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これが、さいごだから

 そこから程近い友人宅に泊まるのだという二人と別れ、孝也は駐輪場に戻ってから人込みを避けて帰宅した。  別れ際に「吉木のくせに」と忌々しげに零された山浦の言葉がずっと刺さったまま抜けない。  言いたいことを言ってすっきりした水上は、四人が見えなくなるとまた素に戻ったように楽しそうにしていた。だが、孝也はそうはいかない。否が応にも今後も顔を合わせ続ける健吾に、どう接すれば良いのかと鬱々としてしまう。  真っ暗な自室にリュックを置くと、窓の外で洗濯物がはためいているのに気付いた。夕方取り込まずに出掛けたらしい。  きちんと畳んでから隣の部屋の入り口にそっと置き、そのまま浴室に向かった。  汗を掻いている上に色んな食べ物の匂いと焼き物系の屋台の煙が染み付いてしまっていて、何だか気持ち悪い。  でも暑いからシャワーで済ませて出てみると、暗いままのダイニングキッチンに健吾が立っていた。 「お、おかえり」  とはいえ、玄関から上がってすぐに室内だから、そこに用があったとは限らない。ギクリと体が強張ったものの、きっと今しがた帰ったのだろうと声を掛けて、自分の部屋に戻ろうとした。  トランクスとバスタオルだけの格好は、健吾の前だと頼りなく思えて仕方ない。  唐突に伸びてきた腕に後ろ髪を掴まれ、そのまま孝也はバンッと壁に打ちつけられた。  突然の凶行に言葉もなく、横っ面を思い切り強打して目の前に火花が散り、口の中に鉄錆の味が広がった。  ズルズルと床に屑折れる孝也の頬を、今度は拳が打った。為す術もなく、ただ急所だけは守ろうと自然に丸くなる体を見下ろし、「なんだってんだよ……」とようやく健吾は搾り出すように言った。 「け、ご……。ど、して」  舌を噛んだ上に、口の中も切れて上手く喋れない。熱さだけ感じた肌が、じんじんと鈍い痛みを伝えてくる。  よたよたと腕を突いて体を起こそうとする孝也の頭上から、今度は足が打ち下ろされた。  ご丁寧に両手首を拘束までしてから、自分のものにローションを垂らし、体中の痛みにつられて硬いままの後ろにそのまま突き込まれる。  雑誌を把捉するための紙紐は頑丈で、けれど細く縒り合わされているものだから、容赦なく孝也の手首に食い込み、擦れて皮膚を剥がしていく。  うつ伏せで腰だけ浮かされて、いくら一年近く慣らされた体だとはいえ、受け入れきれずにピリリと皮膚が裂けた。  がんがんと痛む頭を横向きにして力なく開かれた口元から漏れる唾液と鮮血がシーツを濡らし、うっすらと開いた目は瞼が腫れているからなのか失神しかけているのかも定かではない。  バカにしやがって。  そう、健吾は苛立ちながら吐き捨てていた。聞き取れたのはそれくらいで、ああ、もう終わったと、孝也は覚悟を決めて悲鳴すら漏らさなくなった。  閉め切った室内に、エアコンが稼動している音と、肌と肌が打ち合う音、そして健吾の荒い息遣いだけが薄ぼんやりとしたオレンジの明かりの中で渦巻いている。  何度も何度も中に出され、薄れる意識の中で、孝也は大腸菌について考えていた。確か、常駐菌。イチモツ感染したら、三村さんとヤるときヤバイんじゃないの、とか。この期に及んでも、関係ない他人のことを考えていたのだ。  或いはそれは、精神を守るための逃避行動だったのかもしれない。  結局最後まで意識を飛ばさなかったものの、流石にボロボロの孝也を仰向けにしたとき、初めて気付いたかのように健吾は息を呑んだ。  慌てて鋏で紙紐を切ったとき、震えながら孝也は指先だけでその手に触れた。  幽霊でも見たかのように蒼白な健吾に、どっちが被害者なんだかと、哂いたくなる。  しかしもう何も出来ないくらいに体力を奪われ、唇だけ動かすのもやっとの状態だった。 「け、ご……」  びくりと肩が揺れ、恐れを滲ませた瞳が、それでもまだ怒りを湛えたまま孝也を見下ろした。  バカだな、ほんと。文句なんて、今更言うかよ。  あるかなきかのささやかさで、孝也は微笑を浮かべたつもりだった。 「きいて……さいご、だから」  吐息に僅かに乗せられる声に、また瞳が揺れた。きっと、さいご、に反応したのだろう。  ビビるなよ、これくらいで死ぬかよ。 「すき、だった。ずっと……お前だけ」 「なに言って」 「愛してたんだよ……」  それも、もう終わりだけどな。  怒った顔のまま動揺する健吾を見られたことに満足し、はたりと孝也の瞼が落ちた。  その頬を、一筋だけ涙が伝い落ちていった。

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