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第1話

「……随分と、綺麗な子だね」  目の前の男性に言われて青年は氷を砕いている手を止めた。もう少しでアイスピックで指を突いてしまうところだった。  男性の隣にいた紅いドレスの美しい女性が艶めいた唇に、やはり深紅の爪を当てて華やかに笑った。 「いやだわ、そんな真面目な顔して言うから、びっくりしているじゃない。ねぇ?」  青年は黙ったまま目の前の男性を凝視した。 「いや、こんなに綺麗な子を、見たことがないもんでね」 「そりゃそうよ。この私が選んだ子だもの」 「ホントに真優子さんと一緒に住んでるの?」  青年は俯いてまた氷を砕き始めた。男性の真剣な視線が痛かった。 「そうよ。若いツバメと暮らすなんて私も地に墜ちたと思ってる?」 「いや、そういうんじゃなくて……」  男性は何となく言葉を濁した。  男性の言いたいことはわかる。こうして真優子の経営している店を手伝ってはいてもヒモと思われるのがオチだ。その通り二人が一緒に暮らしていることを知ると色眼鏡で見てくる客が大半だった。だからといって彼女の言葉を止めないのは自分のためでもあるので青年はいつものようにどうでもいいと思いながら淡々と作業を続けていた。  実際彼女は美しい。店に来る客はホステス目当てというよりはママである真優子目的だった。彼女にとってもいい口実ができたのだろう。  最初この店を手伝い始めた頃は彼女が様々な男に誘われて内心困っているのを何度となく見てきた。そのうち自分との仲を堂々と話すようになり、だからと言って客が減るわけでもなく彼女は解放されて楽しそうだった。それならそれでいい。 「想像できないんだよね」  目の前の男性が続けた。 「何が?」 「いや、君と彼の生活がさ」  二人の会話をなにげなく聞きながら青年は少し立ち位置をずらした。 「高浜さん、昔から私を口説かなかったけど、もしかしたら」 「……高浜?」  声に出してしまって青年は二人の視線を感じて思い切って顔を上げた。 「ああ、俺は、高浜悟っていうんだ」  男性が何度も来店しているのは知っていた。この店の常連で、特に真優子が気に入っていることも。青年は切れ者であることが一瞬でわかる雰囲気を持つ男性を無表情に見つめた。 「……随分、感情のない目で人を見るんだね」  思わず痛いところを突かれて青年は小さく言った。 「……すみません」 「……苦労して育ったんだろう」  痛い。この男はどうしてこうあけすけにものを言うのだろう。相手の痛みというものを知らないのだろうか。 「ダメよ、この子に手を出しちゃ」 「出さないよ。真優子さんの大事な彼だもんな」  視線を決して外さず、高浜は真優子の言うことなど聞いていないと思った。目を細めて自分を品定めしている。その視線が痛かった。 「君の名前を教えてくれないか」  青年は苦しくなりそうな呼吸を抑えながら更に小さな声で俯いて言った。 「……レイ」 「眠れないの? レイ」  レイは爪を噛んで頷いた。高浜の視線が忘れられない。声が、言葉が。隣で眠っていた真優子の優しい手のひらがレイの髪を撫でた。けれど落ち着かない。 「高浜さんのこと、気になる?」 「……真優子さん」  レイは小さくかぶりを振ったが真優子は一瞬の間を見逃さなかった。 「そう、何が聞きたいの?」 「……何も」 「……それなら、高浜さんに直接聞くといいわ」 「……それは……」  とてもそばには立ち寄りがたい雰囲気がある。レイがもっとも苦手とする部類の人間だ。高浜はカウンターで一人で飲むことが多くそこに真優子がいつも一緒にいた。二人が話すことにあまり注意を払ったことはない。彼の視線を感じたこともないし言葉を交わしたのも今日が初めてだ。真優子と一緒に暮らしている、そういった話になった途端に声を掛けてきた。高浜は真優子が好きなのだろうか。 「……彼も、あなたに興味を持ったみたい」 「……興味?」 「彼、誰にも、興味がないの。