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庭師テツの番外編 鎮守の森 17
「桂人?……いないのか」
森宮家の裏門から、使用人棟への道を歩く。
いつもならまるで俺の帰宅を待っていたように、窓の隙間から顔を覗かせている桂人と目が合ったのに、今日はいなかった。
しかも部屋の電気まで消えている。
まかさ桂人に何かあったのでは……
どこか危なっかしいから、放っておけないんだ。
妙な胸騒ぎがして窓枠に手を開けると、鍵はかかっていなかった。
「桂人、寝ているのか」
ガラリと窓を開け室内の様子を伺うが、姿はなかった。
ただ……最後の夕日が、黄色い秋桜をぽっと照らしていた。
出掛けに桂人に贈った秋桜は、硝子の瓶に綺麗に揃えて活けてあった。
「ふっ、なんだ……嫌がっていたくせに、ちゃんと水をやってくれたんだな。それにしてもどこに行ったのか。まさかまだ庭にいるのか……」
もう日没だ。じき真っ暗になるぞ。
俺は桂人を探しに、庭に入った。
「桂人──おーい、どこにいるんだ?」
前方に光るものがあったので近寄ってみると、桂人の花鋏が落ちていた。
俺が以前使っていたものを譲ったので、間違いない。
どうしてこんな場所に……まさか、この先に入ったのか。
白い紐で仕切られた結界のような場所だ。
師匠から絶対に近づくなと忠告されていた『禁忌《きんき》の庭』に入ったんじゃないよな。ここから先は、森宮の人間しか踏み入れてはいけない聖域だ。
ここは侵してはならない区域だ。俺も20年近くここに勤めているが、踏み入れたことは一度たりともない。
だが桂人に何かあったら……
もしも、この先で倒れていたらどうする?
そう思うと居てもたってもいられず、白い紐の下を潜り抜けていた。
途端にぞわっと躰が震える。すごいパワーを感じる。
何か恐ろしい……気が満ちている。
「あっ……!」
鬱蒼と生い茂った森林の道。
その両脇に真っ赤な彼岸花が何十本も揺れていた。それは目を瞑りたくなる程、恐ろしい光景だった。
何かがおかしい!
いつも花姿が美しいと見惚れている彼岸花が、今日は変だ。本来の姿を失い……まるで花も何かに憑かれているように感じる。
この花は確か……別名『死人花《しびとばな》』『地獄花《じごくばな》』と言われる事があったような。俺は今までその言葉と一度も結び付けたことはなかったのに……今日は……赤い花色が血のように見えてしまうのは何故だ。
あまりにおどろおどろしい光景に背筋が凍り、引き返そうと思ったが、その道の途中で、また桂人の痕跡を見つけてしまった。
これは桂人の草履では?
何故こんな所に……片足だけ。
更に奥に進むとこんもりと樹々が茂っている場所があり、違和感を感じた。
あそこに何かを隠している。
直感でそう思い、意を決して踏み入れようとした時、背後から声がかかった。
「テツ……お前って奴は、何をしている! そこで」
「ゆ、雄一郎さん」
「ここは禁忌だ! 今すぐ出ていけ!!」
雷のような激しい怒りの声に打たれた。
なんだ?
雄一郎さんの様子……いつもと違う。
青筋を立てて、こんなに声を荒げるなんて変だ。
いつもは穏やかで冷静な人なのに、何かがおかしい。
胸ぐらをつかまれ一喝された。
「申し訳ありません」
庭師として出過ぎたことをした。
20年足を踏み入れなかった場所なんだ、ここは……
桂人の事となると、俺は我を忘れてしまう!
何かに取り憑かれたような雄一郎さんの様子が気がかりだったが、とにかく聖域から飛び出た。
じゃあ……桂人はどこに?
中にはいなかった。
そこでようやく……自分が朝告げた事を思い出した。
『じゃあ、頼んだぞ。そうだ、疲れたら俺の庭で休憩してもいいからな。あそこには誰も来ない』
俺は阿保だ……今頃気づくなんて。
「待っていろ、桂人! 今、迎えに行くからな」
一気に丘を駆け上がった。
****
テツさん──、テツさん、怖い……
おれは闇が怖い。
足元から迫って来る暗闇に食われそうだ!
お願いだ。助けて──
どんなに助けを呼んでも誰も来てくれなかったのに、テツさんの庭にいると、彼が来てくれるような予感に包まれてしまう。
「テツさん──」
だから、何度も叫んだ。
声が枯れそうになっても……必死に彼の名を!
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