1 / 6
第1話 帰郷
「同性愛って病気なんだって」
レンくんはそう呟く。もちろん告白を受け入れられなかったのは悲しいけど、なにより自分で自分を否定する彼が居た堪れなかった。レンくんは僕のことが好きで僕はレンくんのことが好きで、そのことはお互いわかっているのにどうして僕達は切り離されなきゃいけないんだろう。
だんだん僕は世界からも切り離されているような気分になってきて、抑えどころのない虚無感から右手に力を込める。少し気恥ずかしいながら用意してみた花束は、持ち手がくしゃくしゃに潰れてしまっていた。
* * *
何か適当な岩に乗り上げたのか、それとも溝に嵌って一瞬沈んだのか、ともかくそこそこの衝撃で夢から覚める。自分が自分で無いような変な夢。レンくんって誰だ。
隣のシートに投げ捨てられたスマートフォンで時間を確認する。夕暮れに差し掛かる18時過ぎ頃、もう出発してから4時間ほど経っていた。
「起こしちゃったかな。もうちょっとで着くから待っててくれ」
運転席にいるのは知らない男。ついさっき僕を訪ねてきて、端的に言えば僕をさらっていった。さらうと言ってもこの男は終始申し訳なさそうにしていて全く危険は感じなかったし、何より自分の第六感がコイツは信用していいとゴーサインを出した。
「町に着いたら、とりあえずは君をおばあさんのところに連れていくからそのつもりでいてほしい」
都心から離れること300キロメートルくらい。現代風の建物なんかとっくに姿を消していて、畑ばかりが広がる中のデコボコ道をひた走っている。おばあちゃんの家に連れていくなんて、犯罪者の常套句だ。普通に考えて信用できるようなものじゃないんだから、少しくらいマシな文句を吐けばいいのに。
「そういえば、おじさんの名前は何て言うの」
興味は全くないけど一応尋ねてみる。少しの暇ツブシになってくれれば本望だ。
「おじさん? ……おじさんか。確かにもうそんなトシだったな。いきなりそんなこと言われると不意打ちで中々心にくる」
どうやらおじさんという言葉に心底ショックを受けた様子で、三十代後半の後頭部から涙ぐむのが伝わってくる。お兄さんとして適齢期なんかとっくに過ぎて今や立派なおじさんだろうに、いったい何がショックなんだか。
「おじさんの名前はミセバヤ レン。ひいふうみいの三に浅瀬の瀬、早朝の早で三瀬早だよ」
「レン……レン?」
正直驚いた。怪奇現象の類は一切信じてないけどあまりにもタイミングがばっちりだ。先ほど見た夢と同じ名前、デジャヴだけはこの世に存在するのかもと自分の信念が揺らぐ。
「あぁ、レンっていうのはハスの花と同じ漢字を使うんだ。それで三瀬早 蓮。結構ややこしいでしょう」
漢字を聞かれたのと勘違いしておじさんは得意そうに自分の漢字の説明を続ける。
「学生の頃はテストがある度に自分の漢字を呪ったね。みんなより確実に5秒はハンディキャップがあったな」
左手をハンドルから離してひょひょいと空中に自身のフルネームを書いてみせるおじさん。全くもって三瀬早なんてふうにはなぞれておらず、きっと右利きだろうに左手で書き始めたドンくささに少しだけイラっとした。
「この峠を越えたらすぐに君のふるさとへ着くよ」
僕のふるさと、花屋町。そんな場所の存在はこのおじさん、蓮さんから初めて聞かされた。父親が自分の故郷のことを語ることなんて一度もなかったし、母親に関しては物心ついた時から既にいなくなっていた。
「それにしてもよく付いてくる気になったね」
今更ホッとしたかのような様子でふと蓮さんは一番重大な質問をぶつける。それもそうだ。普通に考えて僕は見ず知らずの人から「君を保護しに来た」なんて言われて、着の身着のまま車旅へとしゃれこんだわけだから大人として注意するべきだった。
「いやまあ、なんとなく一目見て悪い人じゃないと思ったからさ。自分の人生は自分で選ぶって決めてるから、もし蓮さんが悪い人でも後悔はしなかったよ。自分で決めたことだから」
「君のお父さんは、本当に良い子を育てたな……」
その声からは、安堵の裏腹に怨念じみた語気が感じ取られる。静かな狂気になんだか気持ちが悪くなり、スマートフォンに手を伸ばしたその時――
「見えてきたよ!」
自分なりに不穏な空気を察知したのか、わざとらしく明るく蓮さんは声を上げた。ドンくさいのやら感情に機敏なのやら、案外喰えない男なのは間違いない。
気だるいながらも首をもたげてフロントガラスの先の景色に目を向ける。四方を山に囲まれた盆地に、近代的とは程遠いながらもしっかりとした町が円形に広がっていた。
「村じゃないんだ」
「はは、あんな畦道を通ってきたから無理もないけど、僕はずっと町だと言っていたよ」
ずっとと言うほど詳細に説明してくれなかっただろうと少しばかり反抗心を抱きつつ、花屋町の仔細を意識して見る。
環状の中心には小中高と併設されたような学校と公民館があり、そのまわりを商店街と公園が囲って一番外側には畑とビニールハウスが偏在していた。
「花屋町のことは覚えているかい? 君がこんなに小さい頃には少しだけここにいたんだ」
蓮さんが片手で赤子を抱くようなパントマイムをしてなんとなしに問いかけてくる。
「いいや、特に覚えてることはない。もっと言えば蓮さんのことも知らなかったし。けど、黄色い花畑の中で誰かと一緒に遊んだのだけは覚えてるかな」
頭の片隅に仕舞われていた曖昧すぎるほどに曖昧な記憶に手をかける。そこで僕は誰かと大事な約束をした。とても昔のことで内容は一切覚えていないけれど、大きくなったら一緒に暮らそうだとか、結婚しようだとかそのあたりだろう。
「花畑で遊んだって……こんなんだったんだよ?」
空に抱いた赤ん坊をそのまま半身ほど振り返り訝しがる蓮さん。思いの外察しが良いこのおじさんは本当に不思議そうに口元を下げ、今にも追及を始めようというふうだった。
「ああ、たぶんどこかと記憶違いを起こしてしまいました。ハンドル、前向かないと危ないですよ」
記憶違いを掘り出されるのがほんのちょっと億劫になって注意を運転の方へと逸らす。やましいことは何もないけれど、本当に知らないことを細かに尋問されるのは面倒だった。
「それもそうだ――」
両手で手綱をしっかりと握りなおす蓮さん。敬語も遣えるんだな、と新しい発見を嬉しそうに峠を下っていく。
平成9年、8月29日。高校一年生の夏。父親が行方不明になってからはや数日、僕は自分の意思で知らないおじさんと共に知らないふるさとに帰ってきた。
ともだちにシェアしよう!