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第1話

-日風水世-  窓の下で喧嘩が起きていた。染めた金髪に黒が混ざっている。そろそろ染める頃だろう。しかしこのまま伸ばしていて欲しい。 「彩波(いろは)ちゅわん」  生徒会室の扉が開いて明るい茶髪のふざけたツラが入ってくる。日当たりのいい席について上履きを脱ぐと2つの靴下が机の上に乗った。これでもわたしの注意を聞いて上履きを脱ぐという努力はするようになった。 「なんだ」  へらへらしながら日向ぼっこを始めてヤツはわたしがヤツを見るのを待っていた。 「また喧嘩だって」  わたしを生徒会長に推した理事長の息子は他人事のように言った。名前は尾久山 (うい)。ヤツのいうその喧騒はここまで聞こえている。 「そのようだな」 「そのようだなって、止めないの?」  窓の外にはプリン頭ともうひとり頭の悪そうな黒髪の男がいた。あいつは確か浅海 夢旭(ゆめひ)とか言っていた。要注意リストに入っている。そこかしこで喧嘩を売り、校内でも喧嘩は絶えない。何度かわたしも現場を目にしている。 「何度止めたと思ってる」 「回数なんて関係ないって。ほらほらよろしく」  浅海はプリン頭の他校生を殴った。わたしがこの目で暴力行為を認めてしまった。溜息が漏れる。留守番が来たため生徒会室を出て階段を降りる。上からでは見えなかったが野次馬が幾人もいた。浅海は女子から人気があるらしい。 「退け。止める気がないなら教室に戻れ」  金を握り他の生徒に渡そうとした男子生徒の手を掴んだ。当校で賭け事は内輪でも許さない。人集りが割れていく。 「なんだテメェ?」  人相の悪そうな金髪の他校生がわたしを睨んだ。調べはついている。楢常(ならつね)我世(わとき)。明らかな改造制服、着崩し、染髪。当校でなくとも素行不良だ。とはいえ彼は他校生で当校(うち)とは関係がない。 「当校の生徒が迷惑をかけたな。すまない」  地面が近付く。尾久山が生徒会室から見ているんじゃないかと思うと少し腹立たしいものがあったが、浅海は確かにこの他校生を殴った。 「おい!何してんだよ!」  浅海がキィキィ叫んでいる。頭を下げているわたしの肩を掴んで起こされる。 「お前は黙ってろ」 「よせよ!みっともねぇ!」  浅海が怒鳴っている。その手を払った。風紀を乱すような香水の匂いがした。メロンとグレープフルーツが混ざりミントと胡椒で風味を付けたような匂い。 「帰ってもらいたい」 「は、はぁ…?何だよ。あ~、冷めちまった」  他校生は髪を掻き乱した。校門まで送るつもりで後を追う。浅海もついてきた。 「おい!」  他校生は浅海が呼んでも背を向けたまま手を振った。喧嘩仲間、ただのジャレ合い、拳と拳のぶつかり合い、情熱(オトコ)覚悟(オトコ)意思疎通(たたかい)。だがここは学校の敷地で、わたしはそこの生徒会長だ。関係ない。止められたくなければ他所でやればいい。 「このクソ(アマ)!」  わたしは片眉を上げた。耳と口のピアスが光っている。校則違反だ。 「殴ったのか」  殴られもしたらしい。目元が赤くなっている。 「テメェには関係ねぇだろ!」 「お前にも反省してもらわないとな」  わたしにまで喧嘩を売ろうとする浅海の顎を掴む。生まれついて他の女子とは何もかも違った。何もかも。 「殴ったんだな?他校生を」  顎の骨が軋む。オオカミに似た目が少しはわたしの話を聞く気になっている。 「漏らすなよ」 「漏らさねぇよ!」  わたしの腕を引っ掻く手首にシルバーアクセサリーが鳴っている。厳密には校則違反だ。だがこの程度の装飾は注意していてもきりがない。となればひとりを挙げて注意することもない。公平性を訴えられ弁明するのも厄介だ。 「生徒会室に来い」  来ないだろうな。だから放さなかった。顎を掴んだまま引き摺る。浅海は抵抗せずついてきたが玄関前に近付くと突然足を止めた。首が伸びる。 「そろそろ離せよ!」  そこにはまだ野次馬という人目がある。見せしめるつもりはなかった。顎を離してやる。浅海は一目散に逃げ出した。 「お~い!彩波(いろは)ちゅわーん!」  生徒会室から頭の悪い声が聞こえた。見上げると尾久山が呑気に手を振っている。