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流され続けて

 そもそも健吾とは、同室になってからも暫くはあまり会話がなかった。  孝也が先に到着して、部屋がどちらも同じだったからなんとなく手前を選んで。二人ともロクに自炊もしなかったから、冷蔵庫だって自分の部屋に小さいのを置いて使っていた。  それから段々と邪魔になってきて、今はダイニングキッチンに二台並んで置かれていたりする。  朝起きて、仕事に行く。勤務先の配達局が商店街や駅と近いから、帰りにその辺りをぶらぶらして、表側から駅裏に出てそのまま五分ほどでもう我が家だ。  自転車だってなくても良いくらいの身近な職場。それが一変したのは、同じ年でこちらは国家三種を受けて窓口業務に就いている山浦俊輔のお陰だった。  配達はほぼ全員といって良いくらい男性だけの職場だが、窓口は違う。受験の時点でほぼ半々。そして男性は交代勤務のある集配局や事務センターに行く人も多く、そうなると必然的に特定局の窓口に女性が集まる。  そこにいるのだから山浦はハーレム状態だ。  社交的な山浦は同期の女子ばかりか年回りの近い先輩にも声を掛け捲り、自分の部屋で何たらパーティーを開催しては、官舎の他の職員も誘ってくれる。  そのおこぼれに与かり水上とも仲良くなれたわけだが、何しろ競争率はべらぼうに高い。  そして、水上の様子からして自分は弟ポジションからは抜けられないと悟り、孝也は早々に戦線離脱した。  そんな時だった。 「よしきって、皆に名前で呼び捨てされてんの? なんで? 可愛いから?」  すっとぼけたことを言い出したのが、選りにもよってルームメイトの健吾。  その場に居た全員が大爆笑したものだ。 「うっちー、吉木って名字だよ。孝也くんでしょ。でも名字でよしきってのが似合ってるからなんとなく呼んじゃってるんだけどね」  水上が白い指先で涙を拭いながら説明してくれた。 「へえー、初めて聞いた、そんな名字あるんだ」  心底感心したような表情で孝也を見るから、「お前は今まで知らんかったんかいっ」と全員から突っ込まれまくったのは当然だった。  他の人ならいざ知らず、フルネームを知らずに一ヶ月以上同じ部屋に居たのだから。  先輩も含めて、局員でそう高身長の者は居ない。だから余計に健吾は目立つ。  孝也なんかはそれが羨ましくて仕方ないのに、逆に気になるのか、健吾は歩くときに猫背気味になるのだ。  勿体無いなあと、気になっていた。  それからは何かと話すようになり、音で判ってはいたけれど、かなりのテレビゲーム好きなのも教えてくれた。孝也も一応持ってきているけれど、疲れてそんなにする気になれなくて、それよりも周囲を散歩する方が気晴らしになって好きだったから、必然的に室内で顔を合わせる機会も少なかったのだ。  官舎に居る間、どちらかの部屋で過ごすことが増え、それからたまに一緒にご飯を作ることもあった。ごく簡単なものだったけれど。  そんなある日。仕事にも随分慣れた秋口だったろうか。  ちびちびとビールを飲みながら、二人で落ちモノゲームをしていたときに、どんな経緯だったのか、気が付いたら孝也は押し倒されて二人とも布団の上だったのだ。  今も、芋虫のように掛け布団に包まり考えても思い出せない。  そんなに酔っていたとも思えない。あるとすれば、酒にではなく雰囲気に酔っていたのだろうと思う。  好きとかそんなことは言われていない。何故か体の関係が出来て、女性経験だって皆無だったのに、いつの間にか孝也は受け入れることに慣れてしまっていた。  孝也は、少なくとも自分が好意を抱いていることは自覚している。恋とか愛とかは解らない。だけど、自分だって男だから、いつか女性と色んなことを経験したいとずっと夢見てきたのだ。  