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庭師テツの番外編 鎮守の森 25

「ケイトさん……あの、先ほどは弟が失礼な事を言いまして、本当に申し訳ありませんでした」  早速庭仕事を始めようと準備していると、この館の当主自らが作業服に着替えてやってきた。そしておれの前で深々と頭を下げたので、拍子抜けしてしまった。 「……別に気にしていない。本当の事だ」 「そんな寂しい事は言わないで下さい。ケイトさんはテツさんの仰る通り、月の精みたいにお綺麗です」  真摯な眼差しで詫びられ、しかも褒められて……戸惑ってしまった。  こんな目上の人が、おれにこんな態度を取るなんて、理解の範疇を超えている。 「……柊一さんはこの館の主だそうで……でも、どうしてそんな服装に?」 「あぁ僕はテツさんに弟子入りしているんですよ。だから仕事着に着替えてきました」 「……弟子入り?」  何故だか胸の奥がちくりとした。  テツさんの弟子は、他にもいたのか。おれひとりじゃなかったのか。  そういう類いの落胆で、これもまたよく分からぬ感情で困惑した。すると柊一さんが、すぐに言葉を足してくれた。 「あ、あのですね。言い方が悪かったです。僕はこの庭を復元する手助けをしているだけで、正確にはテツさんの弟子ではありません。テツさんの弟子はケイトさんだけです。テツさんも以前、嬉しそうにそう仰っていました」 「……そうですか」  今度は嬉しい言葉をもらった。  ずっと無にしていた心が、また揺さぶられる。東京にやってきてから、テツさんと出逢ってから、おれの心は少し変だ。  あの日地図を片手に辿り着いた森宮の本家。その屋敷の暗澹《あんたん》たる佇まいを見上げ背筋が凍った。足が竦み、中に入れずに周囲を彷徨っていると、勝手口の柵の向こうにテツさんの姿を見つけた。  庭先で脇目も振らず植木の手入れをしている様子に、おれの知っている人間にはない、透明な空気を感じたのだ。  もしや、この人は庭師か。  おれは名目上、屋敷に一人だけいる庭師の弟子として雇われた事となっていたので興味が沸いた。  吸い寄せられるように彼に近づいたが、こちらを振り向きもしないので驚いた。  どうして、おれを見ないのか……  東北を離れ電車に乗ってここに辿り着くまでに、何度も不躾な気色悪い視線を浴びたのに、この人は他人に全く関心がないようだ。    気になるな……だが、自分から話しかけるのは許せなくて、何度か通りを行き来してしまった。  馬鹿げたことをしている自覚なら、重々あったさ。  ようやく話しかけてもらい、本当は心の中では嬉しいという気持ちがあったのに、素知らぬ顔をしてしまった。 『何か探しているのか』 『あ、すみません。森宮家のお屋敷を探しています』 『それは、ここだが』  とっくに知っていた癖に、見え透いた嘘までついた。    一歩屋敷の中に入ったら、おれを待ち受けている運命を受け入れないといけない。それが分かっているから足が竦んでいた。  だから彼に告げた『手を貸してください』とは、おれの背中を押して下さい。おれを中に引きずり込んでください。という意味が込められていた。  おれはテツさんがいたから、屋敷の中に入ることが出来た。  テツさんがいるから……今、息をしている。 「桂人、さぁこっちへ。手伝ってくれ!」 「……はい」  今日もテツさんが、おれを呼んでくれる。 「桂人がいるから、今日は心強いな」 「……」  桂人……と、何度も呼んでもらえる。  ただ呼ばれるだけで、幸せになるなんて――不思議だ。  おれの心は、どこか狂ってしまったのか。 「……ケイトさん、大切な人から名前を呼ばれるのって、とても幸せな気持ちになりますよね」  横に立っていた柊一さんが、さりげなくそれでいいと教えてくれた。    口に出していないのに、おれの気持ちが読めるのか……  やはり不思議な青年だ。

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