『今日のキミは、“立花くん”です。』 『立花くんは今日、僕のことを、“村崎さん”と呼んでください。』 （名前なんてどうでもいいだろ。） 　今朝来たメールを思い返して、ムカつきながらホテルのドアを開けると、なぜかすでに部屋の中は明るかった。 　カードキーもささったまま。 （おかしいな。） いつもと違う。 （“いつもと”、か…） 　思わず苦笑した。 　菽柴(まめしば)に会うのは、これで何度目だろう。 （おっと。今日は“村崎(むらさき)さん”。） 　“村崎さん”は、“高価でヤバいクスリをタダで俺にくれる気前のいいお兄さん”。 　実際にはお兄さんだかおっさんだかおばさんだか、顔はおろか年齢も性別すらも不明な怪しい人物だ。 　ただ間違いなく実在はしている。会ったあと（実際には会ってはいけど）には、必ず約束どおりクスリをくれる。 　クスリとは、処方箋なしでネットで買える、抗うつ剤みたいなやつだ。 　“副作用が出ない”、と仲間うちでの評判もよく、ただ、とんでもなく高い。最近は、転売を目的として奴と会ってたりもする。 　クスリをもらうためのルールは、 　“村崎さん”のことを誰にも言わないこと。同じクスリを使っている友達にも言ってはいけない。 　“村崎さん”の指定した日時、場所に、必ず１人で来ること。 　その場所で、少なくとも１時間程度は“村崎さん”の指示に従うこと。 『これらのことを履行出来る場合に限り、キミが希望する製品を無償でご提供いたします。』 　最初はそんなふざけたメールから始まった。 　無視できなかったのは、そのメールには俺が使っているクスリの名前から、実名や通ってる高校の名前、クラスや、担任教師の氏名までがちりばめられてあり、確実にホンモノのヤバいスジの人間で、無視すれば何が起こるかわからないと思ったからだ。 　でも指示に従いさえすれば本当に希望どおりのクスリをくれる。 　ただ、その“指示”というのが変わっていて…いや、変わっているというより、…“異常”。 　悪趣味で、アブノーマルで、不健全な、つまり、変態嗜好。 　まあそれはそうだろう。それだけのものをくれるんだから、それくらいの覚悟は必要だろう。相手がまともじゃないことはわかっていた。でも。 　村崎は俺が動揺したり困惑するのを見て喜ぶサディストだった。 　いつもわざと俺が嫌がるような“指令”を出して、どこで見てるんだか知らないけど、クスクスと満足そうに笑う声だけをホテルの密室に響かせる。 　最初はハダカになるのも嫌だったけど、クスリは間違いなくくれるから、それを支えに何も考えないことにした。すると、不思議なことに抵抗感は徐々に薄れていく。 　ところがそれがおもしろくないのか、村崎は、次に会うときは要求をだんだんとエスカレートさせてくる。 　最近のお気に入りは、俺が欲しいのとは全然違うメチャクチャ苦いクスリを俺に飲ませて、俺に自分の体をいじらせること。さすがにまだ慣れない。 　ただ、姿は現さない。 　向こうの姿が見えないことは、もう逆に救いになっている。 　あんな姿を目の前で見られてたら、狂ってたかも。（それこそ村崎の喜びそうなことなので、いつか本当にそんなことが起きるんじゃないかと、内心ビクビクしている。） …いや、最初はハダカになるのも嫌だったはず。そんなことにも、俺はだんだんと慣れてくるのかもしれない。 　考えると怖くなる。 　部屋に入ったのに村崎の指示が無いので、 そのまま部屋の奥へと進む。 　相変わらずベッドのそばには、デジタルビデオカメラがこれ見よがしに４台も据え付けられてある。転送用で録画はしてないと言ってたけど、どうだか。変なマネしたら動画を流出するぞとか言って、いつか脅されそう…―― 「っ！」 　そこで俺は、驚きのあまり声をあげそうになった。 　ベッドに、男のコが寝てる！ 　そうか！ 　部屋に電気がついてるってことは、すでに誰かがいるってことじゃないか！ （なんで気づかないんだ俺！） 　動揺を抑えこむように唾を飲み込む。 （…もしかして、こいつが、村崎？） 　んなわけない。 　名門附属の制服を着ている。たぶん、中学生か高校生。 　村崎に指示されたのか、黒いアイマスクをしている。 　向こうもこっちをうかがっているようで、顔をこっちに向けている。 　怯えているらしく、かすかに震えている。呼吸が荒い。 「サツキ、さん…？」 　そいつは寝たまま言った。 （サツキ？） 　透き通ったキレイな声。 『ブー。違います。それに今日は“村崎”って呼ぶよう言ったでしょう。』 　いきなりの“ご登場”に俺もそいつも思わず声がしたほうに顔を向ける。いつもの、機械でいじられた声。よくテレビで、“プライバシー保護のため…”とかいってやってるような。 『こんにちは。』 　ベッドの足元にあるテレビの向こうには、いつものウサギのぬいぐるみ。 　今日はなぜか２体ある。 …どういうつもりなんだ。 「サツキさん、」 　そいつがまた怯えた声を出す。 　そっか。“サツキ”というのはこのコと会うときの偽名なんだ。会う奴によって偽名を変えてるんだな奴は。 『はいダメー。頭の悪いコは嫌いです。今日はおクスリ無し。2人とも帰っていいよ。』 …えっ。 （ちょっとなんで俺まで！） 「なんだよ村崎さん、俺は関係ないだろ！」 「ッ！」 　俺が声を荒げると、それに驚いたのか、ベッドの上のそいつはびくっと震えた。 ――ククっ。 　テレビから、例の、ひとを小ばかにしたような笑い方。 『相変わらず立花くんは威勢がいいよね。』 　当たり前だ。クスリをもらいに来てんだぞ。 『紹介するよ、サクラくん、今、キミの横にいるのは立花くん。“立つ”に“花”で“立花(たちばな)”。覚えたかな？』 　そいつは固まったまま動かない。 『覚えたの？僕の名前は？』 　村崎がイラだった声を出すと、ようやく口を開いた。 「…村崎さん…」 　その声はもう泣きそうになっている。 『はいよく出来ました。さっきのミスは、立花くんのキャラに免じてゆるしてあげる。立花くん、』 　え。 『彼の名前はサクラくん。にんべんに“左(ひだり)”の“佐(さ)”に、“倉庫(そうこ)”の“倉(そう)”のほうね。佐倉くんはキミの一学年下です。お友達になってあげてね。』 …ベラベラとよく喋るウサギだ。 （一学年下。） 　てことは、“佐倉”は高一。 『今日はさっきみたいに、２人のうちどっちか一方でも僕の指示に従えなかったら、２人ともおクスリは無いから気をつけてね。』 　…げ。なんだよ、ソレ… 『その代わり、ちゃんと僕の指示に従えて、僕を喜ばすことが出来たら、今日は２人分のおクスリをそれぞれにあげます。』　 -------→つづく