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本当は、わかりたくなんてない

 しくしく泣きたい気持ちを堪えながら、吉木孝也(よしきたかや)は限界まで袖を捲り上げた腕をトイレのタンクに突っ込んだままの姿勢で途方に暮れていた。  レバーを回しても流れないから中でフロートのチェーンが外れているのかと手を突っ込んで直したつもりだったのに、今度はだーだー流れたまま一向に止まる気配がない。流れないよりましだけど、このままだと水道代が大変なことになると思って慌ててタンクの底を探る。  今度はなにが悪いんだよーっ!  その時、のしっと誰かが背後から覆い被さりながら、奥の隅にある水道栓をキュキュッと締めてくれた。 「あ、ありがと」  自分より一回り大きな胸の中でホッと息をつくと、背後の人物はよっこらしょと立ち上がって後ろに下がった。 「ボロすぎるよなあ、ここ」  結局シャツまでびしょ濡れになってしまった孝也を気の毒そうに見遣りながら、同室の内林健吾は溜め息をついた。少し癖のある天然薄茶の髪が、鴨居に届いている。至って標準体型の孝也は羨ましそうにそれを見上げてぐったりと息をついた。 「しょっちゅうこれはないよね。パッキンの交換、自分でしろってことなのかな」  水が出ないとか溢れるなんて割と日常茶飯事で、舎監に言っても古いからしょうがないとか適当にのらりくらりとかわされる。規則破りには親の敵のように言い募るくせに、備品の管理は甘い。年配の夫婦が、この郵政官舎の舎監だった。  大体建物自体が古過ぎて、一応は家族向けに作られているのを、定員が足らないから独身者も受け入れている。男女だって棟が分かれていないから、市営や県営の団地と同じように五階建ての鉄筋コンクリート造りに五十世帯ほど入れるようになっているのに埋まっているのは半分以下。  それならば独身者にも一部屋貸してくれたら良いのに、二DKについている四畳半の和室一室ずつが一人の部屋。まったくせこいものだ。  その分家賃が安いから、孝也や健吾のように県外から来ているものには助かっているのは確かで。手取りが十数万あるかなしかで普通のアパートを借りろという方がどうかしてる。それでも就職先が他に思いつかなかったんだからしょうがない。 「もういいや、明日にでも色んな部品買ってきて付け替えよう。こんなことで時間ばっか取られてもバカらしいし」 「そうだな、じゃあ一緒にホームセンター行く」  言いながらTシャツを脱ぐ孝也の腰に、健吾の腕が回る。頭から抜いたところで腕が自由にならない孝也は、ひょいと肩に担がれるようにしてトイレから連れ出されて、そのまま健吾の部屋の布団の上に下ろされた。 「やっ、ちょっまだ飯も食ってないっ」 「飯より孝也食いたい。濡れたシャツ貼り付かせて誘うのが悪い」  一足違いに孝也が先に帰宅したが、元々職場は同じなのだから帰宅時間にそう差は付かない。特定郵便局勤務の者なら職場の数は多いが、ここに入っている集配局は一箇所だけだ。  そうして着替えてトイレに行ったらあんな事態になってしまったわけで、風呂は勿論晩御飯もまだなのに敷きっ放しの布団に転がされては堪ったものではない。  だが、身長差はともかく体格も差がある孝也は腕と胸の中にすっぽり収まって、ジタバタもがいたところでいつの間にか下まで全部脱がされてしまっている。  喉に舌と唇で愛撫されて、指先で胸の突起を摘まれれば、仕込まれた体は堪らずに雫を零し始める。それを先端に塗りこめながら竿を扱かれ、孝也は腰を押し付けるようにして健吾に縋りついた。 「孝也だって好きなくせに」  にやりとくちびるを歪めて、鎖骨に添って甘噛みされる。 「そ、だけどっ」  気持ちいいのは隠せなくて、孝也は涙を滲ませながら、自分の胸元に印をつける唇を感じて細かく震えていた。  二人は、郵便配達員だ。つまり、郵政省の中では一番楽な試験に通って毎日原動機付き自動二輪車で与えられたエリアの配達をして給料を得ている。余程のポカをしなければ夕方には仕事が終わるし週休二日必ずもらえるから楽に思えるが、その分手取りは少ないし、何しろ毎日カブに乗っているからして年配者は一度は皆患っていると言えるほどに痔になり易い職場なのだ。  それなのに男同士でこんなことやっていると大変なのは自明の理で。  初めて押し倒された翌日、時間内に配り終えられなかった孝也は残業してようやく日が暮れてから局に戻り、流石に心配して待っていた健吾を散々に罵って翌日は自分のエリアも手伝わせたのだった。  以来、休みの前日にしか最後まではしないことになっているのだが、今日がその日だから盛っているようだ。  孝也だってしたい。けど、そんなに慌てなくても逃げないのに。それでも流されて受け入れてしまうのだったけれど、上りつめそうになったその時、狭い部屋に不調法なチャイムの音が響き渡った。  ピンポーンならまだ良いが、ここはブーッである。情緒の欠片もない。  それでも手と口を動かし続けていた健吾だったが、二度目が鳴らされて突然ハッと顔を上げた。 「あ、しまった」  自分はまだ服を身に着けたままだったから、さっさと身なりを整えて、一旦襖を閉めて部屋を出て、スコープから覗いてガチャリと鉄製のドアを開ける。  素っ裸だった孝也は一応ぺらぺらの掛け布団を引き寄せて体に巻き付けた。 「こんばんはー、お疲れ様。帰ってて良かった~」 「水上さんもお疲れ様~。もしかしてあれかな?」 「そうそう、ホントにもらっていいの?」 「いいよー。もうあのハード使ってないし。ちょっと待ってて」  何しろ襖しか隔てるものがないから声が筒抜けだ。来訪者は特定郵便局勤務の水上雪子のようで、まさか入れないよな、と孝也は生きた心地がしない。  ぺたぺたと板の間を裸足で歩く音がして、襖を開けて健吾が部屋の隅でがさごそとダンボールの中を漁って、そこからマルチタップを取り出してそのまま玄関に戻って行く。  袋くらい入れたらどうよ、と孝也は心の中で突っ込んだが、大体健吾はアバウトな性格なのでそんな気遣いは出来ない。 「ありがとう、今度何かお礼するね」 「別にいいけど、俺とも一緒に遊んでよ。ボウリングもまた行こうな」 「わかった。遊びに来るね。じゃあ明日は無理だから次の金曜日に待ち合わせしよ。十八時で大丈夫?」 「晩御飯? うん、大丈夫」  その後もまだ何か話をしていたが、聞いていられなくなって孝也は頭から布団を被ってギュッと耳を塞いだ。  手に取るように判る。今、健吾がどんな顔で水上と話しているのか。  一つ年上の高嶺の花。健吾たちはたまたま、同期の山浦が水上の勤務局に巡回で回ってて、紹介されて一緒に遊ぶようになっただけだ。  皆、それとなく狙っている。孝也だってその一人だった。だから、今の健吾の気持ちだって解り過ぎるほどに解ってしまう。  だけど、本当は、解りたくなんてないし、優しげなふんわり顔を更にデレッとさせている健吾なんて想像したくもなかった。

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