1 / 37

1 懸想

 初夏。  放課後の放送室は十数人の放送部員が、大会に向けて朗読やアナウンスの練習をしていた。  小さなスタジオで顧問の南方と朗読の練習をしていた大我(たいが)は、電源の入ったマイクを前にして淡白な表情で南方に告げた。 「みなちゃん、俺と付き合って」  白石(しらいし)大我は不真面目な生徒であった。  肩まで伸びた黒髪を外ハネにセットして、制服のブレザーはその日の気分で着崩す。  幼さを残した精悍な顔立ちで、愛想も良く女性受けしたが、自分の意思が最優先で度々トラブルを起こしていた。  授業中も早く終わらないかと願うばかりで集中しない。  ただ、教師に対しても愛想が良く成績も最悪な状況は免れていたので、問題児として扱われることはなかった。  大我は勉学に関しては乗り気ではないように見えながら、学校へは嬉々として登校していた。  高校二年、社会科の選択授業。  スマートフォンのソーシャルゲームで戦国武将を好んで使っていた、という理由だけで大我は日本史を選んだ。  授業を真面目に受ける気などなかったのだが、担当の教師が面白い人間だった。  南方圭紀(みなかたけいき)という男。  やや長い癖毛、地味な面構えに地味なシャツとスラックス。  年齢不詳な容貌だが、三十五だと言う。  気だるげに教室に入ってきて、素っ気ない挨拶から授業が始まる。 「僕ね、平安時代の初期は農民だったんだけど、あの頃竪穴式住居に住んでたんだよ。京都っぽいとこに住んでたのはごく一部の人間だから」  南方は遠い過去に自分が何をしていたのかを教えてくれる。  もちろん冗談であるのだが、生徒に『今日は外してるよ』と声を上げられても懲りずに時折過去の自分を語る。  絡まれながらも授業が滞ることはない。  授業が終わってからも生徒が彼の元に集まり、早く帰らせてと言いながら気さくに会話をしてから帰って行く。  素朴で教師であることを振りかざさず、親しみの持てる人間だった。  大我は他の授業は大抵まともに受けていなかったが、南方の授業だけは最後まで話を聞いた。  先日部活動に所属せず遊び暮らしていた大我は、南方が顧問を務める放送部に入部した。  南方は三年の担任だったため接点が少なく、授業だけでは足りなかった。 「ねー、みなちゃん。見本見せて」  入部したばかりの大我は、なんの知識もないまま放送コンクールへの出場を言い渡された。  マイクの前で朗読の原稿を読まなければならないらしい。  向かいに座る南方は、有能な部長に言われるままに放送部室である放送室の二畳ほどのスタジオに押し込められて、部員一人一人のアナウンスや朗読のアドバイスをさせられていた。  昨年までの顧問が異動し名ばかりの副顧問から顧問になっただけで、機材の操作に関しては理解していたがコンクールに関する知識は大我とほとんど差がなかった。 「そういうの部長にしてもらってよ。友達なんでしょ」  マイクで部長を呼んだが、コンクールの準備が忙しいと言って来てはくれない。  ため息を吐く南方に大我は機嫌の良い笑みを見せた。  教室より近い距離。  南方と時間を気にせず会話ができることが嬉しい。  南方のなにがそれ程までに気に入っているのか、理由はわかっていたが改めて認識したくはない。  楽しければそれで良かった。 「ほら! 早く! 読んで!」  両手で原稿を突きつけると、南方は渋々それを受け取ってマイクスタンドを自分に引き寄せる。  マイクを挟んで原稿を持って、困った顔のまま口を開いた。 『この山の夏は暑いらしい。少し歩いただけで汗が吹き出るようだ。車の騒音がない分、蝉の声が一層うるさく感じた』  開け放した防音扉の外からマイクを通した南方の声が聞こえる。  原稿を全て読み終わる頃には全ての部員がスタジオを覗いていた。  いつもの気だるそうな南方の声音とは違って、情景が染み込むように伝わってくる低音で落ち着いた読み上げ方だった。  ガラス窓からスタジオを見ていた部長の泉が、原稿を手にスタジオに入ってくる。 「なんだみなちゃん、うまいよ? 俺のも読んで!」  他の部員たちも原稿を持ってスタジオに列をなす。 「やだよ」  いつものやる気のない声で返す南方を大我はどこか真剣な面持(おもも)ちで見ていた。  南方は原稿を大我の正面に置くとマイクスタンドを彼に向ける。 「はい白石、読んで」  デスクに肘をつきやる気のなさそうな南方に、大我は唐突に、淡白な表情で告げた。 「みなちゃん、俺と付き合って」  マイクが音を拾い、大我の告白が放送室の防音壁に吸い込まれる。  一瞬、皆が動きを止めた。  南方は大我の言葉に、ただ目を見開く。 「おーい白石、部活中はやめて」  ほぼ間を置かずに、泉が笑いながら一つ手を叩いた。  一人だけ戸惑いを見せない泉に、南方と周囲の部員はたった今の衝撃発言の理由を求めるように一斉に目を向けた。 「白石、男好きなんだよ。しかもさ、いつもなんの前触れもなく告白しはじめるんだ」 「女とも付き合ってたことあるだろ」  バイなのだと何回言えばわかるのかと、大我は泉を睨め付ける。  そして南方に向き直ると一転、期待に満ちた表情を見せた。 「俺、みなちゃんのこと大好きなんだよ。付き合って欲しい」  南方は突然の出来事な上、周囲の目が多いためやや戸惑った。  だが。 「残念だけど、付き合えないんだよ。そういう決まりなんだ」  大我に対してほのかに笑いかける。  実際はそのような決まりごとなどなかった。  十年以上教師をしていて、なぜか二度ほど生徒から想いを告げられたことがある。  どちらも今の言葉で切り抜けていた。  男子生徒からの告白は初めてであったが、断ることに変わりはない。  ただ、以前はこのような公衆の面前ではなかった。  落ち着いて話を聞き言い(さと)すことが、できなかった。 「なにその決まり。無視しなよ」  大我は断る際の南方の物言いにも優しさを感じて、一層想いを募らせる。  部活中にマイクの前で告白をするほど奇抜なだけのことはあり、決まりだからとすぐに諦めることはしなかった。 「無視しなって……。付き合うって言ってないでしょ」  自分は男性であるし白石を特別視していないから付き合えないと、言っても良いものか南方は迷う。  言わないとして、白石を傷つけずにこの話を終わりにする手段はあるのだろうか。 「白石、みなちゃん困ってるよ」  最も近くで二人を見ていた泉が、手にしていた原稿を丸めて白石の頭を軽く叩く。  南方が思わず軽く安堵すると、白石はかすかに沈んだ表情で南方を見た。 「次原稿聞いてもらうの誰?」  泉は白石の腕を引いて立ち上がらせ他の部員を見回す。  すれ違いで一年の部員がスタジオに入る。  南方は申し訳なさそうに白石を見送った。 「ごめんね白石、決まりだから」  泉は大我を部屋の隅まで連行する。  そして寂しそうにスタジオの南方を見る大我を心配気にたしなめた。 「白石、男に告白して成功したことないだろ。せっかく女にモテるんだから、女と付き合えばいいだろうが」  何度か白石が男に告白する現場に遭遇したが、受け入れられる現場は見たことがなかった。  しかも今回は歳の離れた教師である、受け入れられるはずがない。 「今回も諦めな」  泉の言葉に、大我は返答しなかった。

ともだちにシェアしよう!