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――はずだった。
「っつ……?」
ぺち、と気の抜けた音で戸田の目に当たる腕。先程までの途轍も無い重力は感じられず、腕の物量に相応しい力が戸田の顔面に小さな痛みをもたらしただけだった。その数コンマ後、少し離れたところからぐしゃ、と重いものが地面に落ちる音と低い呻き声が聞こえた。
「……昼寝か?」
何が起こったのか分からない戸田が、その音の正体を確認しようと腕を動かそうとすると、何故か頭上から場違いな言葉が聞こえてきた。痛みを無視して勢い良く腕を退ければ、橘が真顔で戸田を見下ろしている。
多少息を切らしているが、目立った傷はない。敵のトップ――花咲曰く「戸田が相手にするには危険すぎる」奴の相手をしていたような雰囲気は微塵もない。突然目の前に現れたライバルに、戸田の思考は暫しフリーズし、遅れてやってきた苛立ちに眉根を寄せた。
「んな訳ないだろ、お前から殺してやろうか」
「優先順位を考えろ。藤原のためにあいつらを排除するのが先だ」
「お前に言われなくても分かってるっつーの!」
物騒な恨み節に対して至極真面目に返され、戸田は体を起こしながらさらに眉を吊り上げて叫んだ。戸田の言葉を冗談だと捉えているわけではなく、額面通り受け取った上での返答というのがますます癪に障るのだ。当の本人は、何故戸田が声を荒げたのか、皆目見当もついていない様子で僅かに首を傾げている。
戸田がそんな橘に畳み掛けようと、口を開いた瞬間。
「……ナメてんじゃねえぞ」
静かだが、異様に腹の底に響く声。先ほど重いものが落ちた音がした方向からだ。戸田が橘に向けている感情が子どもの癇癪に思えるほどのどす黒い殺意を感じ、戸田は無意識に声から距離を取る。
先程まで橘とやり合っていたであろう敵側のリーダー。橘とはうってかわって、服はぐしゃぐしゃな上、血で汚れ、息もかなり荒い。ふらりとよろけそうになっている体が酸素を必死に求めているのか、これでもかと肩を上下させている。
息絶え絶え、といった様子の司馬のすぐ後ろで、つい先程まで戸田の頭を潰そうとしていた矢野が倒れていた。微かな胸の動きがあるだけで、指先すらぴくりとも動かない。
そこでようやく、戸田は自分が助かった一連の流れを把握した。恐らく橘が司馬ごと矢野を吹っ飛ばしたのだろう。不意を突かれて地面に叩きつけられた衝撃と司馬の重みが合わさって、流石の矢野も身体が限界を迎えたのだ。
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