玄関前の人集りから黄色い声が上がる。あのアホ面も人気らしい。玄関に入るわたしに横から前から後ろから避妊具が渡され取れるだけ取っていた。放課後のケアだ。しかし今日は浅海の仕置きがある。  生徒会室に戻ると女生徒が慌てて制服を直して出て行った。窓際の机でスラックスのファスナーを直すアホ面に報告する。こいつは浅海とそれなりの関係だったらしいが理事長の息子と知られるやいなや知り合いでいることも許されなかったという。 「ここはイメクラじゃない」 「分かってますって!」 「奥でやれ」  生徒会室の奥にある資料室を教えてやる。わたしもそこで望まれるまま生徒を抱く。 「資料室もイメクラじゃないんですケド?」 「そうだな」  渡されて取れるだけ受け取った避妊具を生徒会長席にばら撒く。これが予約だった。 「トイレ行ってヌいてくる」  飄々と尾久山は席を立ち扉に向かった。 「浅海のことだが」 「うん?」 「そろそろ反省してもらうことにした」  やつは染髪検査で引っ掛かった明るい茶髪を掻いた。傷んだ毛先はざりざり音がした。 「……好きにすればー?」  他意のない、ただの形式的な罰だというのにわたしは何故か遠慮してしまった。話を聞く限り浅海とヤツは並々ならない関係だったようにも思う。  浅海はいつになっても来なかった。外はすでに暗く、先に来た約束の生徒たちも追い返してしまった。生徒会室の扉が開いて浅海かと思うと尾久山だった。きょろきょろしながら室内を見回す。わたしと目が合うと入ってくる。その足取りは少し重い。辛気臭くないところだけが長所だというのに湿気た顔をしていた。否、他にもあったかも知れない。成績は中の上、問題は大して起こさない、人当たりは悪くもない、だとか。 「もう終わったん?」 「何が」 「夢旭(ゆめひ)のコト」  目を逸らしたりわたしを見たり忙しかった。 「来てない」 「来てない?」 「呼んできてくれるのか」  尾久山は首を振った。少しは手伝えと言いたいところだったが相手が浅海となれば尾久山には頼めない。 「あと1回だけ待ってやる。それでまた何かやらかすようなら、容赦しない」 「それ、夢旭(ゆめひ)には忠告してやんの?」 「しておいてくれるのか?」  尾久山はまた首を振った。 「じゃあ教えようがないな」  わたしは生徒会長席に広げた首輪だの鎖だのを片付けなければならなかった。 -雨土歌-  夢旭さんとぉ、(うい)さんってお似合いですよね!  はいキタこれ系のあれ。なんでも、オレがウケで夢旭がセメらしい。なんだそりゃ。ソウイウ関係ってところまではまぁ合ってた。ソウイウ関係までは、ね。でも夢旭はプライド高いからそれが嫌でオレと居るのも嫌になったらしくてもう顔も見てくれなくなった。 「お似合い…かぁ…」  そんなのオレたちがよく分かってた。でもこの子たちみたいな意外と核心突いてることを冗談で本人もそれを冗談として扱ってるタイプの人がいい感じの関係を壊していくわけだ。  浅海さんとどんなセックスするんですかぁ?  これ、オレがこの子にオトモダチやカレシとどんなセックスしてんの?なんて聞いたら問題だよ。セクハラ。彩波(いろは)ちゃんに怒られちゃうよ。  彩波ちゃんはよく仕事をしてくれる。彼女はオレが理事長の息子だから色々面倒なこと言われないように代わりに立てた立候補者。親の七光りって言われちゃうからね。でも七光りってどこかしら光ってなきゃどうしようもない。オレはどこも光ってないからね。 「答えるわけないっしょ」  オレはこのちょっと地味な女の子のことをもう無視することにした。彼女には悪いケド、あんまり気持ちいい話じゃないな。彩波ちゃんなら名前も覚えているんだろうけど何回もヤってる子の名前だってオレはちょっと怪しい。姿に名前のイメージを重ねれば簡単だとか言ってたけどホントか~?オレは何の気なく生徒会室のドアを開いた。珍しく彩波ちゃんはいなかった。室内はシーンとしてて相変わらず日当たりがいい。 「彩波ちゅわ~ん?いねーの?」  資料室の奥から物音がしてすぐに彼女はやって来た。長い髪はいつも片側に下ろしてるのに少し乱れて、大きな目はとろんとしてた。気怠い感じがあって、資料室で誰か抱いてたなってすぐに分かった。