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第10話 運命 1

ーーーーーーーー 高校時代、少し低い背と細い体、それ以外あいつは完璧なαだった。 成績も常にトップだったし、運動能力も高かった。2年の時から生徒会長を務める統率力もあった。 αだということに誇りを持っているような、茜はそんな奴だった。 一方俺にとって学業やバース性はそんなに重要じゃなかった。無難に学生生活をこなし大学を出て父と兄のような警察官になる、そんな漠然とした未来を見ていたからかもしれない。 1年の時一度だけ、茜は病欠明けのテストでトップの座から落ちてしまった事がある。いつも二番にいた俺がトップになった時だ。 廊下に張り出された順位を見た茜が、一瞬だけ不安そうな泣きそうな顔をしたのを、俺は見てしまった。それは本当に一瞬で 「あやき、るい・・・」 すぐに感情の無い瞳で一番上に書かれた俺の名を見つめ呟いた。 おそらく茜が、俺の名前を認識した最初の瞬間だったんだと思う。 俺はたぶん、その時から茜に惹かれ始めていた。 気付けば、俺の目はいつもあいつの姿を追っていて、耳はいつでもあいつの声を拾おうとしていた。 好きかもしれないと自覚した時にはもう、戻れないほど茜に恋焦がれていた。 それでも茜に伝えることすら、まして近付く事すらできなかった。 理由はひとつ。茜がαだったからだ。 思春期のαは本能的に自分と同じ種類の人間を好まない性質がある。同人種が近付けば些細な事で争いになってしまう、いわば縄張り争いのような状態になってしまうから。 茜と争うのを避けたかった俺は、一定の距離以上に踏み込まずただのクラスメイトとして存在するだけだった。 近付きたいのに近付けない。俺にできる事といえば、自分の能力を出し切らないようにしていつでも茜のすぐ下にいること。 ランク表を見る度、自分の名前の下にある俺の名前にホッとしたように溜息を吐く茜を知っている。 典型的αの 久遠 茜 の脆い一面は、俺以外の誰にも見せたくなかった。 俺は、αである茜を組み敷く妄想を何度も繰り返した。ありえない、とわかっていても止められなかった。 αがαを抱くなんて、頭がおかしいと世間では思われるだろう。 それでも惹かれた。どうしようもなく。 茜がもしβだったら、もしもΩだったら、と報われない想像に耽った。 俺たちの学年では、αは双子の久遠兄弟と俺の3人だけだった。 茜と葵はクラスは違っていたけど休み時間や合同授業のときなんかは一緒にいたし、αの双子としてかなり目立っていたように思う。 明るく華やかな雰囲気で人気者の葵。統率力はあるものの寡黙でどこかミステリアスな雰囲気で人を寄せ付けない茜。 顔は同じでも、性格はかなり違う二人。体格差もあった。 思えばその時点で疑問に思っても不思議じゃなかったのかもしれない。 俺の虚しい想像が報われたのは、卒業式の日だ。 答辞を終えた茜が壇上でふらつき、突然倒れた。俺は咄嗟に茜へ向かって走り出す。 すぐに駆け寄った教師達が茜に触れ、体温の高さに体調が悪かったのだと言った。 茜からする噎せ返るほどの甘い匂い。それに誰も気付いていない。 俺はすぐに気付いた。 これは、Ωの発情。 俺の母親はΩ、男だ。幼い頃から耳にタコができるほど教えられて来たこと。 「Ωに出会ったら、発情の甘い匂いに惑わされてはいけない」 Ωの匂いには、αの性欲や支配欲を掻き立てる成分が含まれている。それに当てられてしまったαはラット化し、本能のままにΩの体を貪ってしまう。自分が望んでいなくても。 発情抑制剤や特効薬で自衛できるのは、現状ではΩだけ。ヒートを起こしたΩを前にした時、α側としては対処のしようがない。 つまりは、Ωの誘惑に逆らえるαなどいない、という事。 茜の甘い匂いに脳の隅々までが痺れて、大勢がまわりにいることも忘れ今すぐにでもこの場で裸にひん剥いて無茶苦茶に犯したい、という欲が押し寄せる。 3年間抱いて来た茜への気持ちは、たった一度の発情で崩れ去るのか・・・。 それだけは嫌だ。 俺は爆発寸前の欲望を理性でなんとか抑え、茜を抱えて保健室へと向かう。 ベッドに寝かせ彼の頬を撫でると、俺の手に擦り寄る肌と上気した熱い息。 これ以上はこの場にいられない。茜を傷付けたくない。 保健室を出たところで 「茜っ!」 血相を変えた葵と入れ違いになる。 「茜・・・、ほんと頑張ったな。・・・だから、これからは自分のこともっと大事にしろ」 そう言った葵が、特効薬の注射器を茜に刺すのがカーテンの隙間から見えた。 茜は・・・Ω。 そうなら良かったと、ずっと思ってきたのに。叶わないと思っていたことが、叶ったのに。 俺が茜に惹かれたのは、αとしての本能だったっていうのか。 茜が本当にαだったとしたら、俺は惹かれていなかったかもしれない。 俺は・・・ 月日は流れ、茜の姿を見なくなって12年が経とうとしていた。 その間にも色んなことがあったけれど、結局俺は茜を忘れられないままだった。 ポケットの中のスマホが震える。 『綾木さん? マムの佐藤ですー』 「お疲れ様です。依頼ですか?」 『そうでーす。田中様の契約、今週いっぱいでしたよね?来週から月水金14~18時、久遠様と仰られる方からのご依頼です』 久遠・・・ 茜と同じ苗字を聞くだけで心音が加速する。 そんなはずがあるわけないのに。 「わかりました」 『マップと簡単な顧客データ、送っとくんで確認しといてくださいね。初回 月曜14時、時間厳守でお願いしますね』 電話を切ってすぐ、佐藤さんからのメッセージが送られてくる。 開いた瞬間、加速した心音が途切れた気がした。 ご依頼主 久遠 茜 様 これは運命じゃない、と俺は分かっていた。 だけど、信じたかった。この恋を運命にする、そう思った。

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