6 / 6
第6話 何者だ
「ココ、山の中なんだけど……?」
そう言いながら微笑むのを止め、数十メートルの間をずんずんと詰めてくる三瀬早。もとい町長の息子。いろんな意味で今一番会いたくないやつに出会ってしまった。適当な嘘で乗り切れるのか。たくさんの冷や汗を頭皮に感じながら、僕はアヤの言葉を思い出す。
「外の知識をこの町に持ち込んだ外モン、そしてその話を聞いた村人は全員殺された。殺されたと言っても表面上は行方不明っていう扱いなんだけどね。同じようにこの村から出ようとした人間はひとり残らず行方不明になってる」
――答えを間違えたら、いけない。
「いやあ、いつの間にか道に迷っちゃってさ、気づいたらこんなところまで来ちゃってたよ」
「ふん、なるほど。でもそれは無理があると思うな。ここまでほとんど一直線で歩いてきたじゃん、君」
――間違えてはいけない。
「ああ、見てたんだ。っていうのも実は珍しい虫を見つけてさ、追いかけてたらこんなところまで……」
誤魔化しきれずに言葉が詰まってしまう僕と、その正面に立つ三瀬早。近くで顔を合わせて初めて彼の表情が怒であることに気がついた。右手を振り上げる彼を見て、僕は反射的に瞼を閉じた。何をするんだ――
「……まったく、登校初日にしてこんなに制服を汚したらダメじゃないか! ああもう襟までヨゴレがついてるし、山に慣れてない外モンがこんなところを歩き回ってちゃ危ないよ! けどまあ、とりあえずは無事で何よりかな」
そう言いながら僕のYシャツについた泥を丁寧に叩いてくれる三瀬早。吹いたら飛んでしまいそうな見た目の印象とは裏腹に、母親のような図太さで僕に接してくる。
「え? ご、ごめん。俺あんまり周りとか見てなくて、ホント気づいたらこんなとこに……」
「それはもうさっき聞いたって。これからは一人でこんなところまで来ちゃダメだよ? 約束だ」
目の前のオカン高校生が小指を僕の胸の辺りに突きつける。まさか指切りなんてクサイことをやろうとしているんじゃないよな――
「ほら、小指出して。指切りも知らないの?」
確実にするつもりだ。高校生にもなって正気とは思えない。
「その顔はもしかして馬鹿にしてるのかな? 案外軽視できないもんだよ。こうして結んだ約束は絶対に忘れないんだ」
そう言うと三瀬早は右手を更に突き出し、小指をほとんど僕の胸に押し付けてくる。とっても強引な性格に怯んでしまう。
「わかったよ、もう……」
ため息を漏らしながら手をかざすと、「素直なのはいいことだ」なんて頷いて彼はお互いの小指をたぐりよせた。
「ゆびきりげんまん嘘ついたら……」
三瀬早は僕の分まで手を振りながら歌い始めた。何処となく既視感のあるその姿がトリガーとなって、僕の頭にある風景が流れ込んでくる。
恐らく場所はこの町。黄色い花畑に囲まれた場所で、僕は誰かと指切りを交わしている。「ゆびきりげんまん嘘ついたら……」と僕が率先して歌って、相手は何処か乗り気じゃない様子だ。今の状況と全くの反対。思い出せるのはここまでが限界で、重要な「何を誰と約束したのか」については分からなかった。
「……マジメにやってんの?」
三瀬早に話しかけられ夢うつつから覚める。知らない内に既に指切りは完遂されていたようだ。彼の疑るような視線が刺さって痛い。
「ま、マジメにやってたって! 一人で山に入るのは厳禁、忘れないよ」
「指切りしたこと自体を忘れたりしてたら、本気でぶん殴るからね?」
三瀬早は絡めた小指を離すと、笑みを浮かべて握り拳を作ってみせる。ついさっきまで忘れていた誰かのことを考えると、後ろめたさが尋常じゃない。でもまあ、今回は忘れないだろう。
「じゃ、もう危ないし帰ろうか。僕が案内するから付いてきてね」
握り拳を解いて僕に背を向けるとオカン高校生はテクテクと歩き出す。なんだか頼りになる彼の後ろ姿に僕はひとつだけ質問をぶつけてみた。
「三瀬早、山を下る前に一つ聞いておきたいことがある。この町には本当に黄色い花畑は無いのか?」
「花畑?」
彼の歩みが止まる。
「そこで遊んだ記憶があるんだよ。と言ってもすごい曖昧で、実際はココじゃないどこかなのかも知れないけどさ」