そうね、人間そのものに興味がないっていうか」 「……真優子さんにも?」 「そうよ」  真優子は微笑んだようだった。いつも使っているコロンの香りがふわりと辺りに漂った。甘くて優しい。 「……あの人は、苦手だ」 「……珍しい。あなたも誰にも興味ないのに」 「…………」  そう言われると言葉に詰まる。確かに自分は高浜に似ているのかもしれなかった。こうやって同じベッドに寝ていても真優子との関係はまったく無い。そういった感情は昔から無かった。相手に誘われるままに、あるいは強引に、そんなことはあったが、それもレイにとってはどうでもいいことだった。心と身体は別々で、それでよかった。 「そんな目をしないで」 「……どんな目?」 「私を通り越した目」 「……あなたを、見てるよ」 「優しいウソばかり、つかないの。誤解されるわよ」  レイは目を閉じて頬を撫でている真優子の手に自分の手を合わせた。 「僕は、嘘をついたりしない」  小さな声に真優子は笑った。ため息ともとれたが。 「……そうね。ウソをつかない代わりに、言いたくないことは言わない。言いたいことも、言わない」  レイは指に力を込めた。 「……あなたはどうして、僕と寝ようとしないの」 「随分、はっきりと言うのね」  真優子は今度ははっきりと笑った。 「あなたと同じ理由よ」 「……同じ?」 「本当に大切な人とは、寝ないの。それが私のルール」 「僕は別に……」 「あなたの人生に、まだ、大切な人が現れてないだけよ」  レイは疲れたように小さく息を吐いた。 「……そうかもしれない」 「もう、寝ましょう。あなた、疲れてるのよ」 「……うん……」  レイは大きく息を吸った。  高浜悟。一瞬たりとて忘れたことなどないその名前。今にも叫びだしてしまいそうな昂りを沈めようとレイは必死に真優子の手を握り締めた。 「こんばんは、レイくん」 「……いらっしゃいませ」  真優子がちょうど外出したのを狙ったかのように高浜悟は店にやってきた。レイはカウンターの下でぎゅっと両手を握り締めるといつもの顔で高浜を迎えた。 「いつもの、頼むよ」 「……わかりました」  ウイスキーのボトルを取り出しグラスに氷を入れていると高浜の視線を痛いほどに感じる。息が詰まりそうだった。 「……真優子さんは?」  いないのを知っているのにわざと知らないようなフリをしているようにも見える。レイはやはりこの男が苦手だと思った。 「……今、用事があって、外に出ています。すぐに戻ると……」 「君と話がしたくてね」  レイは自分の指が跳ねたのがわかった。高浜はなぜ自分に興味など持っているのか、そもそも何のつもりで不躾な態度をとるのかわからなかった。 「……仕事中ですので」 「客と話をするのも仕事だろう?」  痛いところを突かれてまた黙り込む。この男相手にいったい何を話せというのか。 「レイって、どういう字を書くの?」 「…………」  レイは戸惑った。ごまかしは利かないような気がしたし、だが言いたいことでもなかった。 「じゃ、本名は、なんていうの?」 「…………」  高浜の前に視線を合わせないようにグラスを置くと、突然手首を掴まれてレイは驚いて顔を上げた。 「…………!」 「やっと、こっちを向いた」 「…………」  間近で見る高浜の表情はほんの少し和らいで見えた。笑うととても優しい雰囲気になる。もっと笑えばいいのに、そうでないと怖いくらいに感じてしまうのだから。 「言いたくないなら、言わなくていい」  高浜はすぐに手首を放した。ただレイの顔を見たいだけだったらしい。 「あまりいじめると、真優子さんに叱られるからな」  グラスを持つ手を眺めてレイは綺麗な指だなと感心していた。男なのに手入れでもしているのだろうかなどと考える。この店に来ること自体一種のステイタスであることは間違いないのだから。  いつも高浜は上品で高級なスーツを着て物腰もスマートだ。時々神経質なようにも見えるがそんなには気にならない。とにかく清潔感のある大人の男性だ。きっと女性にもモテるだろう。もう少し笑いさえすれば。 