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庭師テツの番外編 鎮守の森 12

「兄さま、ただいま」 「お帰り雪也。荷物が重たそうだね。何を持っているの?」 「この前お話した日本の昔話やおとぎ話を集めた本を、図書館で借りてきました」 「ふぅん……僕は海外のばかりで、実は日本のは殆ど知らないな」 「ですよね。僕も学校で少し読んで来たのですが、なんというか……怪奇とも取れる、おどろおどろしいものも多いのですよ」 「怖くないの?」 「くすっ、兄さまってば……これは物語ですよ」 「だが……」  下校した雪也にお紅茶をいれてあげると、1冊の本を手渡された。 「これは兄さま向きかと思って」 「ありがとう。早速読んでみるよ」  とっておきの純愛のおとぎ話や昔話を集めた本だそうだ。パラパラとめくると、ふと気になるタイトルがあった。 「この『狐の嫁入り』ってお天気雨のことだよね?」 「あぁそれ……僕も読んだのですが……何だか、泣けちゃいました」 「そうなの?」  早速読み進めてみると……  愛する夫のために我が身を犠牲にした美しい狐の純愛物語だった。 ……  昔々……日照りに悩む東北の小さな村では、村の外れの池の龍神さまに雨乞いすることが決まりました。  しかし龍神さまに捧げる生贄《いけにえ》に、誰も自分の娘を出したくないと困っていました。  そこで狐を騙して掴まえることにしたのです。  村一番に頭の切れる者が、人に化ける狐が住んでいる村の村長と話し合って、色白で美しい狐の娘を、村で一番働き者で実直な青年の元に嫁入りさせるのに成功しました。  実はその嫁入りは、狐の娘を騙して捕まえるための切れ者の算段でした。  ふたりの祝言の席で、狐の娘を捕まえ生贄にするつもりだったのです。  ですが……祝言の日に意外なことが起こりました。  切れ者の魂胆を知った心優しい青年が、狐の娘を逃がそうとしたのです。 「逃げろ! この祝言は君を掴まえるための罠だ! 」  しかし狐の娘は、何故か逃げません。  娘はずっと以前から働き者で実直な青年のことが好きだったのです。  そして愛する青年と村の人たちのために、我が身を犠牲にする道を選んだのです。 「あなたがずっと好きでした。いつも眺めていました。あなたと少しの間だけでも夫婦になれた私は幸せ者です」  祝言が終わると狐の娘は青年に別れを告げ……  生贄として龍神さまに連れ去られてしまいました。  神主が雨乞いの祝詞を奏上すると、空は晴れ渡っているにもかかわらず、大粒の雨が降り出しました。  それはまるで狐の娘の涙のようでした。  その雨を村人たちは喜んだものの、青年はいつまでも狐の娘のことを悔やみ続けました。 ……  物語を読み終えた時に、ふと『働き者で実直な青年』というくだりに、テツさんの顔が思い浮かんだ。    何だかテツさんにぴったりの話だな。  今度、教えてあげよう。 「ただいま」 「海里さん!お帰りなさい」  本に夢中になっていたらあっという間に、時間が過ぎていた。 「また本に夢中に?」 「ごめんなさい。つい……」  辺りは真っ暗だ。どうしよう、夕食の支度をしていない。 「いや、謝らなくてもいいよ。今までの君には、本を読む時間がなかったからね。ずっと仕事や学ぶべき事に追われて……だから、大いに読んで欲しい」  優しい眼差しを浴びて、心が震える。 「ありがとうございます。海里さんは、いつも寛大過ぎます……僕は夕食を作るのを忘れていたというのに」 「ははは、気にするな。それに今日は学会で銀座に行ったので『うな重』がお土産だ」 「わぁ嬉しいです。でも……本当に申し訳なかったです」 「ところで、どんな話を読んでいた? 大方、日本のおとぎ話に夢中になっていたのだろう」  海里さんはネクタイを外しながら、甘く微笑んでいた。  本当に素敵な人だ。  こんなに素敵な人が僕と暮らしてくれるなんて、まだ夢みたいだ。  悲しい純愛のおとぎ話を読んだせいか、海里さんの背中にぴたりと寄り添ってしまった。 「どうした?」 「海里さん……『純愛』のすべてがハッピーエンドではないんですね」 「……日本のおとぎ話や昔話は、少し切なくなる内容も多いだろう」 「はい。先ほど読んでいた物語は……テツさんみたいな純朴な青年が主人公だったので余計に……」 「あぁそんな顔しないで」  くるりと向きを変えられ、唇を重ねられた。  ただいまの口づけと、お帰りなさいの口づけだ。  海里さんの箪笥の衣類に潜り込むように、深く唇を合わせた。  そのままベッドへ連れて行って欲しい程、焦がれてしまった。  それ程までに海里さんとの接吻は、甘くて夢見心地になる。  切なく悲しい昔話を払拭してくれる。  夕食を食べていると、海里さんが思い出したように呟いた。 「さっきの話、テツに話してやろう。あいつ……もしかしたら変わるかもしれない」 「え? やっぱり森の精霊のようなケイトさんと何かあるのですか」 「どうだろう? そう言えばさっきの物語……桂人といえば……いや、今時まさかな」  眉をひそめ、何か考え事をしているようだ。  真剣な眼差しに不安を覚え、海里さんの手に僕の手を重ねてしまった。 「海里さん、よかったら僕にも話してください。心にひっかかる事があるのなら」 「あぁ心配かけたね。実はさっきのおとぎ話がひっかかっている。実際にひと昔前迄は貧しい農村で生きていくために、我が子を手放す親も多かったそうだよ」 「え……そうなんですか」 「もしかしたら俺の屋敷にやってきた彼らも……そんな仕打ちの犠牲になったのかもと、少し考えてしまった。……明るい冬郷家と比べて、森宮家は闇深い部分が多くて恥ずかしいよ」 「そんな……」    

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