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23 儀式
混迷の日々が続いた後に、非日常をうつろに過ごした。
そこから解放されると、地の底に突き落とされて審判を待たされた。
審判が下ると、地の底でもなく自分が今どこにいるのかもわからないような、どうしようもない感覚ににおちいった。
大我は寝返りをうつ。
昨日買ってきた洋服や雑貨が入ったままの紙袋が目に入る。
南方にすくい上げられるように、忘れかけていた無為な日常にふいに戻ってきた気がする。
日常を思い出したためか、今日の自分は今ここにいる感覚。
教師なのだから勉強も仕事もしないで家に閉じこもっている自分をとがめたり罪を問いただしたりしても良さそうなのに、南方は本当になにも聞かずに安らかに過ごせるように手を尽くしてくれる。
一番安心するのは、南方が本音で語ってくれているということ。
自分のことを嫌いだったと言ったり、今までの言葉は教師である自分に課していた言葉だと言ったり、抱きしめるのは好きだからではないと言ったりする。
だから今南方が見守ってくれるのは本心からの行動だと思える。
南方が好きだ。
だが今は、『愛している』とは違う、優しくしてくれるから『好き』、である気がする。
抱きしめたいはずなのに、抱きしめられない。
キスをしたかったことは覚えているのに、心と体が動かない。
動けないことが、つらい。
動けないのは、一番大きかった気持ちが行き場を失って消えてしまったから。
大きな執着がなくなって、自分を構成するものが変わってしまった気がする。
どこへゆけばいいのかわからない感覚になっていた。
午前六時。
物音がしていたから、南方は起きているはず。
大我は起き上がると部屋を出て台所に向かい、煎茶を入れて廊下に出る。
南方はカーテンを開け放した縁側の柱に寄りかかり、庭を眺めていた。
今日も天気が良くなりそうだ。
挨拶をして近くに座り、南方の湯飲みの横に自分の湯飲みを置く。
「ねぇみなちゃん、一週間たつでしょ。あと一週間、延長してもいい?」
この先どうするか考えるまでの猶予を乞うた。
「いいよ」
南方はなにも聞かずにあっさりとそれを許した。
どこまでも自分を甘やかしてくる。
安心して、気持ちに余裕ができる。
「ちょっとずつ、どうするか考えるから。大学ね、弁護士がどうにか休学にしててくれたんだけど、今は行きたくない。また行くかやめちゃうか、すぐには決められない」
「わかった。僕も気にしてたんだ」
「泉にも、謝りたいし。もう会わない方がいいのかな。それもすぐには、決められない」
「そうだね」
「みなちゃん、俺がなんで捕まってたか、聞かないの?」
訊 ねておきながら、聞かれるのが怖い。
南方は穏やかな表情で答える。
「すごく反省してるのはわかったから、今は聞かなくてもいいかな」
南方が優しい。
どんなことがあっても自分を守ってくれると過去に感じた優しさが、今はある。
「ねぇみなちゃん、キスしていい?」
キスをしたら以前のように南方への愛しさがよみがえり、不安でもどこか前を向いていた自分に戻れる気がして、ふと訊 ねる。
南方は穏やかな表情を消して、過去と同じく困惑した。
「えぇ、ここ、道路から見えるからね」
その言葉に、大我はわずかに驚いた。
拒否しているが、反応が以前とは違わないか。
「外から見えなかったらいいの?」
「いや、うん、キスはお互いが好きな者同士ですることだから、駄目だよね」
今度は以前と同じ反応をする。
だが不快感のような不穏なものを感じない。
大我は南方に一歩近づき彼の肩に手を乗せて、唇を重ねた。
身を引かれる前に自分から身を引いて、元の位置に戻る。
怒られたら素直に謝ろう。
自分が元気になるために必要な儀式だったと言えば、きっと許してくれる。
反応を待つが、南方はなにも言わない。
笑いをこらえるように口もとを引きむすんで、目をそらしてしばたかせる。
「照れてない?」
問うと南方はこちらを見て口を開いたが、しばらく無言だった。
ようやく、言葉を発する。
「いや、照れてないよ」
それなら、今の間はなんなのだろう。
本当は照れているのに、そう悟られないよう無理に気丈に振る舞ってはいないか。
「みなちゃん、かわいい」
思わずつぶやいたその一言は余計だったようだ。
南方が少し、怒った顔になる。
「駄目だって言ったよね」
「ごめん。でも、なんかちょっと、前に進めた」
自分の今までの行動の源は、愛する人のために力を尽くしたいということだった。
しかし生きていること自体に一時意味がなくなって、体が動かなくなっていた。
今は世話になっている南方のために食事を作れたし、南方にキスをすることもできた。
嬉しい。
南方に好まれる自分になれたなら、南方は自分を愛してはくれないだろうか。
頑張ったなら、愛してくれるような気がする。
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