彩波ちゃんは男女問わず人気で、その巨根は一度ヤったら病みつきになるらしい。 「なんだ?」 「悪り、邪魔した?」 「いいや、今終わったところだ」  ひじき付けてるみたいにしっぱしぱの睫毛はウニみたいでもある。鏡みたいな大きな目がばつが悪そうにオレから逸れていった。 「今朝、また他校の人来てたみたいだケド?」 「この前と同じ生徒だ。浅海が先に喧嘩を吹っ掛けたらしい」  彩波ちゃんはクールに日当たりの良い生徒会長席に座った。革張りの椅子が彼女はさらに風格を与える。 「じゃあ、夢旭は…?」  彩波ちゃんは無言で奥の資料室を指した。冷静沈着で明るい感じじゃないけど結構カオに出るタイプなんだよな。少し怖いカオしてた。綺麗だけどさ。 「そっか……もう?」 「もう、なんだ?」 「お仕置きしたワケ?」 「したはしたな。仕置きにならなかったかも知れない。反省の様子(いろ)は見られなかった」  オレはよく分からなくて自分の目で確かめに資料室に入った。クリーム色のカーテンが掛かってるけど日差しが透けてて部屋中変な色になってた。革張りのソファーがあってその上で夢旭は寝てた。彩波ちゃんのするお仕置きは調教だ。夢旭は調教する必要なんてないくらいどこもかしこも感じやすいのに。噂の病みつきになる巨根にヤられて落ちちゃったらしい。傍に寄ってみる。目が覚めてオレを見たら悪態吐くのかな。広い(でこ)と少し高い鼻と綺麗な二重瞼。やっぱイケメンだわ。寝顔まで。かっこいい。肌もすべすべそう。口ピを触りたくなった。ちょっとずれたブランケットを掛け直してもう少し夢旭の寝顔を見てた。かっこいいしかわいい。ブルドッグとかが付けてるようなトゲトゲの首輪が付いてた。彩波ちゃんが嵌めたんかな。鎖が床まで垂れていた。変な意味ではなく単純に、真面目で厳格な彩波ちゃんが首輪付けて遊んでるってところが想像つかなくてどんなプレイしたのか気になった。女の子みたいに顔の横にある手がぎゅっと何かを掴んで夢旭の表情が険しくなった。 「寝かせといてやれ」  音もなく彩波ちゃんは真後ろに立っていた。 「かなりハードだったようで…」 「意思が固かったものだから」  夢旭はこの五十音(いそね)高校をトップにしたいみたいだ。学力で、ではなくて喧嘩で。オレが彩波ちゃんの生徒会選挙に科した公約(マニフェスト)は当校内の喧嘩の排除で、他校(よそ)とも手を組んだりはしないって決めてる。やっぱり反対派はいた。暴力賛成派は暴力で黙らせるしかなかったんだけど。結局は暴力が万事解決できる策なんだよな。解決って言わないけどね、そういうの。 「で?」 「で?」   彩波ちゃんはオレを見て首を傾げた。 「納得してくれたの?」 「いや、先に気絶した」  頑張ったじゃん夢旭。それは素直に褒めるよ、よく分からないけど彩波ちゃん凄そうだもん。逸物も、技量(テク)も。 「悪かったな」  夢旭のちょっと傷んでる髪に触ると後ろから彩波ちゃんが冷めた声で謝ってオレは振り向いた。 「何が?」 「浅海に手を出した」 「いや、オレに謝らないでって。やり方は一任してるんだし、さ。結果的に五十音(いそね)が平和ならいいんだから」  藁山(わらやま)学園の彼が最近ちょくちょく五十音に来てる。藁山学園と手を組んで、井上(いうえ)学院、江尾(えお)工業高校、柿崎商業工業高校、市立菊池高校を潰そうって話だ、きっと。藁山学園もうちみたいにもう喧嘩上等!ってやってないから。 「浅海からは出来るだけ目を離さない。悪いが空いた穴は頼みたい」  頼み事なんて信用されてきたな。彩波ちゃんの目はもう普段どおりに戻っていた。凛として強い眼差しはオレに彼女で間違いなかったと思わせてくれる。 「承知~」  彩波ちゃんはオレのふざけた返事を聞くと生徒会室に戻った。オレは助かってるけど彼女にとっては大変な事に巻き込んだかも。  もう少しだけ夢旭の顔を見ていたかったけどオレも隣の生徒会室に戻った。彩波ちゃんはぼーっと窓の外を見ていた。基本的にはいつも閉まっている登下校の時にだけ開く横門って呼んでる横にスライドさせるタイプのアルミの門からいつも藁山学園の彼はやってきた。高校生男子の平均身長くらいあれば乗り越えられるくらいの高さ。生徒会室からはよく見える。 