「君は、本当に綺麗だね」  レイはその言葉がとても嫌いだった。この見てくれのせいで何度、余計なことに巻き込まれたことか。痛い思いもイヤな思いも。悪いことばかりだ。 「自分の顔が嫌いなんだ」  レイは高浜のネクタイの辺りに視線を落とした。見透かされている。 「……嫌いです」 「そうだろうね。その顔じゃ、いろいろと面倒も多いだろう」  わかっていて、わざわざ言うこともないだろうに。高浜悟とはこういう人間なのか。イメージしていた高浜悟と全然違った。イメージ。レイは内心笑った。何を期待していたのだろう? 何も期待すまい。そう思いながらひとつひとつ失望していく自分の心をレイはおかしく思った。 「真優子さんとは、何の関係もないんだろう?」  レイは少し挑戦的に微笑んだ。 「……さぁ」  高浜の目に面白そうな光が瞬いた。 「君は何のために彼女と一緒にいるんだい?」 「あなたは、真優子さんが好きなんですか?」 「……どう見える?」 ──人間そのものに興味がない──  真優子のセリフをそっくりと真似する。 「あなたは誰にも、興味がないんでしょう?」  初めて高浜は少し黙った。さすが真優子だ。人を見る目がある。 「……そうかもな」  高浜は視線をレイから外してグラスに口をつけた。その時だった。 「……高浜さん?」  用事を終えて戻ってきた真優子が高浜を覗き込んだ。レイは相手が終わったとばかりにカウンターの端へと歩いた。 「こんばんは、真優子さん」 「……レイと何を話してたの?」  真優子の声が少し曇ったように聞こえる。高浜はいつもと変わらぬ視線を真優子に向けた。 「レイくんのレイって、どういう字を書くの? って話」 「ええ? それで、レイは何て?」 「真優子さんには、何て言ったの?」  真優子は高浜の隣に座るとレイに水割りを頼んだ。 「私に聞かないで」 「聞いても、彼は答えてくれなかった」 「……そんなに、彼に興味があるの?」  興味。レイは嫌な言葉だと思った。真優子が簡単にその言葉を使っているとは思わないが、あまりいい響きではなかった。 「彼を少し借りてもいいかい?」  レイは思わず振り向いた。自分はホステスではない。ただのアルバイトだ。しかも男の自分に何の用があるというのか。レイは隣の真優子に視線を移した。真優子は高浜の真面目な横顔を見つめながら頬杖をついた。 「……レイがいいと言えばね」  断るに決まっているではないか。真優子は何を考えているのだろう。高浜の視線を感じてレイは俯いた。 「レイくん?」 「……お断りします」 「俺が怖い?」  勘に触る。子供だと思ったなら大間違いだ。だがその手に乗るのは癪だった。 「……ええ、怖いですね。笑わない人は、好きじゃない」  真優子がレイに視線を向けた。少し不思議そうに。 「笑わない?」 「ええ」  レイはカウンターに両手をついた。 「あなたのような人は、苦手だ」 「これは」  高浜が珍しく嫌味のない表情で笑った。その笑顔。そう笑えばいいのに。レイは腹を立てながらそのことを少し淋しく思った。 「こんなにきっぱり断られるのは、初めてだ」 「レイ」  真優子が立ち上がった。今度は真優子が淋しそうに笑った。レイは混乱して真優子を見た。 「少し、高浜さんと出掛けてきて」 「真優子さん」 「あとは私に任せて」  真優子はいったい何を考えているのだろう。レイはどういうリアクションをとったらいいかわからず、ただ呆然と真優子を見つめるしかなかった。すると高浜が立ち上がる。 「さて。ママのお許しも出たことだし。レイくん、支度して」 「……真優子さん」  助けを求めたつもりだった。だが真優子は視線を逸らしてフロアへと歩いていってしまった。取り残されてレイは高浜の言う通りにせざるをえなくなった。 「これでわかった」  高浜が腰のポケットから車のキーを取り出して顔の前で揺らした。 「君と、真優子さんの関係がね」  レイは何も言えずただキラキラと揺れるキーを見つめていた。

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