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35 情愛

 レクリエーションが終了すると、この後帰るだけなら昼食に付き合えと、石越は大我を施設近くのレストランへと連れ出した。  すぐにでも誤解を解こうと思ったのだろうか、先日は自分を批判することしかなかったのに相当律儀な人間だ。 「俺は白石がなにも考えていない身勝手な人間だと思っていたんだが、多分違うんだろう?」  ともにハンバーグのランチセットを注文し、大我は問いに答える。 「んー、それで合ってるんだけど」  問われてみると認識にズレはなく、解ける誤解が見当たらない。  今日も施設で自分勝手にふるまって米山の怒りを買い、石越に注意を受けている。 「おまえの動きを見てると、親に勘当される人間とは思えないんだが」  米山への対応は失敗したが、他は自分でも案外手を尽くした感がある。  事務所に戻ったように見えた石越は、その後も自分を観察でもしていたのだろうか。  努力を評価されることは嬉しい。  南方に世話になるまでの経緯を簡単に語ると、石越はだいぶ優しげに表情を変えて、大我に対して謝罪した。 「把握してみると、印象が変わるな。圭紀が白石を『いい子だ』と説明したのがだいたい理解できた。誤解で突っかかって、悪かった」  大我自身も、石越への印象が変わっている。  反発しなければ、誠意を持って対応してくれる。 「ごめん、俺も誤解してたから。石越さん、みなちゃんが好きだから喧嘩売ってんのかと思ってたし」  謝罪すると、石越は言い渋る様子を見せながら、口を開いた。 「その認識は、間違ってない」 「え……?」  それは。  間違いなく南方に好意を持っている、ということなのか。  息がつまる。  石越に、勝てない気がした。  相手はおそらく大学を出て真っ当な職についた、常識的で人望の厚い人間。  対する自分は遊び暮らしたうえに大学を退学し、たびたび他人から非常識だと言われている。  石越は苦笑する。 「二十年ひた隠しにしてきたのに、突然白石が出てきて簡単に持ってかれたんだ、腹も立つだろ」    自分が南方を想ってきたのはたったの三年。  二十年とは、自分の年齢とほぼ同じ年月。 「どうした?」  深刻な表情で黙り込む大我に、石越が問いかける。  大我はすねた口調で答えた。 「そんなさ、俺が生まれたころからずっとみなちゃんと一緒にいる人に、俺勝てるわけないよね」 「ん?」  石越は不思議そうに大我を見る。 「圭紀も了承して、家に置いてるんじゃないのか?」 「俺は好きだって言ったけど、みなちゃんは俺のこと、好きになるかわかんないって言ってた」  目をそらしてしばし考え込んだ石越は、真面目な顔で口を開いた。 「いや、白石が勝っているんだろう。俺はそう思っている」  石越は、ひどくまっすぐな人間。  (すき)があるからといって出し抜こうとせずに、引き下がる。  そのうえ敬意のようなものを持って、自分に頼みごとを持ちかけてきた。 「ひとつ注文していいか? あの家は父親も教師で、父親がいたときから結構地域に馴染みがあるんだ」  少し、くやしい。  父親も教師だなんて、知らなかった。 「圭紀があそこにいづらくならないように気をつかってやってくれ。男二人で住んでいたらくだらないことを言うヤツも出てくるだろうからな」  石越は南方のことを知りつくしていて、自分が気にもとめなかった重大なことを懸念する。  自分は南方のそばにいても、よいのだろうか。  南方の利益になることなど、なにもできる気がしない。  帰宅して和室に落ち着くと、大我は浮かない様子で夕飯の支度(したく)を始めた。  なんとなく、思いつめているように見える。  日中のボランティアでなにかあったのではないかと、南方はわずかな不安を覚えた。 「今日はどうだったの?」  ともに夕飯をとりながらたずねると、入居者の男性と少し揉めたという。 「仲良くしたいんだけどさ、俺の話はだいたい気分悪くさせちゃうんだよね。石越さんに何でもかんでも話すなって言われたんだけど、みなちゃんもそう思う?」  