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断ちきれぬ想い

 ついでだからとスーパーマーケットに足を伸ばし、日用品と食料品の買い出しをする。  申し訳無さそうな顔の孝也が何か言い出す前に、自分のがあるからついでだと片山は念押しした。  トイレットペーパーや米などの嵩張る物を中心に買い込み、荷物運びも買って出る。官舎に到着して片山が米袋を肩に載せて歩き出した時、間の悪いことに自転車に乗った健吾が敷地に入ってきた。  タイミングが悪すぎる、と片山は舌打ちした。彼女とデートでもしてもっとゆっくり帰ってくるものと思っていたのだ。  健吾も驚いた顔で二人を見て、自転車を駐輪場に停めてから足早にやって来る。  隣ですっかり縮こまっている孝也を隠すように、片山は二人の間に身を入れた。 「孝也」  呼び掛ける健吾を睨みつけて、「止まれ!」と片山は声を荒げた。その剣幕に驚いて一応足を止めたものの、怒ったように健吾は片山を睨み返した。 「これ以上近付くな。そのまま自分の部屋に行けよ」 「なんで片さんに言われなきゃなんないんだよ」 「怖がってんのがわかんねえのかよ。少しでも悪いと思ってんなら、もう近付くな。  少なくとも吉木から声掛けるまではお前は何もするな」  自分より低い位置からぐいと睨みつけられて、それでも健吾は「だからなんで片さんが」と問い直した。 「見りゃ判るだろう。こんなに震えさせて。お前見ただけで恐怖で竦むんだよ。殺されかかったんだから当然の反応だろう。  そんな吉木にこれ以上何するつもりだ。だから少しでも良心が残ってるなら今すぐ立ち去れって言ってんだよ」  そんな、と健吾の目が揺らいだ。片山の背後の孝也の体は、確かに震えている。 「俺は、ただ」 「ただ、なんだ? 謝るつもりなら、不要だって言っとく。そんなの自分のためだ。周りに対するアピールだよ。癒されるのはお前の心であって、吉木のためじゃない。これだけ言ってもわかんねえのかよ」  曲げるつもりのない主張に、健吾はたじろいだ。  暫くじっと孝也の様子を窺い、顔すら上げないのを確認してからようやく自分の部屋のある昇降口に向かって行った。  その様子を見守って、もう大丈夫と見做してから片山はそっと孝也に問い掛けた。 「ごめん。やっぱり謝らせたかったか?」  その背中でシャツを握り締め、孝也はぶんぶんと首を振った。 「ありがと……。なんで俺の気持ち解るんだろって思ったくらいだよ。もっと時間が経てば変わるかもしれないけど、今はもう何も見たくないし聞きたくない」  そっか、と呟いて、片山は孝也が自分から歩き出すのを待ったのだった。  送迎の礼に簡単な晩御飯を作ると言う孝也に、片山はとんでもないと押し留める。 「何言ってんだよ、作るってんなら俺がやるから休んでろ」 「じゃあ一緒に。それならいいだろ?」  引きそうにない孝也の眼差しを受けて、片山は吐息した。孝也が自分から言い出したことには頑固なのも知っている。  結局、二人並んで調理をすることにして、まずは米をセットしてから材料を確認した。  値引きシールの貼ってあった鶏肉を買って来ていたので、簡単に出来る親子丼にしようと決めて、孝也はその隣で味噌汁の用意を始めた。  健吾はいつも出来上がったものを食べるだけだったから、こういう共同作業が新鮮で嬉しかった。  片山の方も、いつも一人分だと手抜きしてしまうから助かると言って、なかなかの包丁捌きで玉葱を切っている。流石に三つ葉はないので、小口切りにして冷凍してある青葱を散らすことにした。  下準備が出来て、ご飯が炊けてから丼の用意をしようとして、ここのところ使っていなかった小さな折り畳みテーブルがあることを孝也は思い出した。  一人で書き物などをする時に使っているだけだから二人で食事をするにはちょっと狭い。だけど椅子よりは胡坐の方が尻が楽なのである。  片山が押入れから出してくれたものを和室に置いて台拭きで清めながら「神田川みたい」と孝也が言うと、片山は腹を抱えて笑った。  歌詞の中にそんな表記はないのだけれど、雰囲気が合うと思ったのだ。 「わかった、じゃあ赤い手拭い要るな」 「要る要る、銭湯行く」 「この辺にないだろ」 「ないよねえ」  話を合わせてふざけてくれる片山に、孝也の顔が綻び、その時チャイムが鳴って、水上が現れたのだった。 「あーっ! 片さん、久し振りっ」 「雪子姫こそますますご活躍のようで」  嬉しそうに諸手を挙げて喜んでいる水上を見るのは、孝也も初めてだった。  何処からか流れてきた孝也の噂を聞き、それは自分のせいだと青くなって駆けつけたらしい。恐らく隣室の女性たちが発信源だろう。  手土産に持参したアイスクリームを差し出してから平謝りする水上に、孝也は返って恐縮してしまう。押し問答の末、受験勉強を手伝ってもらうのを罪滅ぼしにすると言うことで一件落着となった。  くん、と鼻を鳴らして炊飯器から漂う匂いに気付いた水上は、キッチンを見て目を丸くしている。 「え、もしかして片さんがおさんどん?」 「俺も一人暮らしで家事スキル上げてんのよ」  にやりと笑って応じながら、片山は今日の経緯を説明した。軽妙に会話する二人を微笑ましげに眺めていた孝也だったが、水上は健吾の行動に対して腹を立てているのを隠しもしないで眉を顰めている。  片さんが付いててくれるなら安心だねと言われて、片山も嬉しそうだ。  