それなのに、筆下ろしより先に突っ込まれる羽目になるなんて、これ以上の屈辱はない。だけどそれでもまあいいかと思ってしまった。  それって結局「好き」ということなんじゃないかと思うのだ。  だから、今も。  施錠した健吾が部屋に戻ってきても、すんなり続きなんてする気になれない。  布団の上から抱き締められて、何処から剥ぎ取ろうかとさわさわと手を這わされても、今きっと酷い顔をしてると思って芋虫のまま部屋の角まで転がって縮こまった。  お腹はくうくう鳴っているけど、それ以上に胃が痛くてもう食欲どころの話じゃない。 「孝也~。何拗ねてんだよ」  猫撫で声でしきりに布団から出そうとしてくる健吾が癇に障る。  どうせエッチしたいだけのくせに。  水上とデートの約束をしたことに妬いているだなんて、しかも健吾にじゃなくて水上に嫉妬しているなんて思いもしないんだろう。  悔しい。  暫くしたら諦めたのか、風呂に入ると部屋を出て行ってしまった。  そのことが寂しいのと、ほっとしたのが半々。でも自分が一体どうしたいのかも判らなくて、掛け布団を畳んでから孝也は自分の部屋に戻った。  鍵が掛けられなくて困るなんて初めてだった。人生で一番引き篭もりたい瞬間なのに、神様はなんて意地悪なんだろう。  だけど正直に気持ちを言うわけにも行かないから、電気を消して自分の布団に潜り込んで再度抵抗を試みる。  息を殺して、眠っているフリ。  だけど、見破られているのかそれとも眠っていても関係ないのか、今度は布団の端を掴まれてバッと上に引っ張られてしまった。  勢い、ごろりと転がってトランクス一枚で畳の上に放り出されることになってしまう。 「ひどっ、」 「なんで拒否すんの」  薄っぺらいカーテンの向こうからは、官舎の周辺を照らす街路灯の灯りが入ってくる。薄汚れたオレンジ色の光が、今にも黒く押し黙るのではないかという危うさを含みジジジと音を立てながら時折点滅する。  健吾は苛ついているようだった。  急に恐怖を覚えて、孝也は目を逸らしてのそのそと押入れを開けて部屋着にしているTシャツを引っ張り出した。  何の解決にもならないけれど、取り敢えず頭を冷やしに外に出ようと思ったのだ。 「孝也、すぐ脱ぐんだから着なくてもいいだろ」  腕を取られて、握り締めていた手からシャツが畳の上に落ちた。 「やっぱり今日はやめる。そんな気、なくなった」  視線を避けて首を振ると、ぐいと抱き寄せられて下着の中に滑り込んだ大きな手の平が直接中心を揉んだ。 「やだって言って……」 「そんな気、なくなってなさそうなんだけど?」  にやりと笑われて、息子を叱り付けたい。  本当に今日はそんな気分じゃなくなったのに、それでも健吾に触れられていると思うだけで体も心も快楽に解け始めてこのまま何もかも任せてしまいたくなる。 「いや、だ」  拒絶の声も、喘ぎ声が混じって逆の意味に取られてしまっているのだと思う。  抗うつもりで突っ張った腕はあっさりと捕らえられて、膝を抱えるように布団に戻されて、あられもなく開かされて奥を暴かれる。  ローションで濡れた指が中を侵し、容赦なく扱かれて、呆気なく白濁が弾けた。  ほらな、といわんばかりに微笑されて、泣きたいくらいに恥ずかしい。悔しいのに、それでもやっぱり好きだと改めて感じた。  何もかも解っていて、勝手に好きになったのだ。返してもらえるなんて思ってはいけない。  そう覚悟を決めて、開き直れたら良いのに。 「あ、い、いい……ッ」 「すげー締まる。一回出してもいい?」  揺さぶられて、スキン越しにも熱が放出されるのが判る。そのまま抜かずに体を持ち上げられて、今度は向かい合って座ったまま揺らされ、それから腕を突いたところを下から突き上げられて二人同時にイった。  