大我は不満そうに口をとがらせた。  和真の言いたいことを理解して、南方は過去を思い返した。 「白石が最初にここに来たとき、複数の人とお付き合いしていることを隠さずに言ったでしょう。僕は、話さなければよかったのに、って思うんだよ」  あの場で話さなければ、大我と距離を置くことはなかったのではないか。  あのときはまだ大我のことを把握しきれていなかったため、強い嫌悪感を抱いてしまった。  だが今は、その点について嫌悪感がない。  おそらく大我のことをある程度理解したからだろう。  異常なまでに親に愛されなかった大我にとって、それは必要な行動だったのだと思うことができる。  内情を把握できない人間に要約した話をしても誤解をまねく場合がある、状況によって考えて話すべきだと自分の考えを説明する。  大我は納得したようにうなずくと、少し考え込んでから口を開いた。 「なんでも言わないほうがいいのはわかったけど、なにも言わないのもつまんないだろ。ウソつけばいいの?」  嘘と言われて、南方は再び過去を思い出した。 「ねえ、白石が最初に僕に付き合ってって言ったとき、僕は『決まりだから駄目』って返したでしょう。あれはね、嘘なんだよ。教師のあいだにそんな決まりはなかったんだ」  大我はすねたように口を曲げる。  ただ、本当に気分を害したわけではなさそうだ。 「僕はあのとき正直、白石のことが好きではないし、生徒と、しかも同性と付き合うなんてまったく考えられないって言いたかったんだ。言ってもよかったかな?」  言葉にしながら、南方は自分の考えが当時とすっかり変わっていることを自覚した。  今自分の言葉に耳を傾けながら成長しようとする大我が好ましく思えるし、年の離れた同性であることに違和感を感じない。 「好きじゃないとか言われたらたしかにヤだけどさ、ウソもなんかイヤかも。やっぱなにも言わないで秘密にするのはどうなの?」  ただただ言葉を聞き入れるだけではなく、自分の中にゆずれない部分があることがたのもしく思える。  南方は微笑を浮かべて考えを示した。 「相手が不利になるならだめだとは思うけど、自分が不利になるなら場合によっては僕は構わないと思うよ。白石が大学をやめたこととか遊んでいたことは、仕事のときに誠意を持って対応するなら関係ないことだからね」 「今度があったら考えて話すようにするけど、その場になったらできるかどうかわかんないな。むずかしい」  そこまでして父親に似た入居者と親しくなりたいのだろうか。  その意思もまた、好ましい気がする。 「白石はなんか、『好きだ』って気持ちと『好かれたい』って気持ちが、両方強いよね」  ふと、そう気づいて言葉にすると、大我は宙を見上げ間を置いてから、言った。 「父親のせいかな?」  そして少しさみしげに、目をふせる。 「ホントにつまんない父親だったんだよ。だからさ、この人誰からも好かれてないだろって、かわいそうだから俺だけでも好きになってやろうって、子どものときに思ったんだよね。こっちは全然好かれてないのにさ」  その言葉に、南方は心が温かくなるような感覚を覚えた。  大我は生まれつき、愛情に満ちた人間なのだろう。  親からの愛情が不足しているというのに、愛することと愛されることに、ためらいがない。 「そういえば、親のことあきらめたころからだなー、好かれても好きになっても、全然たりないって思うようになったの。最初は親だけでたりてたってことかな?」  大我の求める愛情を与えることは不可能だと感じていたはずなのに。  足りないのなら、自分にどうにかできまいかと思う。  不思議なことだ。  大我の本質は高校当時からさほど変わってはいない。  自分が大我を徐々に理解していっただけ。  愛することは難しいことではないと気づかされ、彼の愛が非常に純粋なものだと知ると、自分は大我を愛しく想うことが可能であると、南方はゆるやかに認識した。

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