「もういいのか」 「うん。彩波ちゃんはもういいの」 「…まぁ」  彼女はまだぼんやりしてた。多分だけど彩波ちゃんまだ勃ってる。先に夢旭が根を上げちゃったんだな。 「遠慮しないで。行って来なよ、ほら」  会長テーブルの上にあった生々しい避妊具をひとつ取って彩波ちゃんに差し出した。困惑気味に彼女はオレを見た。 「あ、違うよ。他の子探してきなよ。最近出来たヤり…アイドルみたいな部活なら相手探してるし」  彩波ちゃんに避妊具差し出すのはソウイウ意味で可愛がってくれっていう予約だってことをオレは忘れていた。流石に抱かれるシュミはないから最近出来たヤり部 (もとい)アイドル同好会を勧める。アイドルを語り、アイドルになり、アイドルを極める同好会っていう説明に、興味関心・探求・調査・行動・表現等々の面で学究的(アカデミック)だと思ってオレは承認に賛成したんだけど、組織されたらやることはまさかの女の子とセックス、男の子とセックス、部員内でセックスで、その活動も自分たちがアイドルになるための自分磨きだっていうから五十音高校大分爛れてるよ。生徒会室でセックスしてたオレが言うことじゃないな。あの部活いい感じに頭脳派部員(ブレーン)がいるぞ。オレが承認に賛成すれば彩波ちゃんは割りとマニフェスト以外には寛容なところあるから。 「いや…構わない。何か話があるんだろう」 「話入る?」 「もう少しだけ休ませてくれ」  ぎこぎこと彩波ちゃんは革張りのソファーを左右に揺らした。たまにそういう子供っぽいことやる。喋り方はかなり大人っぽいのに。ぎこぎこ、ぎこぎこ音がする。なんかやらしい。 「話す必要が無ければ黙っていてくれて構わないが、浅海とは何があった」  彩波ちゃんは目を閉じてソファーの背凭れに深く身を沈めていた。 「あ~、別にそんなあれな話じゃないよ。くっだらない話」  思いっきり拒絶された時の表情はよく覚えてる。割りとそんな簡単なことで切れちゃう仲だった。価値観の違い。カップルにありがちじゃん。ただ上手く言葉に出来るか分からなかった。いや、出来ると思うけど。 「…そうか。くだらない話なら深く聞くのはやめよう」  マッサージチェアにでも座ってるかのように彩波ちゃんはぼんやりしていた。浅海の色気に()てられちゃったか。 「もうアイドル同好会行ってきなって。逆お誘い。それとも連れてこようか」 「そんなデリバリーヘルスみたいなことさせられるか」  彩波ちゃんに抱かれたいって言ってたけどな。オレのこと輪姦(マワ)したいって言ってたからオレも近付かなくていいならそのほうがいいんだけどさ。 「少し落ち着いた。悪いな。一度こうなると長引く」  まだ興奮は完全に引いているわけではなかったみたいだけど彩波ちゃんは冷静だった。話を促される。 「彩波ちゃんとオレでさ、他校と喧嘩やりたい派の生徒()たちやっつけちゃったじゃん」 「…ああ」 「井上(いう)学とやり合ったって」  彩波ちゃんのまだほわ~んとろ~んとした目がいきなり変わってオレを睨んだ。 「何故それを早く言わない…」 「もう少し動向を探りたかったんだよ。どっちが勝ったとか負けたとかってのは聞いてないんだもん。噂程度だったから、一応耳に入れておいてもらおうかって思って…」  彩波ちゃんの冷たい目怖いよ。被虐趣味(いじめられっこ)願望に目覚めそう。 「どちらから先に手を出したのかも分からない?」 「多分だけど…五十音(こっち)」  彩波ちゃんはちょっと苦々しい表情をした。ほぼ無表情だけど少しだけ表情(カオ)に出る。無表情だからそれが分かりやすいのなんの。  彩波ちゃんは小さく唸って革張りのソファーから立ち上がった。 「どこ行くの」 「井上(いうえ)学院に詫び入れる」  彼女は内線電話を取ろうとした。でも資料室のドアが開いて彩波ちゃんはそっちに意識を向ける。 「要らねぇ!詫びなんざすんな、みっともねぇ!」  夢旭が彩波ちゃんに近付いて胸ぐらを掴んだ。一応彩波ちゃん女の子なんだけど。 -日風水世-  浅海はわたしの胸元を掴んで、舌打ちをした後にわたしを突き飛ばす。ネクタイが乱れたため首元を正すと浅海はきつくわたしを捉える。 「わたしが生徒会長になった。