水上は、食事が出来るなら良かったと短い滞在で帰って行った。勤めている母親に代わり晩御飯の用意があるからと、けれど二人で居るのを見て安堵したから来て良かったと満開の花のような笑顔を向けてから去ったのだった。  ご飯が蒸らしに入ったので、フライパンを出して親子丼の具に火を通しながら、油揚げと豆腐とワカメの味噌汁も温め直す。 「で、結局どうなの? 水上さんがここに来てくれるくらいには仲が良くなってるのは間違い無さそうなんだけど」  手を動かしながら尋ねる片山は、やはり少し嫉妬しているようだった。 「うーん、なんていうか、多分責任感じてるんだと思うよ。祭りの時に健吾煽ったの、水上さんだから」  ん? と訝しげにしている片山に説明しながら二人で盛り付け、小さな座卓に所狭しと食器を並べて行った。  姫らしいねえ、と片山は肩を竦めている。 「健吾が間抜けだなあって思って。あのタイミングで浮気しなきゃゲット出来てたかもしれないのに。じゃないと祭で俺を出しにして嫌味言ったりしないだろ」 「まあ確かになあ」  面と向かうのは嫌でも話題に出すのは平気なんだなと、顔色を観察しながら片山は思った。  外側も腫れていたり青痣が出来ていたりと痛々しい孝也は、時折顔を顰めながら、ゆっくり少しずつ咀嚼し嚥下している。量も最初から随分少なめによそっていたから、片山が居なければ粥で済ませるつもりだったのかもしれないと、申し訳なく思った。  孝也の傷が癒えて以前のように振る舞えるようになっても、ずっと片山は朝夕の通勤を共にした。  気付けば平日はいつも二人で調理して食費を浮かせるようになり、その後一緒に試験勉強をして過ごした。たまに水上が寄って行く事もあり、三人は以前より随分親しくなった。  そうして月も変わり試験も終わった頃、もういいかなと、金曜の夜に水上が口を開いたのだった。  ん? と顔を向けた二人は、たまにはいいでしょと水上が差し入れたピザを頬張りながらジンジャーエールを飲んでいる。  あのね、と切り出す水上の表情は楽しそうではなかったため、二人とも顔を引き締めた。 「この間、うちの局に浅尾さんがバイトで来ててね、彼女から聞いたんだけど。  三村さん、妊娠してて、うっちーと結婚するんだって」  はあ? と、二人はピザを取り落としそうになった。まさに青天の霹靂である。 「少し前からなんかそれっぽい話は聞いてたんだよね。多分本局でもそれなりに話題には上がってたんだろうけど、試験前だし、吉木の耳には入らないように気を遣ってくれてたんだと思うよ」  その情報が吉報なのかどうか判断しあぐねて、取り敢えずは試験が終わるまでと黙っていてくれたらしい。ずっと傍に付いていた片山も耳にしなかった。  健吾にしても恐らく目出度い話ではないだろうから、自分からは言わないだろう。多分三村から浅尾経由の情報なのだ。  黙りこんだ孝也の横で、くくっと片山は笑い始めた。 「つまり避妊に失敗したってわけ? アホだな、うっちー。まだ二十歳だっつーの」  ざまあみろと、その顔が言っている。 「どうかなあ、私は三村さん確信犯だと思うよ。最初から変だったもん」  へえと面白そうに目を輝かせる片山に、水上は「今だから言うけどね」と念を押した。 「これは私の推測と女の勘だから、話半分に聞いてね。  三村さんは何処かでうっちーを見掛けてどうにかして知り合いたいと思ってた。そうしたら短大で仲良くなった浅尾さんが局でバイトしているのを知って聞いてみたら知り合いの中に居ることが判った。  内林なんて名前この辺りでは他に居ないでしょ、だからまず本人だと確信したと思うよ。で、初日からの媚び媚びモード。その時はまだうっちーもそれほどじゃなかったけど、毎日職場で出待ちされるし、好き好きって来られたら、嫌いじゃない容姿ならまあいっかってなるよね。で、官舎に連れ込んだ。  その後は何処でやってたかまでは知らないけどさ~まあ毎日のように会ってたわけでしょ。周りの認知度は抜群。しかもうっちーが居ない場所で、三村さんはさり気なく婚約者だとアピールしてきた。  んで、今回の妊娠騒動。これが三村さんのふかしなのか事実なのかは知らないけどさ、周到に絡め取られちゃったわけだよ、うっちー」  話している間におかしくなってきたのか、そこまで言って水上も吹き出してしまった。  ああやだ笑える、おかしすぎる。私の推理、あながち外れてないと思うんだけどどう思う? 涙まで滲ませて笑う水上に、孝也はたじろぎ片山は一緒になって畳を叩いて笑っている。  絶対それ当たってるって! ていうかもうその線しか考えられないと思う! 年貢の納め時か~うっちー。  孝也も一緒に笑おうとしたけれど、ふっと唇が戦慄き、涙が零れそうになり胸を押さえて必死に堪えた。  ずきんと胸の奥が鈍く痛む。  自分でも、どうしてと思うのに。笑えない。ざまあみろと言いたいのに、口を開けば嗚咽が漏れそうだった。 「吉木?」  笑いを引っ込めた水上が怪訝そうに顔を覗き込み、片山も心配そうに見遣った。 「ごめん、不謹慎過ぎたよね」  違うんだ、そうじゃなくて。言いたいことも伝えられず、孝也はただ首を振って俯いた。  見ないで欲しい、こんな不甲斐ない俺を。  一緒になって笑えるほどに、まだ傷が癒えていないのだと知らしめられた出来事だった。

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