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9 静穏

 電車とバスを乗り継いで、一時間ほどでたどり着く。  南方の自宅は団地の一角、小さな庭のあるやや築年数の経った平屋だった。  大我は駐車スペースに置かれた白い車の横をすり抜けて玄関に立つ。  姿が見えたのか家の中から足音が響き、横開きの扉が中から開いた。 「いらっしゃい」  玄関の上がり(かまち)に立ち歓迎してくれる南方に、大我は無言で抱きついた。  まだそこまでは親しくはない、困られることはわかっている。  早く親しくなりたかったし、抱きしめてもらえないのなら抱きしめるしかない。  南方は泉のように明らかに拒否はせず一旦は受け入れてくれる。 「どうしたの」  理由があってこうしているのだと、理解してくれている。 「泉の親見たら、うちの親、ほんとろくでもないなって」  話せば心配してくれるはず、南方はそういう人間だと思う。  玄関の高低差で南方の胸に収まった大我の頭を、南方は柔らかく抱えて軽く撫でた。 「そうかぁ、それは、困ったな」  親がどうこうと説教しないで同調してくれた。  温もりが心地良い。  恋人になれればいつでも心置きなくこの温もりを感じることができるのに。  すぐに頭部を覆う腕は解かれて、背中を軽く叩かれた。 「上がって休んでいけばいいよ」  大我が抱きしめる腕を下ろすと、南方は玄関脇の(ふすま)を開けて振り返る。 「お邪魔します」  小さく挨拶をして大我は玄関を上がる。  抱きしめて良かった。  不安と苛立ちが軽くなっている。  大我はバッグを肩に掛け直し、南方を追った。  入った部屋は和室で、テーブルに勉強道具を広げた恐らく中学生の少年が小さく頭を下げてくる。  電話で南方は、甥が勉強しに来ているから一緒に勉強すれば良いと言った。  彼がいなければ南方にもっと(から)みたい。  だが多分、彼がいなかったなら自分は自宅に招かれることはなかった。  大我はバッグを下ろして斜め隣席に着いた。 「勉強の邪魔してごめんね」 「大丈夫です」  自分より背は低そうだが体格は良く、南方と違って少し気の強そうな少年。  南方は大我の席に麦茶を注いだグラスを置くと、少年の向かいに着席した。 「白石って家に上がるときもだけど、常識的なこと言えるんだね」  意外そうに南方が言う。  非常識だと言われている、だが言いたいことを遠慮なく言ってきたので南方との距離が縮まっているように大我は感じた。 「必要なときには言うよ」 「僕と話すときは必要ないってことなの?」  南方が困った顔をすると、少年が笑顔を見せた。 「けいちゃん、学校でもこんな感じなんだね」  南方の名は圭紀(けいき)だった、大我は思い出して自分もそう呼んでみようかとわずかに思ったが、やめた。  少年と同じ立場になりたいわけではない。  南方はそこで二人に自己紹介をさせた。  少年は南方の兄の子で南方航一朗だと名乗った。  来年、南方が籍を置く高校を受験する予定だが、家で勉強すると気が散ってしまうので場所を借りに来たと言う。  大我も名乗り、親が最悪だから南方に癒されに来たとありのままを語った。  航一朗は教師を家まで訪ねてきた大我に対して(いぶか)しまず、逆に自らの事情を語った。 「白石さんは家がヤなんだね。俺は学校だよ、二年から行ったり行かなかったり」 「えー、なんで?」  大我は勉強は嫌いだが家より学校の居心地が良かったので、素直に疑問を口にする。 「二年とき三年生に目、つけられてさ。ヤバイのが(から)んでくるから友達も近づいて来なくなって、バカらしくて行くの面倒になったの」 「中学のときはそーいうのあったけど、高校ってあんまないよね、みなちゃん」  大我の問いに、航一朗の事情を知っているであろう南方は一瞬大我を見て、答える。 「友達とのトラブルはたまに聞くけど、うちの学校は上下のトラブルはあんまり聞かないね。みんな大人になってるのかな」 「学校歩ってても一年か三年か同級生か、わかんないもん俺」 「えぇ、同級生はわかろうよ。僕は二、三年はわかるから、それ以外は一年生かなって感じだね。まぁ、人数多いし、色んなところから来てるから、接点ないとわからないのか」  二人の言葉を聞いた航一朗は、強気な面持ちから温和な微笑を見せた。 「なんか、めんどくさくなさそうでいいね。俺絶対、けいちゃんの高校に入ろ」  南方も、彼に似た笑みを浮かべる。 「うん、じゃあ勉強して」 「俺でも入れたんだから、みなちゃんの親戚なら余裕だろ」  大我は二人に向けて言うと、昨日からのストレスから解放されて畳に転がり天井を仰いだ。  この家は、居心地が良い気がする。 「白石も宿題してよ」  柔らかく注意されて、渋々起き上がる。 「めんどくさい」  文句を言いながら、南方の入れた麦茶で喉を潤す。  航一朗の隣で数学のテキストを広げ、のろのろと課題に手をつけた。

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