民主主義である以上、お前等には悪いが喧嘩で頂点を決めようなどという主義は取り潰させてもらう」 「学園長の息子を責任者にしてか?出来レースだろ。誰が公平な選挙、清き1票だなんて信じるってんだ?」  意外に物を見ていると思った。わたしは浅海を侮っていたことに気付く。見た目や素行だけで相手を測っていた。恥ずかしいことだ。 「そうだな」  何か反論はあるかと尾久山に目配せする。彼は普段の情けない笑い方でわたしたちを見ていた。何も言い分はないらしい。 「そのとおりだ」 「否定しろっての。あんた等はあんた等でやってろ。俺たちは俺たちでやりてぇコトがあんだよ。ただし口出してくんな」 「それは無理だな。マニフェスト掲げて当選(うか)った以上、喧嘩排除は守らなければ、たとえ汚かろうと1票を裏切ることになる」 「強制参加の投票のクセにか」  浅海は鼻で笑った。 「票を投げた者たちの心情など分からん。ただわたしの名を書いて箱に入れた瞬間、1票は1票だ。尊重する価値はある。たとえ出来レースでもな」  浅海はわたしの手元にある内線電話を払い落とした。派手な音を立てて破片が飛ぶ。生徒会の備品は生徒個人には請求出来ないって分かってやっているのか。 「井学に詫びは要らねぇ。俺が行く」 「詫びもしないくせ、何をしに?」 「あんたに教える筋合いはねぇよ」  浅海は怒鳴って生徒会室を出て行った。静寂が訪れる。わたしは経年劣化もして焼けて黄ばんだ内線電話の破片を拾った。長年に渡って紫外線を浴びたプラスチックは簡単に割れてしまう。普段は暗いボタンが点滅していた。事切れる前のようだった。 「どうする…?」 「1人行かせるのは心配だ。わたしも行こう」  内線電話をテーブルの上に乗せて浅海の後を追った。井上学院は電車では3つ先だ。15分ほどかかる。 「オレはお留守番?」 「そのほうがいいんじゃないか」  浅海もいることだ。来いとも言えない。待っていろとも言えない。奴の寝顔を眺めている時の様子からまず間違いなく彼は奴にまだ情がある。難儀だ。浅海が尾久山をまったく見もせず気にしなかったことも。  生まれた時から周りと何か違っていた。何をやっても頂点に立てる素質がある、と胡散臭い占い師は言っていた。それを親も親戚もわたしに言った。付き合って欲しいと言われたのは何回か分からない。抱いて欲しいと頼まれたのも何回か10を越える前に数えるのをやめた。児童会長はわたしに。学級委員はわたしに。学年代表は、部長は、生徒会長は。  ある素行不良の生徒がいた。彼とは何故だか反りが合わなかった。何となく雰囲気(におい)がわたしと同じ気がした。それは彼も感じていたようで、彼は時折わたしに同情を示した。疲れないのか、とかすべてわたしに丸投げなのは酷いとか、半ば揶揄と嘲笑を混ぜて。わたしはわたしのままやれている。わたしのままやっていたら自然と周りの望むとおりになっていた。だから何も大変なことはなかった。彼といると少しずつ自分の違和感に気付いた。  彼は他校を潰すことに燃えていた。お前がコッチ側なら誘ってたのに、と彼は言った。それが最後の会話だった。まだ生きている。まだ生きているけれど、彼は話せない、歩けない、目覚めない。花束を持ってわたしは病院に向かった。彼はチューブに繋がれて、その傍にはわたしと同じ制服の男子が座っていた。地味なフレームの眼鏡に校則を守った髪型と首元まできっちりボタンを留めた襟をよく覚えている。 『貴方は何も悪くありませんが、貴方の顔を見ると悔しくて、貴方の顔を見ると貴方を責めたくなってしまうから…もうここには来ないでください』  彼の恋人だった。名前も聞いたことがある。成績はいつも、わたしと彼のその下に並んでいる。その男子は彼のクラスメイトで学級委員。こうなるまで彼のことは何も知らなかった。恋人がいたことも、それが絵に描いたような品行方正な学級委員だということも。価値観も意見も違かったけれど同じ雰囲気(におい)がするただその場しのぎの話相手。 『どうしてもっと早く助けてくれなかったんですか』 『どうしてもっと早く助けてくれなかったんですか』 『どうしてもっと早く助けてくれなかったんですか』

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