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【ふーすけ先生はツンデレ悪魔】
酒飲みは甘い物は好まない、と父から情報を得た由宇は、今日の日のためにある物を用意していた。
「隠すなよ」
「………………」
「そこ座れ」
「……こ、ここテーブル……」
「座れっつったら座れ」
少しでも橘が喜んでくれそうなものを贈りたい……その一心だったが、まさかこんな事になろうとは予想していなかったのである。
風呂上がりの橘は、由宇の姿を見るや僅かに瞳を見開き、ガラステーブルの上に座るよう命令した。
お尻の跡が付いても知らないぞ!と怒りたくても、由宇自らがこの格好をして橘を待っていたために様々な思いが脳内を駆け巡っている。
テレビを観る習慣のない橘の自宅は、夜になると静けさが増して時折うすら寒く感じるほどだが、今まさに鳥肌を立てて鑑賞物となっている由宇には、悪魔の考えがさっぱり分からない。
薄茶色の酒をちびちびと飲む物言わぬ悪魔が、ひどくいやらしく艶っぽい視線でジッと由宇を眺めていて居心地が悪かった。
言い返してやりたいが、顔面を真っ赤に染めて橘から視線を逸らす事しか出来ない。
「そ、そんなに見るなよ! いい加減穴があくって!」
「どこに? あ、ケツ?」
「違うよ! そこは元からあいてる!」
「だよな。 毎晩可愛がってやってるよな、俺が」
「…………ッッ」
橘はどこぞの成金オヤジのように、はだけたバスローブ姿で大股を開いてソファに腰掛け、独特な形をしたウイスキーグラスを整然と傾けて由宇を眺める。
「どういう風の吹き回しか知らねーけど、粋な事すんじゃん」
「……うぅっ……恥ずかしいよぉ……」
恥ずかしさに両手で顔を覆った由宇は今、橘へ贈るバレンタインのためだけに用意した裸エプロン姿だ。 正しくは全裸にメイドコスプレをしている。
ニヤッと唇の端を上げて笑う橘は、グラスを持ったままペロンとエプロンの裾を捲った。
満足気に裾をヒラヒラさせた後、由宇の頭に装着されたカチューシャに手をやってほくそ笑む悪魔は、誰が見てもご機嫌だった。
フリルがふんだんに使われた超ミニのエプロンと、説明書を読みながら装着に三十分は費やしたガーターベルトとニーハイストッキングは、由宇のほっそりとしたお御足にとてもよく馴染んでいる。
はっきり言って、鏡の前で自身を確認した由宇ですらまぁまぁ似合ってるかもと思ったほどだが、橘が喜ぶかどうかはまた別問題だとドキドキしていた。
「てかさ、これ自分で用意したのか」
「そうだよ!」
「なんで?」
「なっ……なんでって……」
そんなもの、今日が好きな人へ想いを伝えるロマンチックな日……バレンタインだからに決まっている。
悪魔の微笑を浮かべ続けている、この表情を見る限り喜んでもらえているのは分かったが、情緒のない彼にそれを言ったところで「ふーん」とどうでもいいような相槌しか返ってこなさそうである。
橘の三白眼を見詰めて唇を震わせていると、腕を取られて「立て」とまたしても命令された。
「座れって言ったり立てって言ったり……!」
「そんな格好してるっつー事は、俺は「ご主人様」だよな」
「い、いやそんなっ」
「言ってみ。 「ご主人様、ボクを食べて」って」
「バカじゃないの!? そんなこと俺が言うはず……っ」
「バレンタインなんだから駄々こねるな」
「あっ……!」
橘は、今日がバレンタインだという事、由宇がこの格好をしている意味、どちらにも気付いていたらしい。
それなのに「なんで?」と問うたところを見ると、由宇に言わせたかったのだろう。
『先生のために恥を忍んでこんな格好してみたよ。 ふーすけ先生、好きです♡』
……と、心の中の由宇は素直にそう思っているけれど、悪魔がそれに気付いてくれているのならわざわざ言いたくない。
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