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6 深憂

 本気で家に帰りたくない。  夕焼けに染まる住宅街、三人で住むには大き過ぎる一軒家が見えてきて、大我は気を滅入らせる。  絶望的に父親が嫌いだが、母親とも同じ空間で過ごしたくない。  自分に気を掛けはするが、自分を愛していると言うより父親に苦言を呈されないように見張っているのだと感じる。  腹立たしい。    大我は家の鍵を開けると無言で上がり込んで二階の自室に直行する。  制服から私服に着替え、スクールバッグから学校の荷物を全て取り出した。  必要な小物を詰め直すとすぐに家を出る。  母親が家にいたのかわからないし興味もない。  父親は常に帰りが遅い。  この家の(あるじ)としての責任を最低限に果たしてはいるが、父親の生き甲斐はこの家の外にあるのだと大我は思っている。  そうでもなければ理解の範疇を超えて恐怖すら覚える。  土日出社しない父親を避けて金曜の夜から日曜の夜まで、大我は家に帰らなかった。    バスに乗り二駅ほどで降り小綺麗なアパートに着くと、鍵を開けて自宅同様無言で扉をくぐった。  小さな洋間に進み照明を点け、かたわらのパイプベッドに寝転ぶ。  デュアルモニタのパソコンデスク、白く大きな本棚に大量の本。  自分の家ではない。  大我はそれで、落ち着きを感じる。  しばらくしてから起き上がり、小さなキッチンの大きな冷蔵庫の扉を一つずつ開ける。  ベッドに戻ってスマートフォンを眺めてから、再びキッチンに立って料理を始めた。  その部屋の住人が戻ったのは二十二時を回った頃だった。  大我はスマートフォンのゲームを中断してベッドから起き上がる。 「おかえり。青葉(あおば)くん、夕飯もう食べる?」  黒髪のショートカットに(りん)とした顔立ちの二十代後半のやや小柄な彼は、キッチンで手を洗いながら爽快な笑顔を見せる。 「ありがと。あとは自分でやるから」  高校入試のために通った塾の講師だった。  明るく意欲的に授業を行う芯の強い人だった。  塾が終わった後どうしても家に帰る気になれず塾の入り口で座っていた大我を、青葉は近所だったアパートに招いて話を聞いて車で家まで送った。  大我はすぐに告白したが、やはり断られた。  泉と同じ高校に行きたかったし青葉が喜ぶと思ったので、懸命に受験勉強をして無事志望高校に合格した。  高校入学後、家に帰れず誰も捕まらない日、何度かアパートの前で青葉の帰りを待った。  青葉は危ないから家の中で待てと、帰りの遅い自分の夕飯を作ることを交換条件に大我に合鍵を渡した。  一人で夕飯を食べてしまった大我は、青葉の横で彼を見つめる。  青葉はまっすぐ見つめ返して、まっすぐな口調で言葉をくれる。 「美味しいよ。大我くん、一人暮らししても食事は大丈夫だね」  冷蔵庫にあった材料でオムライスとポトフを作った。  メニューに迷うといつもこれらを作っていたが、青葉は文句を言わずに食べてくれる。  大学に入ったら家を出られるよう、青葉は精神的に幼い大我に一人暮らしに必要な生活能力を養わせていた。  大我は褒められて機嫌が上向く。  大好きな人が喜んでくれるならと、大我は苦手なことも惜しまず取り組んだ。  優しくされると、すぐに心底好きになってしまう。  だが愛しても、愛されても、足りない。  満たされない。  自分はこんなにも愛されたいのに、愛されることはとても嬉しいことなのに。  愛することは悪いことではないはずなのに、愛することで酷く非難されることがある。  納得がいかない。  女を愛すると他の女と共に歩いただけで怒られる。  男を愛したときは他の男と歩いても文句は言われない。  だから今は、男しか愛さない。  足りないから、もっと愛したくて、愛されたい。  大我は食事の終わった青葉の肩を抱いて、くちづける。  膝の上に抱き上げて、キスをねだって、応えてもらって。  涼しげな顔立ちではつらつとした青葉が目を伏せてうっとりとする姿がいつもと違って可愛らしくて、青葉が大好きだと再認識する。  シャワーを浴びて、身体を重ねて。  彼が自らを全て晒してくれることが、自分の気持ちを受け止めてくれることが嬉しくて、満たされる感覚を得ることはできる。  それでもやはり、どこかが満たされない。  足りないことが不安で、痛く、寂しい。  どんなに愛しても解消できない不安。  時折辛くて、ふいに涙がにじむ。  青葉がなにも言わずにベッドに掛けた自分の背中を抱き締めてくれる。  自分もなにも言わない。  なにが辛いのかわからないから。  ただ、抱き締められると不安が少し(やわ)らぐから。  愛することは間違っていないと思いたい。  愛されることでいつか満たされるのだと、思いたい。

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