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24 来訪

 行動意欲をそがれていたはずの大我に唐突に口づけられて、南方は動揺した。  まず浮かんだ感情は、大我が少しでも元気になったようで良かったということ。  好まれていることが嬉しいと、胸が痛む気持ち。  そして。  自分はこのようなことをしてはならないと、このような感情を持ってはいけないという強い戒めと、プラスの感情を戒めてしまうことへの自分に対する悲しさ。  また、無理にでも受け入れることで自分に変化が起こるのではないかという希望と、このような感情は自然に任せるべきであるとそれを止める気持ち。  生徒に対する向き合いかたを大我から学びたいと言ったが、思慕の情までも学ぼうとしては大我の崇高な想いをないがしろにしてしまうように思える。  それはしてはならないと、内発するに任せよう、内発しないならそれで構わないのだと、南方は自制した。  日曜は自宅で過ごした。  大我は昨日に引き続き落ち着いているようだった。  彼は『前に進めた』と言った。  このまま泣き腫らす日が来ないよう、南方は切に願う。  次の日、午後七時を回ってから帰宅すると、玄関に見知らぬ靴が揃えてあった。  他人を招くことを拒否していた大我が、一昨日から急速に通常を取り戻していることに安心する一方で、招いた人物が誰なのか気になる。  和室から大我は、スマートフォンを片手に顔を出した。 「おかえり。今ね、鳴瀬とゲームしてたから夕飯ちょっと待って」  言うと、和室へと戻っていく。  鳴瀬とは、団地の住人との約束通り今日学校で確認をとってきた、鳴瀬迅(なるせ じん)のことだろうか。  なぜ接点がないはずの大我と、ここでゲームに興じているのか。  和室に踏み入ると、テーブルで大我同様スマートフォンを手にした見慣れた制服を着た少年が、静かに顔をこちらに向ける。 「こんばんは、いらっしゃい」  声をかけると、 「こんばんは」  無表情で返して、画面に視線を戻す。  やや茶色がかったウルフカットの少年。  朝一で確認したところ、高校にはきちんと通っている。  ただし、家庭のほうから登校しているかと確認の電話が入ったことがあるという。  しばらく声をかけないほうが良さそうだと感じ、自室で着替えなどを済ませると、ひと段落ついたのか大我が台所で夕飯の準備を始めていた。 「今日カレーだから、鳴瀬にも出していい?」 「いいけど、あのさ、どうしたの?」  小声で訊ねる。  とにかくなぜ、このようなことになっているのかわからない。 「暇だからゲーム付き合ってもらってた」  保温してあったのか、準備された食器に大我が手馴れた様子で食事をよそう。 「なんか帰りたくないみたいだから、夕飯食べてけばって」  帰りたくないのは恐らく、家庭に馴染んでいないから。  鳴瀬の親は二年前に再婚していて、鳴瀬は父親の連れ子だという。  なにかの拍子でその話題になったとき、大我が自分の家庭のことを思い出し不安定にならないかと南方は懸念した。  鳴瀬のことも心配であるが、大我は先日まで酷く精神の均衡を崩していたのだ。  少し前までは一人で夕飯をとっていたというのに、今日の顔ぶれは一体なんなのだろう。  不思議な気分で南方は、大我の作ってくれた食事をとる。  鳴瀬は南方のことを高校で見たことがある気がすると言ったが、ここに住んでいたことは認識していなかった。  大我が食事の合間に鳴瀬に訊ねる。 「鳴瀬なんで、家に帰りたくないの?」  鳴瀬は無愛想なまま(こた)える。 「どーでもいいだろ。聞いてどうすんだよ」 「どうもしない。俺も高校の時家に帰りたくなかったから、仲間かなーと思っただけ」  自分だったらここで帰りたくない要因を問い、対処法を共に考えようとするだろう。  もどかしく思いながらも、問いただすのもためらわれる。  話はここで止まるのかと思ったが、仲間という言葉が良かったのか、鳴瀬が口を開いた。 「ウチの親、思春期真っただ中に再婚とかしやがって。今帰ったらロクに会話もしたことない『母親』と二人きりになるんだぞ。帰りたくねーに決まってんだろ」 「あー、そうか」  聞いた大我は、カレーを口に運びながらそっけなく相づちを打った。  鳴瀬は大我の顔をまだうかがっている。 「仲間だったか?」 「違った、ごめんね」 「違うのかよ、ふざけんなよ!」  発言の内容に対してそれほど憤慨した様子もなく、鳴瀬は食事を再開する。  なぜか、今日初めて会ったであろう二人の間に信頼関係のようなものが垣間見える。  素直ではなさそうな鳴瀬と、大我は波長が合うのだろうか。  いや、思い返すと大我は、航一朗とも会って間を置かず打ち解けていた。  大我は人の心に踏み入る(すべ)()けているのかも知れない。  鳴瀬の担任にも鳴瀬を見かけたら気にかけて欲しいと頼まれたが、ここに来て間もなく周囲に知人のいない大我と、周囲どころか家庭に馴染めていない鳴瀬、二人が理解し合えれば双方にとって良いことのように思え、南方は介入せずに様子を見ることにした。

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