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15 失意

 身体の関係を持った後で、大我は河南(かなん)に惚れた。  河南は大学の要件が済んでからアルバイトに出向くまでの数時間、時折大我のアパートを訪れた。  サークルなどに所属せず大学についての情報の不足した大我にとって、彼との会話は有意義なものだった。  そして、優しく接してくれて、望めば丁寧に自分を抱いてくれる。  河南が本当に同性との交渉がなかったのかわからないが、経験豊富な人間としか思えなかった。  大人として男として成熟したように見える河南が自分に温情をかけてくれることが嬉しかった。  不安定な自分を安定に導いてくれる気がする。  彼への信頼は、日増しに深まっていく。  だがひと月ほどたって、河南は関わってはいけない人間であると唐突に思い知らされた。  早々にその日の夕飯を作り終えた大我は、部屋に訪れてソファでくつろぐ河南の膝に乗る。 「河南くん」  名を呼んで、彼を満足気な笑顔で見つめた。 「大我はそんなに僕のことが好きなの?」  河南も情に満ちた笑みを浮かべて、大我の髪を撫でる。  大我は答えず、どれほど好きであるかを訴えるように笑顔のままで彼の唇に唇を絡めた。  河南はそれに応えてから、膝に乗る大我の瞳を覗き込む。 「今日もこれからバイトなんだけど、大我、急だけど手伝ってもらうことはできないかな」  河南と付き合い始めてすぐ、紹介すると話していたアルバイトについて尋ねたが、彼は少し待ってと言ったきり話題にすることがなかった。  アルバイトを手伝うということは、長く河南と共に過ごせるということ。  大我は快諾して、作った夕飯を二人でとり、外が完全に暗くなった頃にアパートを出た。  鉄道を使い、園姫(そのぎ)駅に着く。  河南とは大学かアパート、その周辺で会うだけで、人の賑わう場所へと外出したことがない。  デートのようだと、大我は浮き足立って河南に着いてアーケード街を歩いた。 「今から人に会うから、適当に話を合わせてね」  河南はそう言うと、配達の業務など明らかに取り扱っていないであろう、街に複数点在するチェーン店のカフェへと入っていった。  二人分のコーヒーを乗せたトレイを持って、河南はなぜか先客のいるテーブルに向かう。  座ったままの先客は、緊張気味に河南を見上げる。  河南は笑顔で、 「お待たせ」  と挨拶をしてその席に着いた。  大我は河南の隣に無言で掛ける。  向かいに座るのは、緩くウェーブのかかった明るい色の髪の、やや軽薄な印象を受ける同年代の男。  河南はどのくらい待ったかだとかその服はどこで買ったのかだとか世間話を始める。  大我に相手のことを説明せず、大我に自己紹介をさせたりしなかった。  会話の途中で頼まれたものだと、小さな茶色の紙袋を渡す。  相手も借りていたものだと言って、同様の紙袋を河南に渡す。  それからしばらく再び世間話をすると、三十分ほどで三人で店を出て、店の前で名もわからない男と別れた。 「今日のバイトはこれで終わりだよ。どうする、街で遊んでく? 今日は帰る?」  大我は無言で河南を見る。  なにもわからない。  さっきの男は誰なのか、渡したものはなんなのか、渡されたものはなんなのか、河南がなにをしているのか。  今すぐ問いたいが、ここで口を開いてはいけないことのような気がして、言葉が出ない。  河南は顔色を変えない。 「帰ろうか。今日はもう出かけないから、僕のアパートに来る?」  大我は視線を落とす。 「行くよ」  肩を抱くように背中を押して(うなが)され、大我は河南に並んで駅へと向かった。  大我は自分のアパートにほど近い河南のアパートへ着くまで、ほぼ無言だった。  なにかが起きている、でもなにも考えることができない。  河南は大我に良いところに住んでいると言ったが、河南の住まいはそれ以上に良く見えた。  整然としたダイニングに通され、大我は布張りのソファに座ると、腕を組んで、うなだれる。 「大我これ、今日のバイト代」  河南が自分の長財布から札を一枚取り出し、目の前のローテーブルに置いた。 「ああいう子に会うときは、僕よりも君みたいな子のほうがいいんだよね」 「なんなのさっきの」  ようやく、無感情だが言葉が出た。  河南は自分を利用しようとしてはいないか。  河南は隣にかけて、変わらぬ声音で答える。 「荷物を届けたんだよ」 「荷物ってなに」 「さぁ? 僕も中身は見ていない」  河南に目をやり、また視線を落とす。 「こーいうワケわかんないこと、俺、やるように見えた?」 「見えるよね、そんな髪の色していたら。違うの?」  見た目の話はしていない。  河南は自分の中身を見ていなかったのか。  そんなはずはない、河南は優しい人間だ。  それ以上先に考えが進まない。  変わらず河南が穏やかに話すから。 「今日は二人で行ったから半分。それでも大学生の普通の時給とは比べ物にならないでしょ。バイト、やってみる?」 「なにがしたいんだよ」  こんな不信感をあらわにした人間に、なにを考えて話を持ちかけるのか。  まだ利用できると思っているのか。  横目で河南を見ると、彼も腕を組みソファに深くもたれて、目を細めた。 「正直、大我が従順過ぎるからつまらなくなってね。生意気な子を手なずけて楽しもうかと思ったら、生意気なのは最初だけなんだもの」  既に不信感を持っていたから、衝撃は受けなかった。  初めて会った日にちゃんと感じていた、この男は警戒すべきだと。 「だから、大我が僕を見損なったらどうなるのか、見てみたくなって」  どうしてこのような人間に好感情を(いだ)いてしまったのだろう。  異様な感覚に気づいたのに、なぜ完全に傾倒したのか。 「僕のこと大好きなんでしょう? どうする、もう別れようか?」  試すように手玉に取るように問う、河南のひたすら低く穏やかな声音が煩わしい。  耳障りだからではなく、腹立たしいのに、心をくすぐるから。 「別れないし、バイトもする」 「はは、どうして?」 「あんたの思う通りにしたくない」  従順ではいけなかったのか、どうすればつまらないと判断されなかったのか。  自分が見限ってここを去るのが河南の筋書きなら、それに反したら河南に少しでも報復することができるのか。 「あんたって、久しぶりに言われたなぁ。いいねぇ大我、また生意気になってくれるの?」  河南が笑う。  優しい笑みなのか、(あざけ)っているのか。  いや、嘲っているに違いないのに。  河南は大我の頬を撫で、顎を(とら)えて、不信感に満ちた瞳を覗き込んでくる。 「可愛いなぁ、大好きだよ」  心底嬉しそうに上ずる声音で言うと、口づけを交わしてきた。  思う通りにしたくないと言ったのに、自分は河南の喜ぶような反応をしてしまっている。  この状況で大好きだなどと言う河南が、全くもってわからない。  わからないのに、口づけは変わらず胸を痺れさせ、身体は河南を欲している。  理解できず見限っているはずなのに、自分はまだ、河南を愛している。  身体を残して、心が沈んでゆく感じがする。  考えることが億劫で、漠然とした苛立ちで河南を睨みながら、大我は河南に抱かれていた。

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