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庭師テツの番外編 鎮守の森 9
桂人が扉を開けると、森宮家の次期当主の雄一郎さんが、難しい顔で立っていた。
「雄一郎さん!」
「テツか……朝早くからこんな場所で何をしている?」
「すみません勝手に……弟子が怪我したので、海里さんに治療してもらっていました」
「なんだ、海里もいたのか。久しぶりだな。全然屋敷に寄りつかないで……」
「兄貴、久しぶりですね」
「うむ……」
ところが……
雄一郎さんの関心は、海里さんより桂人に向いていた。
「……彼は?」
「雄一郎さんが手配して下さった新しい庭師ですよ。あの、初対面ですか」
「あぁそうか……お前が死に損ないの桂人《ケイト》か」
「……ふっ、やっとお会いできましたね。森宮家の……次期ご当主様」
それはとても意味深な挨拶だった。
何を意味するのか、俺には理解できなかった。
そもそも『死に損ない』とは、一体どういう意味だ?
俺のような一介の庭師が出る幕でないのは理解しているが、不安が過る。
桂人がこの家にやってきたのは偶然ではないのか。何か思惑があってのことなのか。
『桂人はピリピリとした中に、怖れを秘めている』
それに気付いてしまった。
「ふん、一人前の口を利くんだな。まぁいい……暫くはテツに付いてしっかり修行しておけ」
「……はい」
桂人は足を引きずりながら、足早に去って行った。
縫ったばかりでまだ傷が痛むだろうが、ここには一時もいたくないようだった。
****
雄一郎さんが去った後、海里さんが診療室の片付けをしながら呟いた。
「また抜糸をしに来るよ。しかし曰くありげな青年だな。テツ、彼は足を怪我する前に、歩き方が不自然な事はなかったか」
「……? 俺よりも俊敏な奴ですよ」
何を問われているのか、理解出来なかった。
「そうか……」
「何かありました?」
「うん……実は彼の両足の腱のあたりに深い傷跡があったので……歩けない時期があったかもしれないと思ってね」
「え? そんなこと微塵も感じさせなかったです。それ本当なんですか」
「あぁ足の指を縫う時に気付いて……とにかく何だか心配だな。テツがしっかり守ってやらないと」
俺が守る?
確かに昨夜怪我して倒れた時や今朝嘔吐した時は、純粋に守ってやりたいと思ったが、それは手負いの獣への気持ちと同じだろう?
「あんなツンケンした奴をですか」
「おいおい柊一の言葉を忘れたのか……テツ、お前もやっと人に関心が出てきたのだろう。少なくとも、この前と顔つきが違うぞ」
「そ、そうですか」
「おっと……流石にもう戻るよ。柊一が心配してしまう」
「引き留めてすみません。こんな早朝からありがとうございます」
「いや、こんな時間ではないと近づき難くてね。この森宮家の敷居は高いよ。兄貴に結局見つかってしまったが」
やれやれといった様子で、肩を竦め……海里さんは帰って行った。
****
桂人か……
彼を見た時、何故か一瞬……異母弟の瑠衣を思い出した。
この屋敷で共に暮らしていた時代の瑠衣だ。外見の何がどう似ているわけではない。でも似たような暗い雰囲気を背負っている。
何事もなければいいが……
やがて白薔薇の館が見えてくると、心から安堵した。
朝の空気に包まれていても、森宮家には陰湿な暗い空気が漂っていた。
だが、ここはどうだ?
朝日を浴びて煌めいている。白鳥が羽ばたく城のような清廉な雰囲気に、思わず目を細めてしまった。
俺はここがいい。
俺の居場所はここだ。
正門玄関に人が佇んでいた。
柊一だ!
俺を見つけると、息を弾ませ走り寄ってきた。
「海里さん、どこに行かれていたのですか」
「あぁ悪かった。もう起きてしまったのか」
正門を潜りながら彼の肩を抱くと、瞳に朝露のような涙を浮かべていた。
「……起きたら隣にいらっしゃらなくて、ドキリとしました」
「悪かったよ。君を悲しませるつもりはなかった」
どこか拗ねたように言う様子が可愛くて、中庭に寄り道したくなった。
「テツが大事な仕事道具を忘れたので、朝一番に届けてやったのさ、さぁおいで……」
深く抱きしめてやると、柊一は俺の胸元に顔を埋めてくれた。
「あ……消毒液の匂いがします」
「鋭いね。流石、俺の柊一だ」
「……何かあったのですか。まさかお怪我でも?」
「いや、怪我したのは桂人だ」
「……桂人?」
「テツの新しい弟子さ」
「あぁ彼ですか」
柊一は、それ以上聞いてこなかった。
興味本位で聞いてこないのが、彼らしい。
その代わり、静かに俺を抱きしめてくれた。
真っ直ぐで情の深い、柊一らしい行動だ。
そんな彼に俺は口づけを落とす。
朝の優しい接吻を――
「あ……」
「おはようの挨拶……まだだったからね」
「はい」
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