔はもうちょっと気を使ってくれてたと思うけど!」 「家族仲良しでいいだろ?」  飄々と言ってのける男は、これでも超が付く有名作家だ。聞いたことはないが、5LDK庭付き一軒家をポンと買えるくらいには、稼いでいるのは間違いない。  そして高校生みたいな見た目をしている睦月は、出版社で働く編集者だ。本人談ではあるが、いつか陽の担当になるのが夢らしい。  しかし、長年浅黄家で家事をしていた経験を買われて、生活情報誌担当においてなくてはならない存在らしいから、その夢が実現するのは遠そうだ。洗剤の種類などを調べては、こっちがいいだとあっちがいいだのと電話で話しているのを聞いたことがあるが、今の部署の仕事も楽しいらしい。 「あ、そうだ葉月。荷物届いてなかった?」 「荷物? ああ、なんか来てた。見本誌だと思って、リビングのテーブルの上に置いてある。いいよ俺が取ってくるから、兄さんたち肉焼いて、んで食べて。二十九にもなってヒョロヒョロだから、俺と歩いてると弟に間違えられるんだよ」  葉月よりも十センチ低いところにある睦月の頭に笑いが溢れる。別に馬鹿にしているわけじゃないが、確かに百七十ない身長でこの外見では可愛いと言われるのもわかるのだ。  睦月には、どうして俺だけと恨みがましい視線を向けられるものの、こればかりはあげることも出来ないしまあまあと慰めるだけだ。 「ほら、火傷しないようにね」 「ありがと」  陽と睦月の二人にトングを手渡し、リビングの窓を開けて部屋へと入る。  三十畳ほどのリビングには、買い換えた大きめのテーブルと椅子があり、前のマンションから持ってきたソファーはそのままだ。どうしてだか、古くなった本棚や小汚いタンスなんかもそのままで、金はあるのにどうしてこういう物は買い換えないのかと不思議だった。  しかし、引っ越しの際に捨てないのかと聞くと、陽から〝お前が絵を描いたりシール貼ったりしてた思い出の詰まったものだから、捨てたくないんだと〟そう言われたときは赤面ものだった。誰が言ったかなんて聞くまでもない。  小さい頃から、そりゃもう大事に大事に育てられた覚えはある。両親がいない、そう言うと初めこそ可哀想な顔をされてしまうのが普通だが、自分においては当てはまらない。あの作家の浅黄陽を父に持ち、あの美人なお兄さんの弟として羨望の眼差しを向けられ続けているのだから。  それに……。 (いつも見てるのがアレだと、俺の理想高くなる一方だからなぁ)  何というか……羨ましいのだ、陽と睦月のことが。  もちろん二人から与えられる愛情を疑うことはない。しかし、家族以上に大事な存在など自分にも出来るのだろうかと、モテなくはないが奥手な自分にため息が漏れる。 「兄さんなんて……高校生の時に手出されてんだからなぁ」  睦月に聞いたわけではない。それとなく陽と二人きりになった時、一体いつから恋人だったのかと聞いたのだ。その時も悪びれなく、まだあどけない高校生の頃だな、なんて犯罪紛いのことを口にする陽に唖然としたものだ。 「俺に恋人出来なかったら、絶対あの二人のせいだ」  はぁと小さくため息をついて、テーブルに乗せた小包の包装を丁寧に剥がしていく。  中は予想通り、何ヶ月か前まで陽が締め切りに追われていた作品の献本だった。  こうして、陽の努力が一つの形になる経過を見ていると、やはり陽と睦月の仕事を凄いと思う。  すぐに庭へと持って行こうかと思ったが、どうせ二人のことだ。また外から見えないのをいいことにイチャついているに違いない。  何故レンガ造りの塀をこんなにも高くする必要があるのかと思っていたが、こういうことだったのかと窓の外を見て思う。  そりゃあ、いくらパートナーシップを結んでいるとは言え、ずっと長く暮らしていく家だ。周囲への影響を考えてのことだろう。法律が定まったとはいえ、まだまだ人々の理解という上での壁は厚い。  そうなったら、自分しかあの人達の味方になってあげられる家族はいない。だって、大切な家族だ──たとえ、血が繋がっていなくたってかけがえのない存在だ。 「幸せの温度Ⅱって、昔なんかの大賞取ったやつの続編か」  読んだ覚えはあったが、主人公の男が報われない恋心をずっと長きに渡り抱いているという内容で、正直自分にはよくわからなかった。あらすじをざっとみると、どうやら今回は、主人公が新しい幸せを見つけるらしい。  葉月は、ペラペラと本のページを捲る。  そういえば今回の話は、お前たちにも読んで欲しいなんて珍しく言っていたなと思い出した。 「ったく、さ〜」  一ページ目を捲り、思わず涙が溢れそうになった。  やっぱり自分に大切な人が出来るのはまだまだ先だ。 「口で言えっつーの……父さんは」 〝世界で一番大切な家族へ、この本を送ります〟  葉月は緩む口元を押さえながら、目に浮かんだ涙を拭い、庭で待つ家族の元へと向かった。 了

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