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第1章 1話 呼魂喚霊
時は流れ、天和2年。
本能寺の変から105年が経ち、世は江戸時代を迎えていた。
江戸幕府は徳川綱吉を第5代将軍に迎えた。大きな戦はなく世は平穏に思われた。しかし、それまでの長年の戦の影響により、地上は陰の気で満ち、妖の数が再び増え始めていた。
妖は夜な夜な人々を襲い、人々は妖の脅威に怯えていた。
***
高尾山山中のとある洞窟。
白装束を着た一人の青年が祠の前に座り、手を合わせていた。
「世は混沌の時代を迎え、人々は妖に襲われております。
力を強めた神通師達は今、私欲のために力を振るっております。
このままでは人々は襲われ続け、世は妖達に支配されましょう。
神よ、どうかお力をお貸しください」
青年は合わせていた手を解くと、自らの懐から呪符が巻きつけられた短刀を取りだした。
「神よ、そして偉大なる神通師たる森蘭丸よ。
我が命と引き換えに人々をお救いください」
そう言うと、青年は短刀を自分の胸に当てた。
「呼魂喚霊!!」
青年は呪文を唱えると自らの心臓を短刀で貫いた。
***
蘭丸は、鼻に水が伝う感覚で目を覚ました。起き上がってみると、そこはどこかの洞窟の中のようだった。傍らには呪符の巻かれた短刀が転がっていた。
(これは、呼魂の儀式の呪符か……?)
胸元を見てみると短刀を刺したであろう場所は、服が切れていた。呪符の効果で出血は全くなかった。代わりにそこには馬酔木あせびの花のような痣があった。
傍に立っている祠を見てみると、その前には自分を呼び出した人物からであろう手紙が置かれていた。
開いてみると美しい字で事情が事細かく書かれていた。
ーーーーー
私は糸川猿四郎と申します。
この高尾山の麓で暮らしておりました神通師でございます。
もし、私が呼魂に成功し森蘭丸様を呼び出すことができているのであれば嬉しい限りでございます。
今は貴方様の死から105年の歳月が立っております。
今日、世は長年の戦のせいで妖の数が増えております。人々は、夜な夜な妖に襲われ怯えております。
力の強い神通師達は自らの力を私欲のために使い、平民のために力を使うことはありません。江戸幕府さえ妖が人々を襲うのを見て見ぬふりをしております。
私はもともと力が弱く全ての人々を助けられる力がありません。このままでは世は妖に支配されてしまいます。
偉大なる神通師、森蘭丸様。どうか強欲に飲まれた神通師に報いを!!
そして人々に救いを!!
ーーーーー
「いきなり復活させられたと思ったら、厄介なことに巻き込まれたな」
手紙を読み終わった蘭丸はうなだれた。
(あったこともない俺に全てを任せるなんてな……。
もしも、俺が極悪人だったらどうするんだ。
しかも、呼魂の儀式が失敗したら無駄死にだぞ。
だが……)
蘭丸は顔を上げ、もう一度手紙を眺めた。
(力が弱いのに儀式をしたのか……
会ったこともない俺に全てを賭けて。
……そこまで人々を助けたかったんだな)
「猿四郎、お前の願い聞き入れた」
そういうと、蘭丸は胸の痣にそっと触れた。
***
蘭丸が洞窟の外に出ると、あたりは真っ暗だった。
猿四郎の体は、元の自分の体より少しだけ身長が高いようで、足元にフワフワとした感覚を覚えた。
(やはり、他人の体は扱いづらいな)
蘭丸は苦労しながらもよたよたと歩き出した。
(とにかく服装をなんとかしたい。白装束で出歩いていたらまるで幽霊だ)
そんなことを思いながら歩いていると、蘭丸は異変に気付いた。
(なんの気配もしない…。なぜだ。鳥一匹いないぞ)
気配を探りつつ慎重に山を降りていると、突然悲鳴が山の中に響いた。
(こっちか!!)
悲鳴の聞こえた方に蘭丸は足を走らせた。
(声と気配からして、人数は…二人か?)
しばらく走ると二つの人影が見えてきた。蘭丸は近くの木に身を潜めて様子を伺った。
(あれは、旅人か?やつらの目の前にいるのは…迷犬か!?)
迷犬とは妖の一種で、人の少ない山に住んでいる。見た目は大きいが、とても臆病で人に危害を加えるような妖ではない。しかし、今目の前にいる迷犬は普通のものよりひとまわり大きい。しかも自ら近づかないはずの人間に牙を剥いている。
(あの迷犬からは強い陰の気が放たれている。
あんな量の陰の気を持ったやつは初めてだ。
このままだと旅人は確実に喰われる)
蘭丸はそっと自らの腰に手を伸ばした。いつも自分が刀を差していた位置に。しかし、手は宙を掴むだけだった。
(くそっ!!
今は刀がないんだった!!
さっきの短刀はあるが、短刀じゃ敵いっこない)
蘭丸はしばらく考え、ふうと息をついた。
「あれをやるしかないか」
そう言うと蘭丸は自らの髪の毛を一本引き抜いた。次いで短刀で自分の手首を切ると血を引き抜いた髪に滴らせる。
そして木の陰から出ると迷犬の背後に立った。右手の指を2本立て唇に当て、左の掌には先ほどの髪の毛がのっている。蘭丸は小さく息を吸うのと同時に髪の毛がふわりと浮いた。
「我が名をもって唱えるは、陰気の術。
怨と慰ならば怨なり。
我、霊力をもって行使致す」
すると髪は迷犬の方へ飛んでいき、するりと耳の中へ入っていった。
「汝、静まりたまえ。
天誅
死をもって償え!!」
蘭丸がそう唱えると、迷犬の体のありこちから血が抜き出した。迷犬は鳴き声をあげることなく絶命した。
返り血を浴びた旅人たちは何が起こったのかわからず呆然としている。
(この術は、本当に胸糞が悪い。
今回は状況が状況だったから仕方いないが……。
もう使いたくないな)
蘭丸はゆっくりと旅人の方へ歩み寄った。旅人は若い男女だった。
「おい、あんたら大丈夫か?」
蘭丸が手を差し伸べると二人はヒッと悲鳴をあげた。
「死人が生き返った…怨霊だ!!」
「来ないで!!殺さないで!!」
二人はそう叫ぶと一目散に走っていった。
「あっ!!おい!!」
(助けてやったのに、礼もなしかよ!!)
蘭丸は追いかけようと足に力を入れた。するとぐらんと体が傾くのを感じた。
(まずい!!)
蘭丸の体は地面に倒れこんだ。
(霊力を使いすぎた……)
蘭丸は夜空を見上げ嘲笑した。
(久々に術使った上に、いきなり死血術を使ったからな……)
蘭丸が使った死血術は標的を確実に殺せる技だが、その分霊力を多く消費する。慣れない他人の体で久々の神通術を使った蘭丸の霊力はもはや空っぽだった。
(全く、嫌になるな……)
そう思ったのを最後に蘭丸の意識は闇に吸い込まれていった。
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