261 / 505

庭師テツの番外編 鎮守の森 17

「桂人?……いないのか」  森宮家の裏門から、使用人棟への道を歩く。  いつもならまるで俺の帰宅を待っていたように、窓の隙間から顔を覗かせている桂人と目が合ったのに、今日はいなかった。  しかも部屋の電気まで消えている。  まかさ桂人に何かあったのでは……  どこか危なっかしいから、放っておけないんだ。  妙な胸騒ぎがして窓枠に手を開けると、鍵はかかっていなかった。 「桂人、寝ているのか」  ガラリと窓を開け室内の様子を伺うが、姿はなかった。  ただ……最後の夕日が、黄色い秋桜をぽっと照らしていた。  出掛けに桂人に贈った秋桜は、硝子の瓶に綺麗に揃えて活けてあった。 「ふっ、なんだ……嫌がっていたくせに、ちゃんと水をやってくれたんだな。それにしてもどこに行ったのか。まさかまだ庭にいるのか……」  もう日没だ。じき真っ暗になるぞ。  俺は桂人を探しに、庭に入った。 「桂人──おーい、どこにいるんだ?」  前方に光るものがあったので近寄ってみると、桂人の花鋏が落ちていた。  俺が以前使っていたものを譲ったので、間違いない。  どうしてこんな場所に……まさか、この先に入ったのか。  白い紐で仕切られた結界のような場所だ。    師匠から絶対に近づくなと忠告されていた『禁忌《きんき》の庭』に入ったんじゃないよな。ここから先は、森宮の人間しか踏み入れてはいけない聖域だ。  ここは侵してはならない区域だ。俺も20年近くここに勤めているが、踏み入れたことは一度たりともない。  だが桂人に何かあったら……  もしも、この先で倒れていたらどうする?  そう思うと居てもたってもいられず、白い紐の下を潜り抜けていた。  途端にぞわっと躰が震える。すごいパワーを感じる。  何か恐ろしい……気が満ちている。  「あっ……!」  鬱蒼と生い茂った森林の道。  その両脇に真っ赤な彼岸花が何十本も揺れていた。それは目を瞑りたくなる程、恐ろしい光景だった。  何かがおかしい!   いつも花姿が美しいと見惚れている彼岸花が、今日は変だ。本来の姿を失い……まるで花も何かに憑かれているように感じる。    この花は確か……別名『死人花《しびとばな》』『地獄花《じごくばな》』と言われる事があったような。俺は今までその言葉と一度も結び付けたことはなかったのに……今日は……赤い花色が血のように見えてしまうのは何故だ。  あまりにおどろおどろしい光景に背筋が凍り、引き返そうと思ったが、その道の途中で、また桂人の痕跡を見つけてしまった。  これは桂人の草履では?   何故こんな所に……片足だけ。  更に奥に進むとこんもりと樹々が茂っている場所があり、違和感を感じた。  あそこに何かを隠している。     直感でそう思い、意を決して踏み入れようとした時、背後から声がかかった。 「テツ……お前って奴は、何をしている! そこで」 「ゆ、雄一郎さん」 「ここは禁忌だ! 今すぐ出ていけ!!」  雷のような激しい怒りの声に打たれた。  なんだ?   雄一郎さんの様子……いつもと違う。  青筋を立てて、こんなに声を荒げるなんて変だ。  いつもは穏やかで冷静な人なのに、何かがおかしい。  胸ぐらをつかまれ一喝された。 「申し訳ありません」  庭師として出過ぎたことをした。  20年足を踏み入れなかった場所なんだ、ここは……  桂人の事となると、俺は我を忘れてしまう!  何かに取り憑かれたような雄一郎さんの様子が気がかりだったが、とにかく聖域から飛び出た。  じゃあ……桂人はどこに?  中にはいなかった。  そこでようやく……自分が朝告げた事を思い出した。 『じゃあ、頼んだぞ。そうだ、疲れたら俺の庭で休憩してもいいからな。あそこには誰も来ない』  俺は阿保だ……今頃気づくなんて。 「待っていろ、桂人! 今、迎えに行くからな」  一気に丘を駆け上がった。 ****  テツさん──、テツさん、怖い……  おれは闇が怖い。  足元から迫って来る暗闇に食われそうだ!  お願いだ。助けて──  どんなに助けを呼んでも誰も来てくれなかったのに、テツさんの庭にいると、彼が来てくれるような予感に包まれてしまう。 「テツさん──」  だから、何度も叫んだ。  声が枯れそうになっても……必死に彼の名を!  

ともだちにシェアしよう!