それで取り敢えずは満足したのか、健吾はふらりと外に出て行ってしまった。  結局流されてしまった己が不甲斐なく、孝也は冷蔵庫の麦茶だけ飲んでからまた布団に戻った。  襖をぴっちり閉めて、今度は顔には被らずに肩まで布団を掛けて、そのまま目を瞑った。  行為の後、そのまま抱き合って眠ることもあるから、どちらの布団にも健吾の匂いが付いている。きつい方じゃないと思うのに、ちゃんと嗅ぎ分けられるほどに近くにいる証拠だった。  そして、その匂いに安堵してすうっと眠りに落ちた孝也を、今度は誰も起こさなかった。  就寝が早かったからか、目覚めた時にはまだ辺りは薄暗かった。それでもカーテンを開けて空気を入れ替えると、ああ朝なんだなと気分が切り替わる。  昨夜入り損ねたから沸かし直して入るかと一瞬思ったものの、面倒だからとやっぱりシャワーにする。その間に洗濯機を回しておいて、バスタオルを羽織ってトランクス一枚で冷蔵庫を開けると、真ん中にコンビニのサンドイッチが置いてあった。  健吾が出掛けていたのは食料の調達のためだったらしいと気付き、孝也は苦笑した。  玉子サンドとツナサンドのセット。好きだけど人気商品だからなかなか出合えない。見掛けたら必ず買うのをちゃんと知っていて、孝也用に買ってきてくれたのだろう。  そんな些細なことがこんなに胸を熱くさせる。  ただのルームメイトでもいいじゃないか。  体だけでも繋がりがあって、同じ気持ちじゃなくてもちゃんと大切にされている。  どうでもいい人間のことは本当に気に掛けない。体裁なんてどうでもいい。それは自信があるからじゃなくて、本当に気にならないらしい健吾は、周りの目を意識して変じゃありませんようにと気を遣う孝也にとっては不思議な男だった。  マイペースといえば聞こえは良いが、ぐうたらを絵に描いたような男である。  だから勝手に寝てしまった孝也のために自腹で食べ物を買うなんて珍しいことなのだ。  少しは気にしてくれてるのかな。  うっかり見詰めてぼうっとしてしまっていたことに気付き、慌てて冷蔵庫を閉めてポットに水を入れてプラグをコンセントに差し込んだ。  お茶だけ飲んでコンビニに行くつもりだったけれど、珈琲を淹れて飲もうと、マグカップにインスタントの粉とクリーミングパウダーを入れてから、小さなダイニングセットでサンドイッチにかぶりついた。  孝也が洗濯物を干してご飯を炊きながら味噌汁を作り終えた頃、襖が開いてのっそりと健吾が出て来た。シャツの下から手を入れて「おはよー」と言いながらぼりぼり掻いている姿は、女性が見たらどうなんだろうといつも思う。男同士だからなのか、はたまた異性にもそうなのか。兎に角取り繕わないというか自然体に過ごしている。  顔と一緒に頭から水を被ってセットしているから、一応最低限の身嗜みは整えるというエチケット的な部分は身につけているらしい。  長いというほどではないが、緩くウェーブしている薄茶の髪と、垂れた眦、日焼けしていない時期は白い肌は、何処か北欧的な雰囲気を漂わせている。ルーツを辿れば何処かに混じっているのかもしれないなあと、生粋日本人の孝也は憧憬を抱いている。  遅くまでゲームをしていたらしい健吾は、欠伸をしながらそれでもちゃんと手を合わせてから質素な朝食を平らげた。  孝也の実家から送ってきてくれる漬物が大好物で、それさえあればおかずは要らないらしい。それには孝也も同意見だから、二人してヘルシーこの上ない食事になることが多く、その分外食や買い食いでは肉系になって釣り合いが取れている感じだ。  二人揃って自転車でホームセンターに行き、午後はトイレと格闘して過ごした。  前よりはマシになっている筈だ。

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