267 / 505

庭師テツの番外編 鎮守の森 23

「ちょっと待って下さい! ここの仕事を放り投げるわけには」 「そんなの明日、二人でやればいい」 「ですがっ!」  おれは他人から威圧的な態度を取られるのが怖くて、いつも強がってしまう。 「つべこべいうな! 男ならビシッとしていろ!」  厳しい声にビクッと躰を震わせると、テツさんはポリポリと頭を掻いて、静かな口調で言い直してくれた。   「あぁ……悪い、大きな声を出して。驚かせたよな。まぁそうだな。今日は外部研修という事にしよう。それならいいだろう?」 「……はい」    今はテツさんの強引さが、心地良かった。  口では素直に言えないが、嬉しかった。  本当は今日ここに一人で残るのがとても怖かった。とは素直に言えないが。  おれが一人でいる事を知ったら、雄一郎はきっとやってくる。そんな不吉な予感しかない。何かに取り憑かれたような雄一郎の手は、人間のものとは思えない程に冷たくおぞましかった。  中秋の名月の儀式で、おれはあの手に弄られ……この身を捧げるのか。  そう思うだけでも、身震いしてしまう。  無理だ……逃げてしまいたくなる程、恐ろしい。  だが約束が……あの約束だけは守らないと。   「あの……いつもテツさんが通われているお屋敷って、どんな場所ですか」 「あぁ外国のおとぎ話に出て来そうな白薔薇の館さ」 「……?」 「あぁそうか。まぁ行けば分かる」  おれには外国のおとぎ話というものが、どんなものか分からない。  東北の片田舎で15歳までは普通に育ち学校にも通わせてもらったが、そんなハイカラなものは見る機会はなかった。まして社に閉じ込められてからは、学校教育は受けていない。  無慈悲な大人の会話と、あの青年との会話が全てだった。だから難しい漢字や言い回しに疎いのだ。 「桂人は心配するな。心優しい人しかいない場所だ。そうそう天使のように清らかな子がいるよ」  天使というものがどんな人か知らないが、テツさんがそう言うのなら、信じられる。  今までおれの周りには……信じられる人がいなかった。  テツさんが、初めてだ。    おれの唇を優しく奪ってくれたテツさんだけ…… **** 「兄さま!兄さま!兄さま!」  窓辺で外を眺めていた雪也が血相を変えて、書類を整理している僕の元にやってきた。 「一体どうしたの? そんなに走ったり慌てたりしたら心臓に良くないよ。手術までは、刺激を控え平静を保たないと」 「ですが! とうとう現れたんです」 「何が?」 「テツさんが騎士のように颯爽と」 「くすっ、テツさんが騎士だとしたら、彼にはお守りしている姫でもいるの?」  冗談半分で聞くと、雪也が大きく頷いた。 「もちろんです。凛とした雰囲気の綺麗なお方です!」 「え……本当に?」  僕も興味を持って窓辺から身を乗り出すと、確かにテツさんが颯爽と風を斬って歩いていた。 「テツさん……? 本当にあれがテツさん? 」  思わず目を擦ってしまった。  今まで庭仕事に没頭する素朴なテツさんか、海里さんに飄々とした態度で接している様子しか見て来なかったので、これは……まるで別人だ。 「兄さま、守る人の存在って凄いですね! 今まで朴訥とした飾り気のない人だったのに……見違えるようですね」 「うん、確かにすごくカッコいいね」 「あっ兄さまは駄目ですよ。海里先生が後で聞いたら泣きますよ」 「何……言って? くすっ、それより後ろを歩いている……日本人形のように楚々とした人は誰だろうね」 「もう、兄さまってば、相変わらず鈍いですねぇ~」  ん? 最近の僕は雪也に押されっぱなしだ。 「あの人がきっとケイトさんですよ」 「あの桂人《ケイト》さん?」 「そうですって。さぁ僕たちも出迎えを! 」 「う、うん!」 ****  テツさんに連れられて入ったお屋敷は、漂う空気が森宮の屋敷とは真逆だった。   森宮の館は黒を基調にしているが、ここはとにかく白だ。  きっと五月になれば真っ白な白薔薇が咲き乱れる、全く違う趣の庭園が広がっていた。  お屋敷は白っぽいベージュの煉瓦造りで、緑色の蔦が絡まって歴史を感じさせる優雅な佇まいだ。  ここにはきっと清らかな歴史が紡がれてきたのだろう。  おれのいた世界とはあまりに違う世界の存在に、茫然としてしまった。  世の中には、こんな場所もあったのか…… 「桂人、こっちにおいで」  振り返ったテツさんが、また手を差し出してくれた。  おれの目の前に、真っすぐに、躊躇わずに……

ともだちにシェアしよう!