そもそも蓮さんに言われた通り、僕がここに居たのは哺乳瓶が必要なくらいに小さいころの話。普通に考えたらどう転んでも記憶違いだろう。しかし彼の返答は僕の想像とは違うもので――
「……黄色い花畑ならあるよ」
僕に背中を向けたまま彼は静かに答える。思いがけない反応に心臓が高鳴った。
「本当か! どうしてもそこに連れていってほしい」
「連れていくのは構わないけど君は……。いや、とりあえず付いてきてごらん」
多少の迷いはあったようだが三瀬早は快諾してくれたようで、スニーカーの靴紐を結びなおす。「少し遠いんだよ」と僕にも靴をしっかり履くように促し、手首足首をグルグルと回して準備運動をする。まさか走っていくのか、と頭に疑問が浮かんだのも束の間、彼はほとんど全速力で草木の中を駆け出した。
いかにも山に慣れている様子で、三瀬早は獣道ですらない木々の合間を通り抜けていく。瞬時に足場を見つけ出し、時には太枝を鉄棒代わりにぶら下がってどんどん山を駆ける。運動神経にはそこそこの自信があったが、正直見失わないようにするのがやっとだ。
出発しておよそ十分は経っただろうか。山育ちの男子高校生はまだまだ余裕そうなのに対し、僕はもうへとへとで歩くのもしんどいくらいになっていた。ついさっき「制服は汚しちゃダメ」とかボヤいてた癖にどうしてこんなハイペースで彼は駆けているんだろう。学ランはもう一日中泥遊びをしたのかというくらいにめちゃくちゃだ。山育ちに本気を出されちゃどうしようもない。
「ちょっと待て、三瀬早! もうこれ以上は歩くのだって無理だ!」
僕は走るのを諦め、最後の力を振り絞って音を上げた。動くのを止めた途端に身体中の力はプツンと消え失せ、膝から地面に倒れこんでしまう。遠くから「大丈夫か!」と聞き返されたがもう会話を紡ぐ余裕もない。久々に口の中が土だらけ。
「本当に大丈夫? なんていうか思ってたより貧弱だね」
頭の真上あたりからほんの少しだけ息切れした声が聞こえた。
「……っとそんなわけで、君の言っていた黄色い花畑っていうのはこのペースで進んでいって二時間くらいのところにあるんだ。その上山の厳しさはどんどん増していく。言いたいことは分かるかな?」
とても良くわかる。彼は僕に「花畑に辿り着くのは不可能」だと言っている。
「それにその花畑は秘境中の秘境でさ、『ある理由』から普通の人間には発見するのさえ不可能なんだよ。現時点で僕とお父さん以外の訪問者は考えられない。町の人たちは誰一人知らないし、それに大して重要な場所でも無いしね。でも。それを、その秘境をどうして君が知っているんだ――」
だんだんと覇気が増していく声に寒気を覚える。僕はうつ伏せから半回転して、彼が視界に入るよう体勢を変えた。
「三瀬早、お前何をするつもりだ」
片膝を立てて何時でも逃げられる姿勢をとる。こんな言葉を使う日が来るとは思わなかったが、今の僕は完全に「臨戦態勢」だ。
「何もしないよ。いや本当に何もするつもりはない」
彼の体勢は棒立ち。外見だけを考えれば三瀬早は本当に何もする気は無さそうだ。しかし僕の第六感は今までの何よりも強い悪意の高まりを感じている。
――この男は、危険だ。
互いに睨み合ったまま一分、二分と時間が過ぎた頃、三瀬早の首元がガサゴソと蠢いた。Yシャツの裏から這い出てきたのは一匹のムカデ。黒漆で塗装されたようなツヤツヤの胴体をうねらせながら首筋を登っていく。その最中に事件は起きた。
「本能ヲ以ッテ悪食ヲ為セ――百足」三瀬早の口が動いた。
瞬きの間に首筋のムカデはその体躯を増大させ、青年の身体を取り囲んでいた。そして次の瞬きが終わった時、目の前にあったのは巨大なムカデの口。
「な」
僕は咄嗟に腰を落とし、前屈みに避ける。飛びついてきた巨虫の腹下をくぐったかと思ったら既にその姿は消えていた。
「今のは、なんだ……」
目の前の男が何かをした。分かるのはそれだけ。
「ユズキくん」三瀬早が口を開く。
「君は見えてはいけないモノを見ていたね?」
三瀬早。お前は――そして僕は――何者だ。
ともだちにシェアしよう!