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庭師テツの番外編 鎮守の森 14
「もうすっかり良くなったようだな」
「……えぇ」
おれの足の傷を見つめ、テツさんが安心したように呟いた。
「桂人は相変わらず、つっけんどんだな」
「……」
「今日は海里さんの屋敷に行くが、ひとりで大丈夫か」
心底心配そうに問われて朝から調子が狂ってしまったが、何とか感情を抑えて、冷たく返事をした。
「おれは子供じゃない……だから大丈夫だ」
「ふっ、やっぱりお前は可愛いな」
はぁ? そこは可愛くないと言う所だろう?
本当にこのテツさんという庭師の頭の中は、どうかしている!
「桂人をひとりで残して行くのが、今日は何故か心配でな」
「ばっ馬鹿なこと言わないで下さい。もうおれは怪我も治ったし、問題ないでしょう」
「そんなところが、また……」
顎に手を当て、テツさんがしげしげとおれを見る。
その瞳は、やはり日だまりのように優しかった。
「遅くならないように戻るよ。夕食は一緒に食べよう。待っていてくれよ」
「……」
以前なら海里さんの屋敷に行く日はかなり遅くなり、挙げ句の果てに酔って帰宅していた癖に……何だよ。
おれを怪我させた負い目でもあるのか。
「じゃあ、頼んだぞ。そうだ、疲れたら俺の庭で休憩してもいいからな。あそこには誰も来ない」
「おれは留守番する小さな子供じゃない」
「そうか? 俺から見たら桂人は……」
テツさんから見たおれ……?
その次の言葉を、テツさんは何故かグッと飲み込んでしまった。
出掛ける彼を見送り、おれの方も少し名残惜しい気分になってしまったじゃないか。
参った……こんな調子では無事に復讐を遂げられないじゃないか。
何のために10年間も社の中で、死んだように生きながらえたのか。
何のために森宮の館に呼ばれるがままに、のこのことやってきたのか。
すべての恨みを晴らすためだろう。
10年前……
女子でないことがバレて土地の地主の怒りを買い、その場で腱を切られ失血死寸前だったおれを救ってくれた……黄泉の国の入り口で彷徨う魂のためにも、この身を投げ出す覚悟でやってきたのに。
おれを見捨てた家族は、死に損ねた生き霊のようにしか見てくれなかったし、おれに唯一近づいてくれた青年も……結局おれを選んではくれなかった。
誰もおれなんて……いらないだろう?
だったら恨みを晴らして、あの世に今度こそ行く!
そのつもりだったのに……テツさんという人は、本当に厄介だ。
おれに未練を残させる人だ。
部屋に蹲り膝を抱えていると、突然、窓がガラリと開いた。
「悪い、忘れ物だ」
「テツさん?」
もうとっくに出掛けたと思ったのに何故?
問いかける前に、目の前に黄色い秋桜の花束を差し出された。
「な、なんだよ」
「今日は一段と綺麗に咲いていたから、出掛ける前にお前にやろうと思っていたのを、すっかり忘れていた」
「へっ変な事するなって言っているだろう! おれは男だ! 男が男に花を贈るなんて……普通じゃない!」
俺は叫んでも、テツさんは呑気な様子で笑っていた。
大らかな人だ。
「そうなのか。綺麗だったので桂人にあげたいと思ったが……これは変なのか。まぁいいから受け取れ」
視界を覆うほどの黄色い秋桜に包まれて、言い返す言葉を失ってしまった。
「じゃあ行ってくる」
「あ、あぁ……」
テツさんの匂いと日だまりの匂い。更に花の匂いが、おれを優しく包み込む。
優しい手だ。
テツさん……
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